3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

時空を越えて・・・

2010-05-26 05:46:12 | Hymne a l'amour
今年に入ってから、過去をよく思い出します。
知りあった人に自分のことを解ってもらおうと思って、
大まかな私の経歴を話しているからかもしれません。



いつも遊びに行くブログの「閉じ込められた神が動き出した? その68 
(船、薩摩、宮崎、日向、神武天皇、戦)」に書いたコメントと
ある人に出したメールを元に・・・まとめてみました。
*2010年6月27日、記事リンクを外しました。ごめんなさい。

コメント転載開始・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かなりプライベートなのですが、前に、私は東京の三田
あたりに住んでいた、と書いたことがあるのですが・・・
(蜂須賀家のお屋敷と有栖川宮公園の関係で・・・)、
久留米藩の江戸藩邸もご近所だったことがわかりました。
そして、有馬の化け猫騒動というのがあるのですが、
その化け猫の猫塚が私が通っていた小学校の敷地内にあったんです。。。。
「有馬怪猫伝」

奇妙なつながりを感じます・・・。

更に、検索してみると・・・、私が住んでいたあたりは、
薩摩っ原と言われていたところのようです。
三田 (旧佐土原藩上屋敷長屋、薩摩藩邸跡、無血開城会見地)

上のリンクの記事によると、子供の頃に忍び込んで遊んでいた
三井クラブは、島津の分家の佐土原藩(宮崎)の藩邸だったようです。
1学期間だけ通った中学校の近くまたはその場所に薩摩藩の藩邸が
あったみたいです。。。

私が住んでいたところは、毛利日向守の屋敷跡(?)ってことは、
周防徳山藩・・・。現在の山口県です。
だって、家の前の坂は、日向坂でした。。。
日向坂のwiki

まぁ、住んでいた場所が東京のど真ん中なので、単なる
偶然だとは思いますが・・・。それにしても不思議な感じです。

上のコメント、一部訂正です。
私が住んでいたあたりは、お寺でした。
江戸時代の地図を見つけました。
「薩摩藩邸焼き討ち」事件のこと

上のサイトの下の方に、古地図があります。

この地図では、日向坂のところは、毛利日向守ではなく、
織田出雲守となっています。
佐土原藩のところは、島津淡路守です。
島津淡路守のお屋敷の一角がオーストラリア大使館なので、
明治期には蜂須賀家のお屋敷があったようなのですが、
この地図はきっと古いのでしょうね・・・。

子供の頃から江戸時代までタイムトリップした気分です。
それが、また、現代につながっていて、時空を超えた
壮大な旅でした。。。

コメント転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京に住んでいた小学校6年間、私は、港区三田1丁目の
毛利日向守のお屋敷があった、向かいに住んでいたようです。
古地図では、毛利日向守ではなく織田出雲守となっていますが、
屋敷替えがあったと、wikiに載っていたので、古地図ができる
前に屋敷替えとなっていたのでしょう。

毛利日向守のお屋敷があった場所には、小学校のクラスメートが
住んでいるマンションが立っていて、たまに遊びに行ってました。

単なる偶然なのでしょうが、縁を感じます。

前にちらっと言ったかもしれませんが、
私が生まれた場所は、大阪府枚方市、河内一宮片埜神社の近くです。
片埜神社の社伝には、土師氏とか交野忌の言葉が出てきますし、
別伝には、ニギハヤヒの名前も出て来ます。

この枚方は父方の祖父(もう亡くなりました)の家があるのですが、
その近くに、牧野車塚古墳があります。

私がこれだけ古代史に興味を持つようになったのは、この古墳の
存在と片埜神社の別伝祭神を知った去年の秋からです。。。

交野・枚方周辺は、渡来人に縁のある土地のようだし、継体天皇や
桓武天皇にまつわる、交野天神社もあります。

小学校に入るまで住んでいたのは、大阪府八尾市。
恩智川沿いの家でした。
これも最近知ったのですが、飛鳥時代には、物部氏の勢力範囲で、
権勢を争った蘇我氏とこのあたりで戦を行なったそうで、
聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年
(588年)に建立したという教興寺が近くにあったようです。。。

恩智神社も気になりますし、あと、高安山の中腹には、天岩戸神社と
天照大神高座神社があって何やらとおっても、気になります。

そして、東京が、上記のように、江戸時代に島津と毛利のお屋敷と
日蓮宗のお寺に囲まれていた土地に住んでいて・・・。

中学から神戸なのですが、六甲山のふもとというか中腹。
カタカムナの文書が見付かったという、金鳥山のほぼ、真西に
住んでいました。

高校時代に神戸の垂水に引っ越しましたが、神戸市外大に進学し、
六甲の校舎に通った後、神戸市西区(家の近所ですが・・・)に
大学が移転しました。
これも最近知ったのですが、六甲の校舎のすぐ北側の山で、銅鐸
沢山見つかっているようです。

垂水には、現在も両親が住んでいますが、駅前の海神社は神后皇后の
三韓征伐に関連あるらしいし、五色塚古墳があるし、舞子の移情閣や
舞子ビラなど、こちらも歴史的な史跡が古代から近代までいろいろ
あります。。。

