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海軍中将小沢治三郎の評伝を読む

2019-02-25 11:28:15 | 日記
 日本海軍の中将だった小沢治三郎の評伝を読みましたた。著者は生出寿氏。生出氏は海軍兵学校出身で太平洋戦争の開戦当時の連合艦隊司令長官だった山本五十六の評伝で「凡将山本五十六」との題をつけた著作が注目を集め、それ以降日本海軍の提督の評伝を発表している方です。山本五十六を凡将と批判的に書いたわけで、山本五十六ファンからは相当の批判があったと思うのですが、それが逆に注目をあびることになったようです。

 さて小沢治三郎海軍中将ですが、日本海軍について知っている方でないとどのような人物かわからないと思いますが、太平洋戦争後半の機動部隊を率いた提督です。マリアナ沖海戦やレイテ決戦で空母部隊を率いて米海軍の空母部隊のおとりとなる作戦を指揮した提督です。もともとは水雷の出身なのですが、空母部隊の指揮をとった経験があり視野の広い方だったようで、水雷にだけ捕らわれることなく航空についても専門家以上に対応した提督です。

 小沢中将の確か一期上だったのが真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の機動部隊を指揮した南雲中将で、南雲中将も水雷の出身なのですが、航空についてはからっきし対応できませんでした。もし機動部隊の指揮官が小沢中将だったら戦争の様相はかなり変わっていたのではないかと思います。日本海軍は戦争になっても適材適所の処遇をすることなく、平時と同じ順送り人事をしていたため南雲中将のような航空に全く知識や理解のない提督が機動部隊を指揮するような状態にありました。

 小沢中将が南雲中将の後をついで機動部隊の指揮官になったのは戦局が日本が不利に傾いたときで、しかもラバウルの基地航空部隊が苦戦して消耗したため、機動部隊の航空部隊をラバウルに派遣する「い号作戦」「ろ号作戦」で空母に離発着できる隊員を消耗する結果となり、米国と比べて劣勢な機動部隊の戦力がさらに減るという厳しい状態に立たされました。

 そんな中で米海軍部隊がサイパン島に上陸してきたため、マリアナ沖海戦で米海軍と対決することとなり、小沢中将はアウトレンジ戦法をとりました。アウトレンジ戦法とは、日本海軍の戦闘機、艦爆、艦攻は米海軍の航空機と比べて航続距離が長いことから、米海軍機が日本海軍の機動部隊を攻撃できない距離から航空部隊を発進して米艦隊を攻撃しようという戦法です。

 ペーパープランとしては敵の航空部隊が届かない距離から一方的に攻撃できるということでしごく都合の良い戦法なのですが、それを実現させるには日本海軍の航空部隊の錬度が低すぎました。さらに米海軍の高性能のレーダーにより航空部隊が発見されてしまうと、米海軍は大量の戦闘機部隊を迎撃に向かわせて、マリアナの七面鳥撃ちといわれたように日本の攻撃部隊を粉砕してしまいました。米戦闘機の壁を突破できた攻撃機も米海軍のVT信管つきの砲弾で迎え撃たれ、ほとんど米海軍部隊に痛手を負わせることができませんでした。この結果からアウトレンジ戦法についての是非が議論されることになるわけですが、どのような戦法をとろうともその時点での日本海軍の機動部隊にとっては勝ち目はなかったといえます。

 ただ、当時としてはとにかく勝つためにどうするかということから生まれた戦法であり、戦後になって色々な情報がある私のような立場の者が、当時の小沢中将を批判するというのはフェアでない感じもしています。ということで、アウトレンジ戦法には批判もあるわけですが、当時の日本海軍の提督の中では小沢中将は指揮官としても人間的にも最も優れた提督であったと思います。ほんとうに真珠湾攻撃の時から南雲中将にかわって機動部隊の指揮をとってほしかったなと思うものであります。