21世紀の徒然草

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第94回「21世紀の徒然草」

2009年08月13日 | Weblog
鵜鷺(うさぎ)小学校:人生の起点


先日は、新渡戸稲造(1862-1933)「武士道」(矢内原忠雄訳、岩波文庫)(1938年) の最終章(17章)を読み終えた。月一回の読書会で通読に2年を要した。ほのぼのとした達成感である。これは参加者一同の気持ちでもあろう。次は「余の尊敬する人物」(矢内原忠雄著、岩波新書)(1940年)の「新渡戸博士」の章「1.入學式演説 2.新渡戸博士の教育精神 3.一高校長を辞した時 4.晩年」を4回で学ぶ予定である。矢内原忠雄(1893-1961)は南原繁(1889-1974)の後の東大総長で、あらゆる点で最も真髄的な新渡戸稲造の継承者であろう。


北海道新聞(7月31日夕刊)が送られてきた。『クラーク精神と「がん哲学」』と題して「最近、昨年9月に秋山記念生命科学振興財団(札幌)が開催した講演会記録が、ブックレットとして発行された。講演者は樋野興夫氏。——昔、経済学者の矢内原忠雄が札幌で講演をした時に、師である新渡戸稲造がクラーク博士の精神を受け継いでいる「札幌の子」であるならば、私(矢内原)も同じだと言ったことに着目して、新渡戸を尊敬する樋野先生はご自身を「札幌の子」と言い切る。——」(大沼芳徳氏)と紹介されていた。「北海道新聞の記事、さすが新渡戸博士に絡んだコメントですね。「札幌の子」さすがです。クラーク博士→新渡戸→矢内原→樋野と受け継がれた精神を感じます。」の感性あるコメント(秋山正子氏)には大いに感激した。因みに第5回南原繁シンポジウムの記録集の新刊「真理の力—南原繁と戦後教育改革」(南原繁研究会編 to be出版)(2009年)も一読されることを薦める。


先週は家族で帰郷した。母校の鵜鷺小学校(現在全校生徒8名:鵜峠と鷺浦の中間に位置する)では講演会「ようこそ先輩ー樋野興夫さんファミリーとの交流会ー」が企画されていた(8月4日)。生徒、教員全員の出校日である。藤原恵子校長に頂いたプラグラムには「鵜峠地区出身の樋野さん一家と交流することを通して、アメリカでの生活を始め、幅広く世の中の様子を知り、その人たちの生き方にふれる。卒業生とお話をすることで当時の小学校の様子を知り、愛校心をもつことができる。」と書かれていた。教室に入るのは、卒業以来40年以上の歳月が流れている。しばしの想い出に耽った。卒業式で聞いたクラーク博士の「少年よ、大志を懐け」の記憶が鮮明に残っている。人生は継続的である。生徒による歌、我が子の話、wifeの話、筆者の話の後、全員で記念撮影を撮った。筆者の父(88歳)、母(86歳)も参加してくれ生涯の想い出となった。