バリ島に行ったときもそうでしたが、ネパール旅行中もヒンドゥー教特有のカースト制度についてあまり意識しませんでした。「被差別の食卓」の第四章「禁断の牛肉料理」を読んで、俄然興味が湧いてきました。
学校ではインドのカースト制度について習ったし、受験勉強のお蔭で、バラモン(司祭)、クシャトリア(士族)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)、という四階級の名前までスラスラと口に出るのですが、階級の中はさらに細かく細分化されていて、現実は想像以上に複雑なようです。
インドに行ってみると、バラモンやクシャトリアの人たちは、いろいろな新しい仕事に就いていました。例えば、インドでチャーターした車の運転手は、この二つの階級の人たちでした。一方、下位のカーストにおいては、職業自体が直接カーストと結びついていて、教育機会も少ないため、新しい仕事に就くことは難しいようです。例えば、フマユーン廟の前で、蛇使いの親子を見たのですが、彼らは蛇使いというカーストにあり、蛇使い自体が仕事でもあるので、時代遅れだからといって仕事をやめられないそうです。それから、四カーストの下にはアチュート(ダリット)という「不可蝕」の階級があり、デリー市内でもそれらしき人たちを見かけたのですが、人口にしてインド国内で一億人以上、つまり日本の人口ほどの人数が存在しているそうです。
蛇使い
カースト制度自体は、紀元前13世紀、なんと三千年以上前にアーリア人のインド支配に伴って、古代ヒンドゥー教であるバラモン教とともに制度化されたものです。この複雑な制度が現在まで脈々と生き延び、憲法で禁止されているにもかかわらず、その社会生活に対する影響がいっこうに衰えていないのは、制度維持の仕組みがヒンドゥー教という「宗教」に巧妙に組み込まれているためです。カーストは親から子へ、子から孫へと受け継がれ、現世で別のカーストに移ることは許されません(イスラム教徒など他の宗教に鞍替えすることはできますが)。結婚にしても、他のカーストとの間で行われることはありません。こうしてカーストの制度維持が図られてきたのです。ヒンドゥーの教えは、人々に対して、前世の結果である自らのカーストを受け入れて、現世で宗教に従って善行を積む(高位カーストに仕える)ことで、来世はより高いカーストに生まれ変わることができると説いています。現実を容認して疑問を挟む余地を与えないようにしてあるようです。
「被差別の食卓」にも述べられていましたが、征服者アーリア人がインドに持ち込んだ古代ヒンドゥー教においては、四つ足の動物を食べる行為が「不浄」とされ、被征服者である先住民族にそれらを食べないよう強制したようです。しかし先住民族がこの教義を守らなかったため、四つ足の動物に関わる人々を「不浄」で「卑しい」カーストとして見せしめにすることで、先住民族の精神世界に「浄・不浄(穢)」「尊・賎」の思想を植え付け、四つ足の動物を食べる禁忌を広めたわけです。この禁忌は仏教思想にも組み込まれて、中国・朝鮮半島を経由して日本にまで広まったとのこと。
学校ではインドのカースト制度について習ったし、受験勉強のお蔭で、バラモン(司祭)、クシャトリア(士族)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)、という四階級の名前までスラスラと口に出るのですが、階級の中はさらに細かく細分化されていて、現実は想像以上に複雑なようです。
インドに行ってみると、バラモンやクシャトリアの人たちは、いろいろな新しい仕事に就いていました。例えば、インドでチャーターした車の運転手は、この二つの階級の人たちでした。一方、下位のカーストにおいては、職業自体が直接カーストと結びついていて、教育機会も少ないため、新しい仕事に就くことは難しいようです。例えば、フマユーン廟の前で、蛇使いの親子を見たのですが、彼らは蛇使いというカーストにあり、蛇使い自体が仕事でもあるので、時代遅れだからといって仕事をやめられないそうです。それから、四カーストの下にはアチュート(ダリット)という「不可蝕」の階級があり、デリー市内でもそれらしき人たちを見かけたのですが、人口にしてインド国内で一億人以上、つまり日本の人口ほどの人数が存在しているそうです。
蛇使い
カースト制度自体は、紀元前13世紀、なんと三千年以上前にアーリア人のインド支配に伴って、古代ヒンドゥー教であるバラモン教とともに制度化されたものです。この複雑な制度が現在まで脈々と生き延び、憲法で禁止されているにもかかわらず、その社会生活に対する影響がいっこうに衰えていないのは、制度維持の仕組みがヒンドゥー教という「宗教」に巧妙に組み込まれているためです。カーストは親から子へ、子から孫へと受け継がれ、現世で別のカーストに移ることは許されません(イスラム教徒など他の宗教に鞍替えすることはできますが)。結婚にしても、他のカーストとの間で行われることはありません。こうしてカーストの制度維持が図られてきたのです。ヒンドゥーの教えは、人々に対して、前世の結果である自らのカーストを受け入れて、現世で宗教に従って善行を積む(高位カーストに仕える)ことで、来世はより高いカーストに生まれ変わることができると説いています。現実を容認して疑問を挟む余地を与えないようにしてあるようです。
「被差別の食卓」にも述べられていましたが、征服者アーリア人がインドに持ち込んだ古代ヒンドゥー教においては、四つ足の動物を食べる行為が「不浄」とされ、被征服者である先住民族にそれらを食べないよう強制したようです。しかし先住民族がこの教義を守らなかったため、四つ足の動物に関わる人々を「不浄」で「卑しい」カーストとして見せしめにすることで、先住民族の精神世界に「浄・不浄(穢)」「尊・賎」の思想を植え付け、四つ足の動物を食べる禁忌を広めたわけです。この禁忌は仏教思想にも組み込まれて、中国・朝鮮半島を経由して日本にまで広まったとのこと。
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