みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

先週土曜日のコンサートでは

2009-09-30 00:36:41 | Weblog
トマト、バジルのキッシュ、アップルパイ、豆乳とユズのブラマンジェという3品を作る。どれもオイシイという評判だった(作った私もとてもおいしかったと思う)。まだ私の作るスイーツや料理を食べたことのない人は「本当にどれほどのもんじゃい?」と思われるだろうが、お疑いならいつでも食べさせてしんぜますのでご要望の方はご連絡を(笑)。
今度は19日の伊豆での初コンサートが控えているが、相変わらずいろいろな打ち合わせや仕事で東京との往復をする忙しい毎日が続く。
今日も、朝10時に車で出かけ品川の高輪プリンスでの打ち合わせの往復で伊豆に帰ってきたのは夜の10時。
ちょうど、時計の針が一周したわけだが、体力的に疲れるというよりも、打ち合わせの内容の反芻とかこれからの展開の青写真とか頭の中をいろいろなことが頭の中で駆け巡る。
同時多発的にいろいろなプロジェクトが進行するのは昔からの私の仕事のパターンだが、ある意味その一つ一つの仕事の規模が大きくなってくるとその予算の額も責任もそれに関わる人たちも当然増えてくるので慎重にことを進めていかなければならない。
今日は、不動産事業の他に介護の事業の分野で活躍している経営者の方(とても誠実な方だったのでちょっと安心)にある人の紹介で会ったのだが、基本的に私はどんなジャンルの仕事でも音楽との接点を作ることはできるので、とりあえずの仕事の入り口としては成功だったのではないかと思う。
ただ、フルムスにしても伊豆での音楽企画にしても自分自身の活動にしても大規模になってくればくるほど事業としての受け皿の整備が必須だと最近実感している。これまでは、自分が経営する会社の中ですべての仕事を処理してきたが、やはり経営者とアーティストの二足のワラジをはくのは無理がある。
私は、自分自身がクリエイティブなことをやったり人を束ねてまとめあげる能力はあると思っているがお金の計算はまったくできない人なので(もともとお金を儲けようという欲望があまりないせいかもしれないが)今後の課題は増えてくる一方の仕事の振り分け方だと思っている。
何から何まで全部自分でやろうするといずれは自滅すると誰かが言っていたが、たしかにそうかもしれない。自分で曲を作って演奏するぐらいの自己完結ならまだいいが、多数の人がかかわる仕事を幾つもやっていくことを自分だけ処理するのはある意味無責任だしかなり危険なことなのだと思う今日この頃だ。


