鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

増えたマガン

2007-03-27 01:39:49 | 水鳥(カモ・海鳥以外)
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All Photos by Chishima,J.
マガン 2007年3月 北海道十勝郡浦幌町)


 例年より半月以上早く、2月の下旬に十勝川下流域に飛来したガン類はその後も増え続け、3月の半ばにはマガン約6500羽、ヒシクイ約4500羽と、昨年は3月末に記録したピーク時の数に早くも達した。すっかりお馴染みになったハクガンをはじめ、シジュウカラガンやカリガネといった珍種も観察されているようだ。従来、十勝川下流域のガン類はヒシクイが中心であると言われ、今でもそのように書かれたものを目にすることがある。しかし、実際には文頭に示したように、春にはマガンの数がヒシクイを上回っているのが近年の実態である。
ハクガン(中央の2羽)
2007年3月 北海道十勝郡浦幌町
周囲にはマガンやヒシクイの姿も見える。
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 十勝川下流域のマガンは、いつ頃からヒシクイを凌駕するほど増加したのだろうか?私はこの地域で定量的な調査を行っているわけではないので、明確な答えを出すことは難しい。それでも過去の野帳を紐解くことによって、何がしかの手がかりが得られるかもしれない。野帳に先立って、十勝地方の鳥類目録や野鳥の会の会報に当たると、昔からマガンの渡来地であった大樹の生花苗沼周辺では1980年代にも2000羽ほどが観察されているが、同時期の十勝川下流域では数例の、それも少数の記録があるにすぎなかった。


マガン(右手前の2羽)とヒシクイ
2007年3月 北海道十勝郡浦幌町
一見似ているが、嘴や頭の形状、模様等が異なる。体重は、マガンと亜種オオヒシクイとでは2倍ほども違う。
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 私の野帳で十勝川のマガンが最初に登場するのは、1994年4月10日、北海道にやって来て5日目のことである。探鳥地ガイド片手に、汽車と徒歩(!)で訪れた育素多沼の周辺で、226羽のマガンを観察している。事前に聞きかじった情報では、この地域はヒシクイが卓越するとのことだったので意外に覚え、ノートに記録したのを今でも覚えている。余談ながら当時の野帳を読み返していると、ガン類やハクチョウ類のような大型水鳥の群れが、あまりにも身近な場所で当たり前に見られることへの感動の字句に溢れている。


牧草地の大型水鳥(ヒシクイオオハクチョウほか)
2007年3月 北海道十勝郡浦幌町
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 その後90年代の後半にかけては数を記録していないが、マガンはこのエリアでの観察記録に頻繁に登場する。ただ、当時はあくまでもヒシクイがメインでマガンはまだ少数派だったように記憶している。1999年秋には「××沼にマガンが大量に入っていたのでカリガネを探したが、見つからなかった」とあり、翌2000年の春にはある場所でおよそ1500羽のマガンを観察している。そして、2年後の2002年3月25日には同じエリアで4000羽クラスの群れが見られたことを、やや興奮気味の筆致で書き留めている。

飛翔2点(マガン
2007年2月 北海道十勝郡浦幌町

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V字型に組まれた編隊が着陸態勢に転じた。
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 これらの情報をつなぎ合わせると、十勝川下流域では1990年代の半ばまでには定期的にマガンが飛来するようになり、90年代後半から2000年代の初めにかけて飛来数は爆発的に増加したことが窺える。この時期はちょうど、日本のマガンの大半が越冬する宮城県北部への本種の飛来数が、2万羽(90年代前半)から6万羽(2000年前後)へ、3倍に激増した時期でもある。個体数増加に伴って、道央の宮島沼やウトナイ湖などそれまでの中継地が過密状態になり、その一部が十勝川下流域へと分散・飛来したのかもしれない。元々いたヒシクイとは競合が生じなかったのか疑問であるが、マガンは牧草地や小麦畑などやや乾燥した環境で、ヒシクイは冠水したデントコーン畑や沼地など湿性の環境で採餌していることが多いことからも察せられるように、資源の利用の仕方を微妙に違えることによって上手く共存しているようである。


宮島沼(マガン
2006年4月 北海道美唄市
夕刻、周辺の農地で採餌していた群れが次々に、塒の沼に帰って来る。
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田圃での採食(マガン
2006年4月 北海道美唄市
東北地方や道央では、田圃での落ち穂拾いが採食行動の中心。十勝では見られない光景だ。
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*本稿は「十勝野鳥だより159号」(日本野鳥の会十勝支部)に寄稿した「いつから増えた?十勝川のマガン」をベースに、新たに書き直したものである。
(2007年3月26日   千嶋 淳)