21世紀の徒然草

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第43回「21世紀の徒然草」

2007年04月23日 | Weblog
「盆栽」から「大樅の林」へ

 縁あって、映画プロデューサーの方と知り合いになり、作品のビデオを頂いた。先日お目にかかった際、「吉田富三の生涯をぜひ映画化してください」と言ったが、半ば以上は本気である。ご長男の吉田直哉さんは元NHKのプロデューサーであるが、「まあ無理と思いますが宜しくお願いします」と仰せられた。ますます本気になった。映画化されることで具象化したイメージが喚起され、最近の「がん対策基本法」の方向性、「医学教育」の在り方、「医療問題」の議論にも寄与するところ大であろうと思うからである。まさに、「吉田富三の温故創新」である。個人的には、お茶の水にあり、現在閉鎖状態であるが、吉田富三の研究生活の「舞台」であった「佐々木研究所」の再興でもある。

 抽象的に述べてもわからないことが、喩えなどで具象的に語るとすぐに理解できることが多いものである。先日もある「プロジェクト」の戦略会議において「盆栽になるなかれ」と言った。その心は、「盆栽」は「常識的あるいは平均的にいい」ものだが所詮「形のいい箱庭的」なものであり、「旺盛な成長を意味しない」。
実はこれは、若き日に読んだ、矢内原忠雄の言葉である。「盆栽」とは言いえて妙である(「人間形成について」:1958年)。若き医学生には、矢内原忠雄が語る如く「盆栽」的な「円満な」小人物に安んじるより、自らの潜在的な能力を「見つけ出し」、「発見して」、「引き延ばして」、「発達・発展」してもらいたいものである。「教育の本質と教育者の使命」(1958年)がここにある。

 順天堂は「駿河台の丘の上」にあるが、筆者は、ここを医療の「盆栽」の住処から鬱蒼とした「森林」に変革しようというvisionに生きるものである。まさに医療の「大樅の林」(内村鑑三:デンマルク国の話)(1911年の講演)を夢見るものである。これこそ30年後の「お茶の水メディカルタウン」の青写真ではなかろうか。「世の改革者は、自らは改革されないで、改革されたところに住もうとする。よって、真の改革は出来ない」といろいろな分野で指摘される所以は、その殻を打ち破る意志が大事ということであろう。

 先週は、2年ぶりにかつての「新渡戸会」のメンバーと語らいの時をもった。話題が弾み、公開シンポの企画の話におよんだ。思えば、国連大学での2000年の「武士道発刊100周年」を記念するシンポ、2004年の「5000円札さようなら」を記念するシンポが筆者の脳裏に浮かぶ。一方で、「これからは何をするのにも困難な時代ですが、一度聞いて面白かった、では済まないので、明確な目的意識が必要だと思います」という意見もあり、「シンポジウムの根拠」を再確認する時でもあった。今年は「教育」をテーマとした「未来への架け橋」が時代の要請ではなかろうか?
 まさに、「新渡戸稲造」の「知恵」や「教養」にも学び、時代を的確に見据える時である。

第42回「21世紀の徒然草」

2007年04月15日 | Weblog
ちびた鉛筆で描く:人生の使命

 今週、人体病理病態学の須田耕一教授の定年退任記念祝賀会がパレスホテルで行われた。筆者は病理・腫瘍学の教授として発起人代表の任にあたり、「挨拶」をする機会が与えられ、「短い鉛筆」について語った。これは、今年、没後10年であるマザー・テレサ (1910~1997年) の言葉「私は、主のみこころを記すための短い鉛筆です」からの引用である。

 思えば、学用品を入手するのも容易でなかった田舎で育った少年時代、「物を大切する」を美徳として「ちびた鉛筆」を我慢強く、丁寧に使用し、宿題を完成したものである。所詮、人生は「ちびた鉛筆」であろう。問題は「何」を描くかである。これが、各々の使命であろう。筆者を順天堂に呼んで下さった須田耕一先生が描かれた「病理学」の一端を語った。運命的な出会いすら感ずる。大学に来た際、理事長・学長である小川秀興先生に「学生に大いに新渡戸稲造、吉田富三を語ってくれ」と激励されたのも「摂理的」な思いである。

