21世紀の徒然草

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第40回 「21世紀の徒然草」

2007年03月31日 | Weblog

「若者は幻 (vision) を見、老人は夢 (dream) を見る」(使徒2:17)

 先週、霞ヶ関での講演会に招かれた。異分野の交流であり「Sense of proportion—がん哲学に学ぶ」のタイトルで講演した。土地柄、官僚の方が多かったようだが、「がん学」を学問的に追求しようとする筆者にとって、意識的に「陣営の外」に出るのは、それなりの覚悟はいる。それが逆に、ほのぼのとした緊張感と集中性を与えてくれるようでもある。

 最近、教育改革の必要性が盛んに叫ばれているが、「何を言ったかでなく、誰が言ったか」が、教育の原点であろう。ある参加者は「『ほっとけ』の言葉がストレートに響きました。 複雑化を求める現代で、晴れやかな言葉をききました。個人的な悩みも吹っ飛んでしまいました」と感想を寄せて頂いた。他ならぬ癌の研究者が『ほっとけ』と言うのは、講演でないと真意が伝わらない恐れがあるかもしれないが、幸い理解してもらったようだ。我々の日々の生活を静思すると「少ないつもりで多いのが無駄」の現実性を痛感する。

 また、今年1月に横浜での講演会に招いて下さった溝口修さんが、知人の中国人にわが『がん哲学』(to be出版)を中国語化するようお願いされ、このほど完成し今週メールで送って下さった。訳者の方からは「ふるい言葉が多くて手間取りましたけど、とても勉強になりました」と寄せてこられたようで、涙なくして語れない。中国語を解さない筆者には、残念ながらその出来ばえはわからないが、その労を多としたい。新渡戸稲造の「武士道」の多国の訳の比ではないが、出版が実現すれば「夢の如し」である。

 今週は、日本衛生学会総会(大阪)で「アスベスト・中皮腫の血液診断マーカー」の講演、信州大学での国際シンポジウムで「日本の予防医療と医学教育」の講演、「肝炎と肝がん」に関する国際会議(京都)では「Environmental carcinogenesis revisited」と講演が続いた。それぞれテーマは違うが「当然語るべき語り方で、はっきり語れるように」(コロサイ人への手紙4 : 4)と心がける日々である。新幹線の中は「洞窟」の如く「勉強部屋」に化す。

 松本の街では、NHKの大河ドラマの故か「風林火山」の旗が路面に目立った。孫子の「其の疾きこと風の如く」、「其の徐なること林の如く」、「侵掠すること火の如く」、「動かざること山の如し」である。2500年の時代を超えて心を動かすものがある。

 大きな節目、大転換期とも思える最近の時勢は、「乱世」に生きた歴史上の人物の「長期的視点」と「静かな意志力」と「胆力」の根拠の学びの時へと導く。まさに、「若者は幻 (vision) を見、老人は夢 (dream) を見る。」(使徒2:17)時代の到来ではなかろうか。

第39回「21世紀の徒然草」

2007年03月19日 | Weblog
教育のがん化の兆し:緩慢な変化

 この週末は一般の方を対象の講演が続いた。まずは「第2回明治薬科大学・順天堂大学連携講座」に演者の一人として参加した。筆者は「環境発がん(アスベスト・中皮腫)」、他の講師のテーマは「オゾン層破壊と紫外線」「ダイオキシン、PCB」と、いずれも社会的関心の高かったためか明治薬科大学の講堂は満員であった。決して交通の便がいいとはいえない会場であったが、こうした「胆力」ある催しを続ければ大学としての存在感も増すであろう。これからの大学としての社会貢献の在り方である。

