今朝、起きてベランダに出たら、いつものごとく、夜明け前の
真っ暗な空だったんですけれど、ちょうど目の前に細いお月さまが
浮かんでいて良い感じでした。。。
朝の用意をしながら、ちらちら、外を見ながら、朝焼けするのを
待っていたのですが、今朝は、ただ空が明るくなっただけでした。
朝焼けにお月さま、で撮りたかったのに、残念!
まぁ、お月さまと、木々と明るくなりかけた空のバランスは
良い感じではあるので、まぁ、許しましょう、って感じ(笑)
同じ場所からいろいろな季節そして時間で撮ると、ほんと
一枚として色も雲も同じものはなくて、いつ撮っても、すごい
なぁ~と思います。
自然は、私たちよりもはるかに大きいんですよねぇ~。
昨日のブログを更新したときに、最後に「アテルイ伝」について
ちょっとだけ書いたんですけれど、なんかどう言葉にしたら
いいのか、複雑な思いです。。。
ヤマトと蝦夷の考え方、生き方の違いがあまりにもはっきり
しすぎていて、そして、その違いが現在にも通じるところが
あるような気がして、「アテルイ伝」をどう捉えたらいいのか、
ちょっと混乱しています。。。(笑)
混乱する原因は、たぶん、私自身の中に、どちらの言い分
にも共感しているところがあること。。。
まぁ、日本人の成り立ちから、考えたら、当然のことなん
ですけれど。。。(笑)
私たち、日本人の中には、蝦夷とヤマトのDNAが配分は各自
違うでしょうけれど、どちらも受け継がれているんですから。。。
実は、私が生まれた産院の近くに片埜神社があり、そこに
アテルイとモレの首塚と伝えられる史跡があります。
実際、昨日の最後で、アテルイとモレは、河内国植山という
ところで斬首されたようです。
その植山と片埜神社がどういう関連があるのか、少し気になる
ところです。。。
そして、私が育った場所は、物部氏の本拠地があったと
いわれている場所の近くで、東京で住んでいた場所は、
渋沢栄一翁のお屋敷があったすぐ近くで、神戸の実家の
近くには、ニギハヤヒの息子といわれているウマシマジを
祀る神社があったり、土蜘蛛がいたらしいという話もあったりで、
どうも、政争や権力争いに、負けてしまったり、征服された
人たちと縁がある地にばかり住んでいるんですよね。。。
でも、彼らは、自分たちの生き方を貫こうとしただけで、
積極的に攻撃を仕掛けたのではなく、攻撃され、出て行け
といわれたから、自分たちの土地と生活を守るために戦った
だけなんですよね。。。
何故、この時期に「アテルイ伝」を放映しているのか。
表面的には、ドラマの舞台にして東北応援、という気持ちの表れ
なのでしょうけれど、それだけなのか・・・とつい、深読みを
したくなってしまうんです。
大河ドラマも「八重の桜」で幕末から明治の会津が舞台ですし。。。
そして、どちらも、中央集権を進めていようとしていた勢力に
真っ向から対抗して散った人たちを主人公に描いている。。。
今日の午後、再放送をもう一度見ました。
やっぱり、印象的だったのは、津軽の族長を訪ねて、里人を
保護して欲しいと頼んだシーンと、坂上田村麻呂のところへ
投降したシーンと、京で坂上田村麻呂に「蝦夷もヤマトも
同じ人だ!」と言い放ったシーン。。。
故郷の、山を守るため、森を救うため、里人のために自分達の
命を投げ出して、戦った人たち。。。
この精神は、日本を護った英霊達と一緒だなぁ~と感じました。
桓武天皇が国という単位で考えたときに、どうして、自分達の
エリアでない場所まで、進出し征服しなくてはいけないのか、
この考え方って、とても大陸的なんですよね。。。
領土を増やそう、大国になろう、外国と対等に付き合いたい・・・。
桓武天皇の母親は、百済王の子孫ということで、高野新笠と
言われています。
ふと、wikiを見たら、高野氏になったのは、桓武天皇の
夫人になったからで、その前は「和(やまと)氏」だった
そうです。
なぜ「和」を「やまと」と読むのか、あと、もう一つ疑問
なのが、「東漢」は「やまとのあや」という氏。。。
渡来系の「和」も「やまと」、「東」も「やまと」、そして
国造の「倭」も「やまと」。。。
なんか、頭ががこんがらがってしまいます。。。
氏族名と自称の国名が一緒なんて、変ですよね。
それも、渡来系の氏族名と一緒なんて。。。
どうして、こんな、紛らわしいことになっているのか。。。
それだけ、渡来人が入り乱れていて、収拾が付かなくなって
いたんじゃないか、と思ったりして。。。
または、後に書かれた、歴史書が、歴史をごまかすために、
別々の漢字を使って、別々の氏族のようにしているけれど、
実は、同じだったりして。。。
渡来人による古代日本乗っ取り。。。?!