私の父方の曾祖父までは、近江の野洲の三上山の近くに住んでいた
そうです。ここが銅鐸の土地。

ちょっと南の守山市には、伊勢遺跡や下之郷遺跡という弥生後期の
大型集落の遺跡があって、歴史的に興味深い土地です。
滋賀県に故郷があるというのは、昔から聞いていましたが、三上山近く
というのは、今年になってから知ったこと。

関西に住んでいたせいか、百済につながる土地が近く、気になるので、
「百済と世界」という記事を前に書きました。

この後、大阪に住んで、今はスペイン・マドリッドです。
大阪もなかなか歴史のある場所に住んでいたし、ここマドリッドも
とても意味深い土地です。
近くに、アナトリアの地母神、シベーレスの噴水がありますし・・・。
いつも遊びに行くブログの「不忍池の弁天堂」の記事にコメントを書いたの
ですが、弁天様=サラスヴァティー=ゾロアスター教のアナーヒター=
シベーレス=アルテミスとなるようです。

こうやって、私の生まれてからの土地を辿ってみると、歴史に
興味を持って探求しろ、と語りかけるような気がしてなりません。。。
何度もサインがあったのに、気づいたのは、つい最近なんて・・・・。
でも、とりあえず、遅れ馳せながらでも気づいたから、これでいいか、って
感じですが・・・。(気づけて、よかった!)

今、こうやって過去を掘り下げてみて、何がしたいのか、と考えたら、
私は過去のごちゃごちゃと絡み合ったしがらみを解きほどき、
誤解を解いて、全てを統合または融合し、新しい世界への移行を
目指そうとしているのではないかと思うのです。

今、私がいつもよく遊びに行くブログの方も、そこで知り合った、
matamaさんも、そして、mayoさんも龍さんや石玉さんなど多くの人達が
それぞれのアプローチの仕方で、過去を清算しているんじゃないかと
思っています。


たぶんそれは、今の政界の状況も、経済の状況など、世界事情もそう、
鳩山さんも小沢さんも菅さんも皆そうですし、沖縄の普天間基地のことも、
宮崎の口蹄疫もすべてつながっているのだと思います。

それは、1995年の阪神大震災が起こった時から、始まっていました。
本当はもっと前から徐々にはじまっていたのでしょうけれど、
阪神大震災以降顕著になり、加速してきているのではないかと思っています。

過去の清算の続きには、過去を受け入れ、認め合い、統合する作業です。
争いを越え、憎しみを越え、いがみ合いを越えた、理想の世界を目指し・・・。
アメーバが出来るんだから、私達も出来る、と信じています。
私達は、良い未来を手に入れるために、今を生きている!と感じています。


一番上の写真は、昨日、5月24日の夕方の東の空。
オレンジ色に輝く雲が印象的。
写真を撮った、数分後には、雲はすっかりなくなってました。。。

それから、この間から開花を観察していた薔薇の続報です。

5月22日(土)の薔薇。
1つは、いい感じ。もう一つはあともう少し。


5月24日(月)の薔薇。どちらもベストな状態!!
題して、「仲良しこよし、いつまでも・・・」

今日見たのは、開きすぎて、ベストを越えていました。。。
やっぱり、この写真がベストでした!!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと宣伝・・・
◆イベリコ豚については・・・「イベリコ・フェルミンの広場」






25/05/2010
青空がいっぱい。
日差しが強くて、夏を感じる・・・。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (石玉)
2010-05-27 23:53:39
hiromiさん、こんばんは^^

ステキな記事をありがとうございます(^^)

>私達は、良い未来を手に入れるために、今を生きている!

そうですよね!
勇気が出ましたp(^^)q

返信する
石玉さんへ (hiromi)
2010-05-28 04:32:46
私事ばっかりの他人が読んでも?な記事じゃないかとも思いますが、それぞれが、自分が過去に住んだ場所や縁があった場所を、歴史をからめて振り返ってみたら、面白いんじゃないかと思います。
世界レベルで人々が皆やったら、戦争すること、争うことなんて、馬鹿らしくなっちゃうんじゃないかと思うのですが・・・。世の中そんな単純じゃないかしら・・・。
返信する
Unknown (Unknown)
2010-06-27 06:30:02
秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる

 大坂夏の陣(1615年)で、豊臣秀吉の子・秀頼とその母・淀殿が自刃した場所とされる大坂城(大阪市中央区)の区画「山里丸(やまざとまる)」とみられる遺構の一部が、大阪市博物館協会大阪文化財研究所の調査で初めて出土した。

 地表から約4メートルの深さに埋もれ、落城時の火災を示す焼土層が積もっていることが確認された。

 山里丸は、秀吉が千利休らと茶会を催した茶室などがあったとされる。遺構は、南北に延びる石組み溝(幅35センチ)で、長さ6メートル分を確認。溝の側面には高さ35センチ、長さ50センチ、幅20センチの石が並び、底には平らな石などが敷いてあった。中から見つかった陶磁器から、年代を特定した。

 焼土層は厚さ50センチ。焼けて変形した瓦も大量に出土した。溝は、徳川幕府が1624年に始めた城の再築で埋められたとみられる。

 調査成果は7月28日~9月20日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で展示する。 
(2010年6月26日15時48分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100626-OYT1T00581.htm?from=yoltop
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