みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

何もわからない人、じゃない

2015-11-21 17:31:08 | Weblog

先日木曽病院で行なった映画『パーソナルソング』上映会と私の講演会に来ていただいた聴衆の方からメールをいただいた。

この方のお母様が認知症だったこともあり、この方ご自身が地域の認知症介護にここ15年ほど取り組んでいらっしゃるとのこと。

この方、講演後すぐに私に話しかけてこられた。

「音楽が認知症に効果があることはよくわかっているのですが、これまで音楽療法ということばにとらわれ過ぎていたような気がします。でも、先生の話しを聞いて、別に決まったやり方があるわけではないことがよくわかりました」と言ってくださった。

その数日後のメールだ。

私自身これまで接してきた音楽療法士の方たちは、皆さんとても立派な考えと能力を持っている人が多かったのだが、「音楽療法とはこうあるべき」という考えが強い人が多かった。

きっと、この方もそうした人たちと接してきたのかもしれない(この方自身が音楽療法を勉強したことがあるとおっしゃっていたので)。

音楽は認知症に効果がある、だから、みんなで歌を歌いましょう、音楽を聞きましょう。だけでは少々乱暴だ。

また、介護施設の人たちには懐かしい音楽が効果的といって、十葉ひとからげでいつでもどこでもナツメロや童謡で括ってしまうのはもっと乱暴だ。

その人の人生にとって一番大事なものは何?

最も印象に残っている音楽は何?

ここから出発して欲しいといつも思っている。

 

「何もわからない人、じゃない」。

この方がメールに書いてきてくださったことばだ。

もちろん認知症の人たちのこと。

英語でもよくliving dead(生ける屍)という言い方がされる。

認知症の方は、世界中どこでもそう思われているのだろう。

なぜか?

それは、コミュニケーションが取れないからに他ならない。

たとえ会話ができてもそのやり取りはチンプンカンプン。

話しが通じない。

だから「この人はもう終わってる」になってしまう。

私は違うと思う。

私は、認知症の人たちは、別に「何もわからない」のではなく、単に「こころが行方不明」になっているだけなのだ。

その人の「こころ」の居場所は、おそらく患者ご自身でもなかなか見つけられない。

ましてや、他人がすぐに「発見」できるわけがない。

でも、必ずそこに「心はある」と信じることから始めないと、この認知症対策はいつも入り口で止まってしまう。

この国の認知症対策は、まさしくそこで止まっている。

認知症の人は「記憶がなくなる」「わけのわからないことを言う」「わけのわからない行動をする」「昼夜逆転する」「徘徊する」…だから、対策をたてる。

どうやって?

クスリを飲む(現在認可されている4種類の抗認知症薬のどれも認知症を完治させることはできない)。

世話が大変だから施設やデイサービスに預ける(預けるだけでは何も解決しない=もちろん、そうした場所が介護者の休息のためである一面は否定しないが)

認知症や介護に悩める人たちの相談のために地域包括支援センターを日本中至るところに設置する(それ何?それどこにあるの?…人の目に届かない対策は対策とは言えない)。

それに、そもそも現在の日本の認知症患者の数が500万とか600万とかいう数字もひどくアヤシイ(全国の自治体に統一された認知症の統計方法があるわけではないし一体誰がその統計を取るの?)。

認知症に罹患しているかどうかを判断できる権限を持っているのは医師しかいない。

私は、ここが根本的に「違う」と思っている。

人を認知症と判断するだけの十分な知識や経験を持っている医師はそれほど多くない。

何をもって「この人認知症、この人正常」と判断するのだろう。

認知症かどうかのボーダーラインにいる人は世の中にゴマンといる。

ひょっとしたら私自身も「そこ」にいるのかもしれない。

だとしたら、この国の認知症対策はお先真っ暗か…と私は思っていない。

ちょっと意識を変えれば良いだけダ。

そんな(意識変革の)やり方を、ユマニチュードとかヴァリデーションケアといった外国の介護メソッドが私たちに教えようとしている(なんで日本発のものがないのだろう)。

でも、…。

そんな外来メソッドを勉強しなくても、たった一つ、「相手目線にたつ」ということだけを全てに優先させればアッという間に解決する問題はたくさんあると私は思っている。

同じナツメロを演奏するんでも遠くで演奏するのではなく、患者のすぐ目の前で演奏する(ステージなんかいらない)。

これだけで変わる何かが確実にある。

それは何百回という私の体験で実証済みだ(エビエデンスなんか必要ない)。

「あんた、私のサイフ取ったでしょ」と家族に浴びせることばに対して、「取るわけないでしょ!」と否定してしまえば全てはそこでジエンド。

そうではなく、そうしたことばの意味を辿っていくと、案外隠れた真実に行き着くことがある。

例えば、その患者さんは、小さい頃学校の隣の机の子に消しゴムを貸して未だに返してもらっていないのかもしれない(そんなことがトラウマとして残ることはどんな人にもある)。

そんな遠い過去の小さな出来事が「私のサイフを盗った」という妄言につながっているのかもしれない。

十分あり得ることダ。

相手のことばを否定しさえしなければ、いくらでもコミュニケーションの糸口はつかめるし真実に行き当たることはいくらでもある。

そして、こんな意識変革を助けてくれるのが、他ならぬ「音楽」なのだ。

どう助けてくれるのか、今後「セミナー&コンサート」というスタイルで今後世の中に説いていこうと思っている。

音楽と介護のリンクを常に考えてきた私にしかできない「やり方」だと思っている。

せっかくプロの音楽家として長いキャリアを持ってきた人間(私を含めて私のまわりにそんな音楽家はたくさんいる)の能力をこんな形で生かせればと思って考えた企画だ。

12/6に地元の伊豆高原の介護施設で、12/13には、京橋のセミナーハウスでやろうと思っているけれども、いまいち人が集まっていない。

宣伝の方法が悪いのか、皆さんいまいちピンと来ないのか。

「認知症、認知症」と騒ぐだけじゃなくて、もっと「こうすればイイじゃん」ということを理解しておけば、自分の人生がもっと楽にもっとハッピーに過ごせるはず(だと私は思っている)。

別に認知症になろうがなるまいが、人生の目的は、「より幸福に」「より人のために」過ごすこと。

そんなヒントを、演奏と一緒にお話ししたいと思っている。

今からでもたくさんの方の参加をお待ちしています。

詳細は、下記をご覧ください。

http://www1.linkclub.or.jp/~flute/live.html

 

 


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