とか、思いっきり、妄想がひろがります。。。(笑)
歴史は、謎だらけです。
歴史書に書かれていることは、その時の権力者に都合の
良いことばかりだから、矛盾が生じるんでしょうねぇ~。
以前、歴史の見直すことは、ある意味、ホ・オポノポノを
するのと同じなのではないか、と書いたことがありますが、
今回「アテルイ伝」を見て、やっぱり、そうだと思います。
気になるブログの記事のリンクをいくつか。。。
曽ヶ端さんの、『『アテルイ伝』に見る”合議制”の復活について』
『火怨・北の英雄 アテルイ伝』
cosmosさんの、『国の成り立ちの歴史について/記紀への疑義』
私の過去記事。。。結構、歴史関係書いてます。。。
『時空を越えて(2010.5.25)』
『百済と世界(2010.4.29)』
『歴史とか宗教とか民族とか(2009.11.30)』
『銅鐸(2009.12.2)』
もっとあるけど、代表的なのはこのくらいでしょうか・・・。
写真は、全て、今朝の夜明けから日の出のときに撮ったもの。
5/2/2013(2013年2月5日)
12.25
今年は、平成25年なので、
今日は、25のオンパレード!
なんか、すごいですよねぇ~。
明日は、サラマンカへ行って、居住許可書の
手続きの続きです。
カード用の指紋取りと写真提出。。。
真っ暗な空だったんですけれど、ちょうど目の前に細いお月さまが
浮かんでいて良い感じでした。。。
朝の用意をしながら、ちらちら、外を見ながら、朝焼けするのを
待っていたのですが、今朝は、ただ空が明るくなっただけでした。
朝焼けにお月さま、で撮りたかったのに、残念!
まぁ、お月さまと、木々と明るくなりかけた空のバランスは
良い感じではあるので、まぁ、許しましょう、って感じ(笑)
同じ場所からいろいろな季節そして時間で撮ると、ほんと
一枚として色も雲も同じものはなくて、いつ撮っても、すごい
なぁ~と思います。
自然は、私たちよりもはるかに大きいんですよねぇ~。
昨日のブログを更新したときに、最後に「アテルイ伝」について
ちょっとだけ書いたんですけれど、なんかどう言葉にしたら
いいのか、複雑な思いです。。。
ヤマトと蝦夷の考え方、生き方の違いがあまりにもはっきり
しすぎていて、そして、その違いが現在にも通じるところが
あるような気がして、「アテルイ伝」をどう捉えたらいいのか、
ちょっと混乱しています。。。(笑)
混乱する原因は、たぶん、私自身の中に、どちらの言い分
にも共感しているところがあること。。。
まぁ、日本人の成り立ちから、考えたら、当然のことなん
ですけれど。。。(笑)
私たち、日本人の中には、蝦夷とヤマトのDNAが配分は各自
違うでしょうけれど、どちらも受け継がれているんですから。。。
実は、私が生まれた産院の近くに片埜神社があり、そこに
アテルイとモレの首塚と伝えられる史跡があります。
実際、昨日の最後で、アテルイとモレは、河内国植山という
ところで斬首されたようです。
その植山と片埜神社がどういう関連があるのか、少し気になる
ところです。。。
そして、私が育った場所は、物部氏の本拠地があったと
いわれている場所の近くで、東京で住んでいた場所は、
渋沢栄一翁のお屋敷があったすぐ近くで、神戸の実家の
近くには、ニギハヤヒの息子といわれているウマシマジを
祀る神社があったり、土蜘蛛がいたらしいという話もあったりで、
どうも、政争や権力争いに、負けてしまったり、征服された
人たちと縁がある地にばかり住んでいるんですよね。。。
でも、彼らは、自分たちの生き方を貫こうとしただけで、
積極的に攻撃を仕掛けたのではなく、攻撃され、出て行け
といわれたから、自分たちの土地と生活を守るために戦った
だけなんですよね。。。
