21世紀の徒然草

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第81回「21世紀の徒然草」

2008年10月22日 | Weblog
NHK「視点・論点」の反響—時の徴—

 15日夜のNHK教育テレビ「視点・論点」(16日総合テレビの再放送)に、「がん哲学」と題して「がん哲学外来」について10分間話する機会が与えられた。驚きである。「がん哲学」を最初に、公の活字にしたのは、確か2001年の日本学術会議の機関誌「学術の動向」であったと記憶している。これも時代の流れ、要請であろうか?

 普段の講演やインタビューのように人に対してではなく、カメラに語りかける難しさを思い知らされた。以前、「生命倫理」、「死生学」の衛生放送の講義を前期、後期の授業として、行ったことはあるのだが、今回は大いに緊張した。観ていただいた人からは、ちょっとした反省点も指摘してもらったが、おおむね好意的な評価をいただいた。感謝したい。

 「『視点・論点』の時、学会のためホテルにおりました。みんなで広い部屋に集まってテレビを拝見しました。さすが樋野先生です! 一同樋野節に感激していました。先生ならではの言葉に皆感激でした。」
 「昨日の『視点・論点』母と見ました。他にも、友人や兄弟から感想のメールをいただきました。先生の話し方のように、静かに、じんわりと、確実に広がっていく「がん哲学」。メディカルタウン構想もさらりと語っておられましたね。さすがです。」
 「10分の中に凝縮された中身の濃い番組でした。『がん哲学』を語る先生の風貌は意外とやさしげで、みなさん、安心したかもしれません(笑)。」

 その前は文化放送ラジオのゲスト出演(「がん哲学外来の話」:司会 女優の高木美保さん)や、宮崎県での「ホスピスケア市民公開講演会」に招待されたが、こちらはいつもの調子で話ができた。兎も角、今までとは違った「がん哲学」への反応を日増しに実感する。

 「先週土曜日朝、先生が出演された文化放送のラジオを聞かせていただきました。先生を見習い、『暇げな風貌』で患者さんと接することを目指しております。」

 「本当に患者さん(人間)が求めているのは、分かり易く、耳あたりの良い声や言葉ではないのかもしれませんね。先生の『死ぬという重要な仕事が残っている』という言葉には、健康体の私でも、はっと我に返る感じがいたしました。」

 「陣営の外」で日々気づかされ、勉強である。これが「時の徴」の学び方でもあろうか。

第80回「21世紀の徒然草」

2008年10月08日 | Weblog
吉田直哉さんを偲んで

吉田富三博士の長男で、NHKの名プロデューサーであった吉田直哉氏が先月30日、亡くなった(77歳)。こちらから送るFAXにはすぐご返事くださるのが常であったが、最近は間をおいてから返ってくることが多く、秘かに容態を案じていた。最後にFAXを送ったのは立花隆氏との対談『がん特別対論』(「がんサポート」2008年10月号)であった。これで端正で、丁寧な直筆のお手紙を見られなくなった。大変残念でもあり大いなる悲しみである。

吉田直哉氏との縁はもちろん、がん学の先達の父・吉田富三博士からであった。がんの術後、声があまり出ないときに、国立がんセンター名誉総長の杉村隆先生との『吉田富三を語る』対談をお願いしたところ、快く引き受けてくださった(『吉田富三の人間と学問』「Scientia」2002年4月、日本学会事務センター)。その翌年の吉田富三生誕100年記念事業にも、日本癌学会総会の(吉田富三生誕100年記念シンポジウム『がん研究の温故創新』では「父・富三の興味と関心」と題して講演を頂いた(『日本の科学者 吉田富三』(メデカルトリビューン社発行)や拙著『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ発行)の記念出版会にも積極的に加わっていただいた。尊敬する父親のことを控えめに、しかし素直に語る氏から、学問の偉業しか知らなかった吉田富三博士の人柄、温かみをひしひしと感じ取ることができた。