今週末はコンサート

2009-09-21 14:26:45 | Weblog
26日の土曜日は、久しぶりに作曲家/ピアニスト・久保田修とのコンサートを荻窪のかん芸館でやる。
私も久保田修もどちらも作曲家/演奏家という立場なので、今回は作曲や即興演奏に関する話をしながらいろいろな曲を演奏していくつもり。ただ、二人の作曲手法もセンスも近いようでけっこう違うので、もしいらっしゃることができればその辺を直に感じていただければ思う。
彼はもともとがピアニスト。つまり、ピアノという楽器をもとに自分の音楽性を培ってきた人。当たり前のことながら、それは彼の音楽の至るところで感じられる。
同じピアニストでも、自分の指を鍵盤の上に乗せそれらを上下左右に動かしていくアクションやそこから出てくる音の響きを聞きながら曲を作っていくタイプの人と、自分の指とピアノの鍵盤とのふれあい(つまり楽器との対話ということかナ?)の中から音楽を紡いでいくタイプと2通りあるような気がする。本人は否定するかもしれないが、私には久保田修の音楽はこの「対話型」に思えてならない。
それに対して、私の作る音楽は、いつも私がフルーティストであるというところから来ているような気がする。私の曲作りはいつもメロディから始まる。なので、それをアレンジしていく段階で、リズムやハーモニーを考える時、私は鍵盤奏者とはまったく違ったアプローチをする。時に、それが通常の鍵盤奏者のそれとはあまりにも違うために、多くの鍵盤奏者から「?」という顔をされるけれど、私にしてみればそれが何で「?なの?」という感じ。
このハーモニーからこのハーモニーへはスムースにつながっていくという和声法のルールを全く無視することもけっこう多いのできっと「?」という顔をされるのだろうと思うけど、私にしてみると、逆に、「そんなにモーツァルトみたいにスムースに音を動かしたいわけ?」という感じがいつもしている。確かにモーツァルトやバッハは素晴らしいけど、すべての音楽がみんなモーツァルトやバッハみたいだったら「ツマラナイじゃない」とも思う。
だから、ピアニストがどんなに「弾きにくい」と言おうが、どんなに「変だよ」と言おうが。私は自分の感性はひたすら信じて音楽を作っていく(というかなり強情なヤツです)。
ある意味、それは即興でも同じ。即興演奏=ジャズと思う人があまりにも多い中、「自分のメッセージを伝えるために即興的に演奏する」という即興演奏の根源的な意味をどうやったら伝えられるのかなと思いながら即興演奏を行う。
自分のメッセージを伝えるためには、ジャズだろうが、ロックだろうが、クラッシクだろうがそんなものはこれっぽっちも関係ない。自分の意思が音になり、その音が聞いている相手に伝わればいいだけの話。
それなのに、音楽を専門的にやっている人(つまり楽器演奏の相当な技術を持っている人)の中でも即興演奏ができない人が多いのは私にとって実に不思議なこと。だって、私たちは毎日台本や原稿通りに生きているわけではなく、みんな、その場その場で即興的に行動し即興的にことばを発しながら生活しているのに、楽器の演奏に精通している音楽家の中に即興演奏ができない人がいるということが私にはただただ不思議でならない…。


9.26の私と久保田修のコンサートに興味のある人はこちらをクリックして見てください。
http://www1.linkclub.or.jp/~flute/live.html


最近夜になるとよく聞くのがフクロウ

2009-09-15 00:00:38 | Weblog
の鳴き声。
「ホーホー」とまるで森の中にいるように家のすぐ前から聞こえてくる。目の前は森というわけではないけれどわりと木々が茂っているのでちょうどその中にいるような感じがする。以前この木にはキツツキが巣を作っていたのだけれど、最近キツツキの姿は見かけない。
フクロウの鳴き声と聞くとすぐに映画『ツインピークス』を思い出してしまう。
ちょっと不気味な生き物だけれども、フクロウの耳はちょうどレーダーのようになっていて夜でも獲物をちゃんととらえられるという(フクロウは目で見ているわけはなく耳で見るような感じ)。フクロウの耳は左右が対象にはついていないので時間差で来る音を計算して獲物の位置を的確にとらえるのだと言う。いわばステレオ効果のようなものだろう。
左右の耳にまったく同じに音が到達すると私たち人間もその音源の位置を正確に判断することはできない(モノラルのスピーカーだと音源はいつも真ん中だ)。多少のズレから音源の位置や高さを知ることができるのだが、倍音の少ない音はその位置の判断をよく誤る。携帯電話の音なんか右の方から聞こえてくると思ったら実は左の方だったみたいな経験はたくさんある。だから、フクロウの耳は、その位置判断能力を最大限に高めるために左右の耳の位置が意図的にずらされているということなのだろう。人間の耳もそうすればよかったのにといつも思うけど、よく見ると人間の耳だってそれほど左右対称なわけでもない(ような気もする)。

今夜はフクロウだけでなくタヌキにも出くわした。
タヌキに出会うのはそれほど珍しいことではないけれど、出くわすとなんだか嬉しくなってくる。別にタヌキに愛想があるわけではないのだけど、けっこうユーモラスなやつなので心がちょっとだけ和む。
でも、いつも思うのはタヌキとムジナの違い。「同じ穴のヌジナ」というけれど、ムジナという動物は本当は「ハクビシン」のことなのか?「アナグマ」のことなのか?それとも「タヌキ」自身のこなのか?けっこうナゾだ。
自分で穴を掘れないタヌキが他の動物の穴蔵に入り込んで生活することから言われたことわざだが、うちの近くのタヌキは一体どこに住んでいるのかナ?
「こわいもの見たさ」で一度探ってみたいような気もするが。


