みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

TSUNAMIとターキーとアメリカ

2005-01-03 17:48:36 | Weblog
 かなりの暖冬であまり冬らしさを感じない日々が続いていたが、年の瀬も押し迫ってやっと本格的な「冬」という実感がわいてきたようだ(大晦日の雪は、伊豆にいたので見ていない。伊豆は、さすがに暖かく雪のユの字もなかった)。
 季節感というのは気候で感じるのはもちろんだが、食べ物やイベントで感じる部分もかなり多い。正月のおせち料理を見ると、いやでも正月気分にさせられる。感謝祭のターキー、クリスマスのチキン、正月のモチと、タンパク質や炭水化物系の食事の多いのが寒い時期の特色だ。要するに、動物はすべてそうだが、身体に脂肪とエンルギーを貯えようとする。この時期は、動物の本能としては自然に太るようにできている。日本には、あまり脂肪の多い食べ物はないがこれがアメリカだったら、感謝祭にイヤというほど七面鳥とマッシュドポテト、トウモロコシ料理を食べさせられてぶくぶくに太り、それに追い討ちをかけるようにクリスマスのチキンを食べるハメになる(事実、感謝祭の休日に実家に帰った後、友人はみんな太って帰ってきた)。
 でも、アメリカにいる時から、この七面鳥をなぜターキー(トルコ)というのかずっと不思議に思っていた。
 食べ物の名前のいわれ(いわゆる、故事来歴というやつですが)を調べるとけっこう人間の本質がわかったりして面白い発見をしたりすることが多い。このターキー話しもけっこうそのノリに近い。
 話しはオスマントルコ帝国の時代にまで遡る。ヨーロッパは今も昔も基本的にキリスト教圏だが、十四世紀頃から十七世紀ぐらいにかけてのヨーロッパには、オスマントルコの影響でかなりイスラム文化経由で世界中の珍しいもが入りこんでいた(モーツァルトの「トルコ行進曲」というのもこの流れから来ている曲だ)。なので、その当時のヨーロッパの人は、「世の中の珍しいモノはすべてトルコチックなもの」と決めつけていた。その当時はアフリカ大陸もトルコの勢力下にあり、アフリカにある珍しいモノはすべて「トルコチックなもの」になっていた時代だ。ヨーロッパ人がアフリカを探検した時にアフリカのホロホロ鳥を初めて観て「トルコのニワトリ」と呼んだとしても何の不思議はない。そして、この「トルコのニワトリ」が巡り巡ってアメリカにまで結びつく。
 その後、新大陸アメリカに降り立ったヨーロッパ人がホロホロ鳥とまったく同じような鳥を発見する。それが実は七面鳥なのだが、彼らは、その鳥をも「トルコのニワトリ」と呼んでしまう。それが、今でも七面鳥が「ターキー」と言われる理由だ(ここまで聞くと、きっと「ヘ~!」と押してしまいたくなるだろう)。
 ところが、ホロホロ鳥の方は、その後ちゃんと別の名前で呼ばれるようになるのに、七面鳥だけは「ターキー」のまま今日まで来ている。で、この話しにはもうちょっと続きがあって、なぜアメリカの感謝祭でターキーを食べるようになったかという話し。
 1620年にメイフラワー号に乗って大勢のヨーロッパの移民たちが新大陸にやって来たが、彼らは、新しい土地でもヨーロッパの食生活を無理矢理維持しようとしたために、すぐに食料難に陥ってしまう。食べ物自体はいくらでもあった。しかし、人間というのは、食べ物に関してはけっこう保守的なところがあって、長い間の食習慣を簡単に変えられない人たちもいる。要するに、自分たちのワガママから飢餓に陥ったわけなのだが、ついに事態は餓死者まで出るところまで追い詰められた時にそんな状況を救ってくれたのがアメリカ・インディアンたちだった。親切な彼らが七面鳥やトウモロコシなどの料理を持ってきて移民の人たちを助けてくれたので、移民たちは大量の餓死者を出さずにすんだ。で、この故事を記念して、現在も11月の第4木曜を感謝祭として祝っているのだが、後の歴史にはひどいオチがつく。
 つまり、こうやって移民(つまり白人)はインディアンたちに助けられたにもかかわらず、彼らは、その後の西部開拓で多くのインディアンたちを殺していったわけで、ある意味、恩を仇で返したということにもなる。今だに、世界中で戦争をし続けるアメリカ人を見ていると、アングルサクソンにしろ、ゲルマンにしろ、ラテンにしろ白人(コーケイジアン)っていうのは本質的に戦争好きな人たちだなと思わずにはいられない(狩猟民族は、基本的に征服欲を持っているわけだから、そう考えると戦争好きもあまり不思議ではないのかもしれないが)。
 でも、そのアメリカ人にもいいところはたくさんあるナとつい最近思った。
 今回のスマトラ島沖の大津波の報道がそれだ。今回のスマトラ島沖の大地震と津波は歴史に残る規模なのにもかかわらず日本での報道は少ない。津波の起きた直後からCNNのニュースを見ているが、今だにほぼ24時間体制でこの地震のニュースを報道している。別に、アメリカ人がたくさん亡くなっているからではなく、純粋に人道的な見地から「助けなきゃ」的報道が目立つ。飛行機事故でも日本人の犠牲者がいるかいないかが真っ先に問題になる島国根性丸出しの日本のニュースを見ていると、「日本人が死んでなきゃ、後はどうでもいいんかい」と思ってしまうが、その意味では、アメリカのこの事故に対する報道は、やはりアメリカという国の「ピュリタン的ヒューマニズム」の一面がよく現れている。イラクなどの戦争報道では、身勝手なアメリカの大国主義ばかりが目立っていたが、この津波の報道に関しては、ある意味、アメリカの懐の深さが少しだけわかったような気がした。