また、がん患者としての体験記も折にふれ語り、書き残されたことは、筆者の「がん哲学外来」構想に大いに刺激となった。冗談半分、本気半分に書いたことでも、励ましや共感をいただいたことでどんなに力を得たか計り知れない。順天堂大学での「がん哲学外来」の開設時にも、励ましのFAXを頂いた。思えば吉田富三・吉田直哉父子に、「恩」をいただいたといって過言でない。主著の1つ『私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った』(文藝春秋社 発行)は名著である。

「癌という、内なる生命系を顕微鏡で観察しつづけた父は、そこに望遠鏡を使って見るほうの宇宙と同じ宇宙を見て、「戸を出ずして天下を知る」ような思索を重ねたユニークな人物だった」(吉田直哉)。ここに筆者の『がん哲学』(to be 出版)の原点があり、生涯の出会いである。医療問題が盛んに議論される昨今、「医者自らが問題提起することが重要であり、また意見だけ述べて動かない評論家に終わってならない」(北川知行『日本の科学者 吉田富三』(メデカルトリビューン社発行)と考え行動した吉田富三・吉田直哉父子の思想は、まさに「温故創新」である。医療界のみならず教育現場にも必要な「胆力」である。

第79回「21世紀の徒然草」

2008年10月04日 | Weblog
一皮むけた医療

 わが尊敬する南原繁(戦後初代東大総長)のご長男、南原実氏(『沈黙の春』の訳者)は現在、東京と長野、秋田にそれぞれ居を構えておられる。東京におられる間はお招きいただくことがあり、いつも俗事を忘れる貴重な時間をご一緒している。実は近日、南原氏の肝いりで、北秋田市阿仁にて「これからの医療を考える―がんになっても、がんでは死なない―」市民公開講座が開催される。一皮むけた「地域の医療」について考える、まさに『メディカルタウンの地方(ぢかた)学』(to be出版)の個別実践である。

 2月の「30年後の医療の姿を考える会 市民公開シンポジウム」(聖路加看護大学)の記録集『メディカルタウンの地方学』が発刊されたのを受けて、出版記念会が催された。「遠方より朋きたる」頼もしい人たちが集った。時代の流れ・方向性を確認するひと時でもあった。

 『がん哲学外来の話』が小学館より発行されてから、いろいろ動きが出てきた。高松での日本産婦人科学会中国・四国合同地方部会総会には、「がん哲学外来—がん医療の隙間—」の特別講演に招かれた。島根県の出雲高校の同級生との再会の時であった。

 また、「横浜がん哲学外来」も先週スタートした。広島の患者会以来、院外に出て、『診察や治療でも、セカンドオピニオン』でもない、ただ患者やその家族と向き合うひと時をもった。「横浜がん哲学外来」事務局の溝口修氏の献身的な働きにはただただ感謝である。まさに「なすべきことをなそうとする愛」の実践である。「東久留米がん哲学外来」も今月スタートとのことである。さらに、今後の「お茶の水がん哲学外来」を含めた3拠点で、密に連携すれば、病院閉鎖型から地域開放型の医療の共同体を目指す「メディカルタウン」の「事前の舵取り」になる予感がする。

 先週は、お茶の水女子大学での公開講座「知ることは全ての第1-歩―アスベストとナノマテリアルを例題にして―」においては「アスベスト・中皮腫から発がんについて考える―先憂後楽—」。日本人類遺伝学会(横浜)のシンポ「がんオミックス研究の成果とその臨床応用」では「遺伝性腎発がん研究からアスベスト・中皮腫への臨床応用—橋渡し研究の実例—」で、それぞれ講演の機会が与えられた。

 「リスク評価」、「リスクコミュニケーション」は古くて新しいテーマである。「山極勝三郎・吉田富三」を輩出した日本国は、化学発がんの創始国である。21世紀は「環境発がん」の予防・診断・治療で日本国は世界に貢献する時である。