さわやかな秋晴れ

2009-09-10 10:07:06 | Weblog
まだ遠くでセミの声は聞こえるけれど、空気も空の雲もすっかり秋になっている。
水平線が冬のようにくっきり一本の線になっていないのはまだ大気に暖かさが残っているせいだろう。
海を行き交う船の数もいつも通りかなりの数になっている。
先週末から昨日まで毎日打ち合わせやらコンサートやらが続いてあわただしい東京の日々を過ごしていたので今日の朝の日差しに「やっぱり伊豆の朝はいいナ」と、布団を干して網戸を全部洗って干してベランダでコーヒーを飲みながら昨日打ち合わせでもらった映画の台本を読む(このロハスな感覚を味わえることが伊豆での生活の最大のメリット)。
身体も少しずつ回復してきている。
8月のコンサートが終わった直後にひいた風邪の後遺症の咳はまだ完全に抜けないけれど、今月末にも荻窪でコンサートが控えているので早くこの咳を克服しないとと思うもののこれは薬ではどうにもならずひたすら時間をかけて体力の回復するのを待つしかない。
それにしてもやはり音楽の世界というのはいつも狭いと思っているけれど、一昨日も雑誌の仕事でビリーバンバン(この名前を聞いて懐かしいと思う人も多いだろうが、彼らは最近「いいちこ」のCMソングなんかでかなり人気だ)をインタビューしに青山一丁目のユニバーサルに行くといつもの宣伝担当のT氏はおらず編集部のMさん(この編集部は編集長を初めスタッフはほとんど女性)とコーディネート会社のSさんだけ。
「Tさんはまだですか?」と私が聞くとMさんは「Tさんはクラシックだから、今日は違う人よ」と軽くいなされる。
ああそうかと思いつつどんな宣伝担当の人が現れるかと思っていたら「なんだY子ちゃん」と思わず叫んでしまった。
Y子ちゃんというのは、彼女がまだ中学生の頃私が昔ソルフェージュを教えていた近所のお嬢さん(彼女はK音大のピアノ科を卒業した子だ)。以前からソニーの宣伝をやっているという話は聞いていたけれど、まさかこんなところで出くわすとは!
やはり世間は狭いし、音楽業界は本当に狭い。ソニーにいるとばかり思っていた彼女が今はユニバーサルにいる(まあ、レコード業界なんて昔からそんなものだけど)。
でも、自分の昔の教え子が自分の仕事のアーティスト担当、なんてシチュエーションはやりにくいと言えばけっこうやりにくい。私の書いた文章を彼女がチェックすることになるわけだ…ハハハ。


さるすべりは百日紅という漢字が

2009-09-03 22:04:54 | Weblog
あてがわれるが、まさしく百日間ぐらいは有に花を開いているだろうと思う。ただし、普通は真夏に咲くこの花が、今のこの時期に見事に花を咲かせているところが多い(普通は紅い花だが白い花のさるすべりけっこう多い)。
天候不順が原因?なのかもしれない。今年の夏はきっとどこでも日照不足なのだろう。ウチで作っていた野菜もブルーベリーなどの果樹も昨年とは比べものにならないぐらいの不作だ。というか、ほとんど取れなかったと言った方が正確だ(ブルーベリーの実も何粒食べたかナ?程度。昨年はジャムにするぐらい取れたのに)。
普通だったら今頃はキンモクセイなどが秋の香りを充満させ始めている頃だ。まあ、それでも。ウチの前にあるヤマグリはイガグリ状態になっていてもうすぐ落ちてきそうな気配なので確実に秋は来ているし、ススキも目立ち始めている。
今こうしている間にも虫たちの鳴き声がウルサイほどに聞こえてくる。
やはり秋というのは何回経験しても物寂しい。
ただし、これから寒くなってくると空気が澄んできて海の色、空の色がもっともっとキレイになってくる。海と空を毎日大画面で見ている私としては(別にTVで見ているわけではないが)これからの季節が本当に楽しみ。満天の星というのもこれからの季節にしか体験できない自然絵巻だ。
それでも、アメリカではあれだけたくさん流れ星を見ていたのに日本ではほとんど流れ星を見ないのはやはり日本全体の空が明る過ぎるせいなのだろうか?

