3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

光vs闇?

2011-03-17 06:06:20 | Hymne a l'amour
この間、「光と影の融合へ」という記事を書いたのが、2月28日。

3月から私はいろいろと自分が暖めてきたプロジェクトを
実現化しようと動き始めようとしていました。
そのために、2月後半は今までの自分から脱皮する必要があった
ような気がして、というか、ある人からメッセージを伝えられて
自分自身の心の中を見つめなおしていました。。。。

自分自身を見つめなおすって、本当に難しいですよね。
他人のことは、とても客観的に冷静に観察できるのに、
自分に対しては、どうしても感情的になってしまう。。。
あと、家族に対しても・・・。



私自身の中に、光と闇があって、
光は闇と対立するものではなく、
あるときは、闇が光を包み、
またあるときは、光が闇を包み、
いつもお互いに補完しあってる・・・。

自分を光の存在だとして、
闇を自分以外のものだとして
排除しようとか封じ込めようとすると
無理が出る、きっとそう・・・。

たとえ過去に、闇の中にいたとしても
たとえ今、闇の中にいる感じがしても、
それは、トンネルの中にいるだけ。

トンネルを抜ければ、また光に戻れる、
だから、光と闇を別のものと分けないで。。。

過去に光の中にいても、今光の中にいても、
もしかしたら、闇の中に迷い込むことも
あるかもしれない。

光の中にずっといると、目が眩んで
今光の中にいるのか闇の中にいるのか
分からなくなってしまう。。。

そう、光と影が動くような感じ。。。



昨日、村の通りから、外側へ出る狭い通路を
通ったときに光と闇を同時に体験したような
気がしました。

3月11日の東北関東大震災以来、日本全体レベルで
また地球全体レベルで、人々が光と闇に
ついて、考えているのではないでしょうか・・・。

光とは、気持ちのいいものだったり、
目指す未来だったり、理想だったり・・・

闇とは、見たくないものだったり、
嫌な過去だったり、嫌いなものだったり・・・

一昨日の「脱原発への流れ」、昨日の「グラシアス、アディオス」
原発を中心に考えましたが、日々のいろいろな出来事を同じように
深く観察し、自分の心に照らし合わせてみると、何が必要で
何が不必要で、ということが分かってくるような気がします。

これは、私流ホ・オポノポノかも。。。


今朝は朝からずっと「グラシアス、アディオス」で
宣言したことを少しでも行動に表すために、
twitterで、いろいろな人に「原発停止要請」のメッセージを
送ってて、それに対して、現状では「原発停止」することは
不可能とか、どうやって生きていくのか、とかいう反応が
いくつかあって、伝えることの難しさを感じました。

というわけで、
ちょっと疲れているようで、
なんだか、支離滅裂っぽいです。。。
すみません。
今日は終わりにします。

でもこれだけ・・・
@ozawashojiさんのツィートから
「浜岡原発の運転停止要望書:メール1万3000通!
3月18日(金)13:30~静岡県庁にて要望書提出。
13:20 静岡県庁東館2階集合。
浜岡原発に“今までご苦労様!ありがとう”と伝えましょう!
行ける方はぜひ http://bit.ly/gwlssu

 


気になる記事をいくつか・・・

◆飄平さんの、【逝ったマシュー君の天界からのメッセージ!!42】

◆武山祐三さんの、【今こそ救国の為に立ち上がろう!】

◆ぽにょさんの、【福島第一原子力発電所の現場から】

◆ルナ☆さんの、【エンキのゲーム (3/16)】

◆水玉さんの、【なんで母の子として生まれたか わかった!(大発見だ) (3/16)】

◆twitterの 【スペインから日本へのメッセージ@pray4jp_es】

PRAY FOR JAPAN FROM SPAINのサイト



さっき、twitterで、@LRhibikiさんのツィートを読んで
気づいたことって、とても大切かも・・・。
「怒と恕(ゆるす)って、又を口に変えただけで、意味が反対。
水も愛も循環させ流れに任せることが自然。
怒りも同じで、留めずに流す。
閉じ込めずに、口に出す(気持ちを表す)ことで、
浄化されるってことなのかも。。。 
RT @LRhibiki 感謝は水であり愛。怒り(火)…」


怒(闇)と恕(光)ってこと・・・。
「0=霊=日=火=ひ=1」・・・この方程式すごい!