何故、この時期に「アテルイ伝」を放映しているのか。
表面的には、ドラマの舞台にして東北応援、という気持ちの表れ
なのでしょうけれど、それだけなのか・・・とつい、深読みを
したくなってしまうんです。
大河ドラマも「八重の桜」で幕末から明治の会津が舞台ですし。。。
そして、どちらも、中央集権を進めていようとしていた勢力に
真っ向から対抗して散った人たちを主人公に描いている。。。
今日の午後、再放送をもう一度見ました。
やっぱり、印象的だったのは、津軽の族長を訪ねて、里人を
保護して欲しいと頼んだシーンと、坂上田村麻呂のところへ
投降したシーンと、京で坂上田村麻呂に「蝦夷もヤマトも
同じ人だ!」と言い放ったシーン。。。
故郷の、山を守るため、森を救うため、里人のために自分達の
命を投げ出して、戦った人たち。。。
この精神は、日本を護った英霊達と一緒だなぁ~と感じました。
桓武天皇が国という単位で考えたときに、どうして、自分達の
エリアでない場所まで、進出し征服しなくてはいけないのか、
この考え方って、とても大陸的なんですよね。。。
領土を増やそう、大国になろう、外国と対等に付き合いたい・・・。
桓武天皇の母親は、百済王の子孫ということで、高野新笠と
言われています。
ふと、wikiを見たら、高野氏になったのは、桓武天皇の
夫人になったからで、その前は「和(やまと)氏」だった
そうです。
なぜ「和」を「やまと」と読むのか、あと、もう一つ疑問
なのが、「東漢」は「やまとのあや」という氏。。。
渡来系の「和」も「やまと」、「東」も「やまと」、そして
国造の「倭」も「やまと」。。。
なんか、頭ががこんがらがってしまいます。。。
氏族名と自称の国名が一緒なんて、変ですよね。
それも、渡来系の氏族名と一緒なんて。。。
どうして、こんな、紛らわしいことになっているのか。。。
それだけ、渡来人が入り乱れていて、収拾が付かなくなって
いたんじゃないか、と思ったりして。。。
または、後に書かれた、歴史書が、歴史をごまかすために、
別々の漢字を使って、別々の氏族のようにしているけれど、
実は、同じだったりして。。。
渡来人による古代日本乗っ取り。。。?!
とか、思いっきり、妄想がひろがります。。。(笑)
歴史は、謎だらけです。
歴史書に書かれていることは、その時の権力者に都合の
良いことばかりだから、矛盾が生じるんでしょうねぇ~。
以前、歴史の見直すことは、ある意味、ホ・オポノポノを
するのと同じなのではないか、と書いたことがありますが、
今回「アテルイ伝」を見て、やっぱり、そうだと思います。
気になるブログの記事のリンクをいくつか。。。
曽ヶ端さんの、『『アテルイ伝』に見る”合議制”の復活について』
『火怨・北の英雄 アテルイ伝』
cosmosさんの、『国の成り立ちの歴史について/記紀への疑義』
私の過去記事。。。結構、歴史関係書いてます。。。
『時空を越えて(2010.5.25)』
『百済と世界(2010.4.29)』
『歴史とか宗教とか民族とか(2009.11.30)』
『銅鐸(2009.12.2)』
もっとあるけど、代表的なのはこのくらいでしょうか・・・。
写真は、全て、今朝の夜明けから日の出のときに撮ったもの。
5/2/2013(2013年2月5日)
12.25
今年は、平成25年なので、
今日は、25のオンパレード!
なんか、すごいですよねぇ~。
明日は、サラマンカへ行って、居住許可書の
手続きの続きです。
カード用の指紋取りと写真提出。。。
あ、別宅にこの更新が反映されてないです。
そういえば骨の埋葬に立ち会ってなくても魂を受け継ぐことはできますか?
mahaoさんは骨 骨 で埋葬に立ち会わなければ生き写しになれないとあります。