TVのない生活を

2009-09-01 22:02:50 | Weblog
伊豆では送っているが、TVがなくて困ることって皆無、だなと本当に思う。東京にいる時にはTVのある家にいるのでたまに見ることはあるけれど、見る価値のある番組はゼロ。最初はニュースぐらい見ないと…と思ったこともあったけれど、逆に最近はTVでニュースは見ない方がいいなという気もしている。
TVで見るニュースほどヤバイものもないなと感じるからだ。切り取られ編集された映像を見せられた寸瞬間に(しかも、繰り返し繰り返し)視聴者が真実を誤解するように作られているのがTVのニュースという気がしないでもない。
先日も懸念した通り今回の選挙で民主党が圧勝したのもメディアの報道があったからだろうと思う。それでなくても失態だらけの自民党にもともと勝ち目なんてまったくなかったのに、メディアの報道がそれに追い打ちをかけた結果だろうと思う。まあ、メディア自身が「正義の味方」にでもなったかのように錯覚しているのだから余計にタチが悪い。本当に日本のメディアはドンキホーテ以外の何ものでもないナ。

この民主党の圧勝のあおりを受けて国会議員の友人もあわや落選(?)になりかけたけど比例区で復活当選してヤレヤレだ。彼は、大学時代の友人だが、父親の地盤をそのまま受け継いだ二世議員の一人。県会議員を4期か5期やった後に国会議員に25、6才で出て当選して以来負けなしで選挙を戦ってきた男だ。本人に聞いても「選挙は絶対勝てるよ」と豪語していたのだが今度ばかりは、同じ選挙区にたてられた民主党の小沢チルドレンの一人(女性)にしてやられたようだった。でも、比例区で当選だけは果たしたのだからとりあえずは「オメデトウ」。ただ、野党になってしまったこの状況で今まで通りの政治活動ができるのかどうかは心配ではあるけれど。

台風11号がまさに東京に向かっていた31日の晩にある会食に青山のフレンチレストランに出かけた。
「何でこんな日に」とボヤきながら出かけたけれど、とても面白い集まりで台風のことなんかすっかり忘れてしまった。主催してくれたのはN生命の MDRT会員(何のことかわからない人も多いだろうが、要するに世界でもトップクラスの保険の外交員しか入れない名誉ある会の会員だということ。私もこれまでにこの名刺を持った人に二人しか会ったことがない)のキャリア女性。この人の友人が私の友人というややこしい関係だ(本当は全然ややこしくなくて、友達の友達は友達だというだけのこと)。それに、富山の老舗のせんべい屋さんの社長さん(この方が地元の町おこしを積極的にやられている方で、この人を私に紹介するという目的もあった)、そして、ミシュランガイドの鑑定人もやられていたフードコーディネーターのF氏(今は別のガイドブック作りとかに携わっていらっしゃるようだが)と、もう一人の「食育」をやっているフードコンサルタントN氏、という6人の会食なので、話題のとっかかりはもちろん「食べ物」のこと。会食場所となった青山のレストランもきっと「三つ星」クラスなのだろう(デザートはかなりおいしかった)が、オーナーシェフのM氏は若く気さくな人で彼ともすっかり意気投合してしまった。
全員ほとんど顔をあわせるのが初めてという会食でも話題は「食と映画と音楽」など文化的なところでかなり盛り上がり、とりあえず富山で「食と音楽のワークショップ」のようなものをやろうということでシャンシャンとなったが、私としては、「音楽と食」が結びついていることをこれほどよく理解してくださった人もこれまで会ったことがなかったので、このF氏の造詣の深さには敬服した次第(まだ40ちょっとぐらいでお若いのに)。

今日はもう既に伊豆に戻ってきてしまったが、明日以降またこちら(伊豆)でもいろいろなイベントなどの企画話で盛り上がっていくはずだ。
知り合いからフルムスのCD企画のお誘いもいくつかいただいているし、これからは本当に忙しくなりそうだ(新聞、TVのない生活の方がやはり正解だ)