写真の説明
一枚め:今日のお迎えの時、通りの光と影がいい感じ。
二枚め:村の石畳の道から、外側へ出る扉。
三枚め:扉を入ったところ。とても天井が低い通路。
四枚め:向こう側に近いところ。
五枚め:通路を出たら、雨水がたまってできた小川。
六枚め:通路を戻って通りへ行くときに通路から。

狭くて天井の低い通路は、とても不思議。
光の世界から一瞬闇を通過してまた光の世界へ。


16/03/2011
曇り。ときどき雨。

血液検査。
気がついたら、内出血。
こんなの初めて・・・。
春ウコン効果かも・・・?!
2月から飲み始めて1ヶ月半、
血液さらさらになったってこと、かも。

対ドル、円高史上最高値。
79円34~38銭

マドリッドの学校の先生から電話。
アンへレスからメール。
カラスパラからメール。
7エルマノスから電話。
真ん中のクラスメートからメッセージ。

テンプレートを「里山」から変えてみた。
ちょっと春っぽくなった感じ。
イメチェン~♪

2.12
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4 コメント

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Unknown (satori)
2011-03-17 16:11:28
とても良い写真ですね。産道のようでもあり人の歩む道でもあるような。良く見れば自然は、教えてくれる事ばかりですね。自然にある光と闇を見てもそこに怒りは感じないですよね。
>怒りと恕
ほんとですね。私も許すという意味を考えていたのですが、恕という漢字もあるのですね。ほとんど形が変わらないのにこれだけ意味が違ってくるのは、なんとなくですが、そのものの行為を許すというより、そのものの存在する事を許せば、結果はこれ程違ってくるという意味に思えます。そして不思議なのは、光でhikariにもikariが入っていることです。
たまたま、地震の前にSF物の本で日本に大地震が来るのを兄弟が阻止というか被害を縮小させるというような本を読んでいてその内容は銀杏の樹から地中に溜まった黒い霧のような存在を解放しエネルギーを弱める事で、被害を弱める、と言ったような内容でした。そこに書いていた事ですが、
人の魂を、最終的に磨くもの、それは負に対する理解と許容で、取り込みつつも取り込まれない事だと書いてありました。
それと、こちらのブログからリンクされている先は、とても参考になります。
地震の闇について考える、のリンク先や、水玉さんのブログなどを読んでいると、何か中心に届くような癒しを感じます。そして諦めずにできる事を探したいと思います。
satoriさんへ (ひろみ)
2011-03-17 18:49:07
ありがとうございます。
>そして不思議なのは、光でhikariにもikariが入っていることです。

satoriさんのこの言葉を読んで、

【「怒・いかり」と「恕・ゆるす」は、又と口の違いだけ。
怒りを閉じ込めずに口に出して解放しましょう!
そして、「怒・ikari」は「光・hikari」に含まれる!
スペイン語ではhを発音しないから、ikari=hikari。
これってすごいことかも!
怒を光で優しく穏やかに包み込むイメージ。】
と発展させてtwitterに書きました。

前に、「誤まること」と「許すこと」については、語源を中心にして、記事に書きました。

もしご興味があるなら目次から探して読んでください。
慈悲の光は怒りに勝る (アブドゥッラー・ザ・ブッチ)
2011-04-21 09:11:33
ikariにhをくわえるとhikariになる。
う~ん。なるほどと思いました。
ikariはエネルギーの一つの形、、
hは神の息吹、霊、存在そのもの、意識、広がりなどを表わす音だと思います。
ALLAHU(アラビア語の「唯一神、唯一存在」の語尾に含まれますね。

ikariに神の息吹であるhを注ぎ込むことで、怒りは光に変えることができるということなのかもしれません。

光は怒りを包みそれを超えたものである。

預言者ムハンマドは次のような言葉を残されています。

神は言われた「私の慈悲は、私の怒りに勝る」と。

慈悲の光が怒りを受け入れ、それを慈悲に変えて宇宙に広がっていく。

そんなイメージが浮かびました。
ブッチさんへ (ひろみ)
2011-04-22 06:42:47
>ikariに神の息吹であるhを注ぎ込むことで、怒りは光に変えることができるということなのかもしれません。

なるほど・・・。
いずれにしても怒りを怒りの感情として
表出させるのではなく、一歩下がって
理性的に表現または行動すれば、プラスの
エネルギーになるような気がします。
それを慈悲と呼ぶか光と呼ぶかは、
各自の好みでしょうし・・・。
時と場合で使い分けることもできますし。。。

>神は言われた「私の慈悲は、私の怒りに勝る」と。
どんな宗教でも、同じことを伝えていますよね。
でも、何故か争いは終わらない・・・。
どうしてなんでしょう?
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