 当日の朝、「そろそろ順天堂人として佐藤泰然、尚中、進を頼むよ」と理事長・学長に言われた。建学の原点を顧みるとき、どの大学でも創立者の理想をたずねなければなるまい。順天堂開学は佐藤泰然 (1804~1872年) が江戸薬研堀の蘭方医学塾 (和田塾) として開いた1838年を以てする。当然福沢諭吉の慶応義塾より古い。順天堂の学祖は、福沢諭吉ほど一般の人には知られていないと思うが、1843年幕末、攘夷・洋学排斥の風潮があり、佐倉藩より要請を受け江戸より佐倉に移り、医学塾順天堂を開設し、「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と謳われ、佐藤尚中、松本良順、関寛斎、佐々木東洋などを育てた。そのオーナーシップを甦らせたいという理事長・学長の言葉に意気を感じた。「新渡戸稲造、南原繁、山極勝三郎、吉田富三だけではない」との気迫も感じた。筆者は、今までに原田明夫元検事総長らと「新渡戸稲造」を語らい、鴨下重彦東大名誉教授らと「南原繁」の読書会を通して勉強会の在り方の真髄を学んできた。これらは、「癌学」を学んだ癌研名誉所長の菅野晴夫先生から「同好の士」による勉強会は「悠々とした専門人の学び」として重要であると教わったことに「起始」がある。学祖を「ちびた鉛筆」で描く時期の到来かもしれない。

 「リーダーシップ」の強い人物はたくさんいる。しかしそれが本物であるためには「オーナーシップ」を兼ね備えなければなるまい。「リーダーシップ」は自分の置かれた地位によっては比較的容易に示すことは出来よう。しかし、「30年後を見据えた」「胆力」のある「オーナーシップ」を持った「勇ましき高尚」なる人物は容易なことでは育成出来まい。

 筆者が「温故創新」で学んだ人物の共通項は、まさに「ちびた鉛筆をなめなめ、わが使命を果たさん」とした「志」の具象化された「姿」であろう。

第41回「21世紀の徒然草」

2007年04月11日 | Weblog
メッセージを発する胆力を養う

 先日、今年の医師国家試験の合格者が発表された。順天堂大学は堂々の全国3位に入った。やっぱり教鞭をとっているものとしては、責任もあり、安堵感がある。新年の箱根大学駅伝(優勝)に続いて、快挙である。先月の結婚披露宴の主役も無事合格され、筆者はwifeと合格祝に馳せ参じた。

 先週は、筆者は運営委員長の任にある「発生工学・疾患モデル研究会」の定例会に出席した。「再生医療に向けて、基礎から応用へ」のテーマで、最先端の研究の「現状と問題」をじっくり学んだ。最先端の研究を聴くことは楽しいものである。自らの学問領域を「静思」するのに大いに糧となる。

 8日の午後は地元・東久留米、西東京で「30年の医療の姿を考える会 市民公開シンポジウム・安心して暮らし続ける町をめざして:地域医療連携を進めるために」が開催され、筆者は、地元の住民でもあり「おわり」の挨拶を述べることになった。今回は地域の緊急的な要請もあり、主催者の秋山正子さんの熱意で、地元の医師、訪問看護ステーションやケアサポートの代表者、また在宅で看取りをされたかたをパネリストで参加し、みなボランティアで駆けつけてくださった。特に、KBFの「おばたりあん」の会の皆様の心意気、会場探し、準備に至るパワーには脱帽であり、涙なくして語れないものがある。ともかく盛会であった。ここにも新たな種が蒔かれたといってよいであろう。

 「30年の医療の姿を考える会」にとっては、今回は2月の聖路加看護大学での市民公開シンポジウムに続く第2弾であった。小さな波紋が大きく拡がる予感がする。参加者の反響は大きく、事務局には「講師の方々をすべて呼んで、講演してほしい」とのメールも届いているとのことである。時代の変化しつつあることを実感する。

 翌日は「女性の品格」(PHP新書)(20万部売れているとのこと)の著者で、昭和女子大学学長で共同参画研究所代表の坂東眞理子さんのお誘いで、霞ヶ関での夜の異分野の交流の会で講演する機会が与えられた。与えられたタイトルは、「新渡戸稲造の武士道とがん哲学」という「大胆」であり、「胆力」を要するものであった。昔って、東大教授であった新渡戸稲造が「専門センスよりコモンセンス」と言って、「陣営の外」に出て行ったことが脳裏に浮かんだ。

 「いかにメッセージを発する胆力を養う」のかは、何時の時代にも共通する課題であろう。