 翌日は今話題の宮崎へ、「青少年・市民公開講座~次世代に伝えたい、がんの正しい情報と知識」での、基調講演「癌学事始」のため赴いた。高校生をはじめ、若い人が多く参加されていた。筆者にとっては、この種の公開講座は、昨年の文科省主催の徳島での高校生への講演につづき2度目である。今回の公開講座は「ホームホスピス宮崎」の市原美穂さんが、宮崎の教育委員会、医師会などの後援を得られて、企画されたものであり、市原さんの要請に「意気に感じて」向かった次第である。高校生に対しての新しい視点の「教育」の在り方である。「教育」の「風貌」に重みが無くなり、「教育のがん化」の兆しの現代に生命現象から具象化した人生の「出会い」は、しばしの「先人の立ち聞き」であっても将来の糧になることであろう。ちょっとした「緩慢な変化」は20年、30年後に「表現型」として明白になるものであることは、「がん哲学」(to be 出版)の基本である。

 また、開業されているご主人の市原先生との出会いも大いなる収穫であった。まさに現代の「赤ひげ」的なホームドクターである。さらに医師会病院の緩和ケア病棟を見学する機会が与えられたことも貴重な経験であった。夜は、他の講演者、スタッフ、ボランティアの人々と楽しい食事会の時を持った。新しい友の形成である。「人生いばらの道、にもかかわらず宴会」は、個別的な実感であり、人生の普遍的な真理でもあろう。

 実は、筆者にとっては、宮崎県は初めての訪問であり、水平に拡がる日向灘を見ながら、空港路はフエニックスをはじめ、異国情緒があった。「古事記」、「日本書紀」ゆかりの神話伝説のある宮崎は、同じく神話の出雲大社に生まれた筆者には、なにか親近感を覚えるのを感じた。さっそく、空港の書店で宮崎の歴史に関する本を購入し飛行機の中で読んだ。

 宮崎県といえば、明治時代の外交官として活躍した小村寿太郎の生誕地でもある。その宮崎で「外務大臣になられたら?」と冗談に言われた。「余をして外務大臣たらしめば」(内村鑑三:『われ21世紀の新渡戸とならん』28−29ページ参照(イーグレープ発行))の言葉がほのぼのとして甦った今回の宮崎の旅であった。

第38回「21世紀の徒然草」

2007年03月13日 | Weblog
洞察力の根拠:すべてのわざには時がある

 土曜日は医学部の卒業式を迎えた。順天堂に赴任する際、「新渡戸稲造や南原繁、山極勝三郎や吉田富三を語って学生の医学に対するモチベーションを大いに高めてくれ」と冗談のつもりで言われたこと思い出した。今回の卒業生には、実際「新渡戸稲造や南原繁、山極勝三郎や吉田富三」を本気で語った。その彼らが将来どのような医師になるか楽しみでもあり、責任も感ずる。「意識的にはみ出した」授業は、全力投球であり、真剣勝負であり、緊張感もある。その卒業生から筆者は、今月末の結婚式の披露宴で主賓として挨拶を頼まれた。恥ずかしくもあるが、一方で、教育に従事する者としては、ささやかな喜びでもある。

 その週には第4回「新渡戸・南原賞」の選考会が開かれた。正式な発表はまだであるが、今回は新渡戸・南原それぞれの郷里(岩手県、香川県)の関係者に贈られることが決まった。6月4日の国際文化会館での授賞式では、日本の枠にとどまらないスケールをもった教育者「新渡戸・南原」が故郷で如何に育まれ、また迎えられ後世に継承されたかを聞くことが出来るのではないかと今から楽しみである。

 郷里と言えば、島根県出雲大社の実家から「島根県立古代出雲歴史博物館」の開館を記念して特別展があり親戚、近所の皆で行ったとの連絡があった。さぞ賑やかであったろうと状況が目に浮かぶ。「郷里」は何故か思想、信条を超えて人間として懐かしく思う。新渡戸稲造と柳田國男が提唱した「地方(ぢがた)学」をしみじみと感ずる今日この頃である。

 気がつけば、筆者にとっては東京の生活は郷里の期間よりも長くなった。都心では「お茶の水メディカルタウン」を夢見て、住まいに近い明治薬科大(清瀬市)では来週は公開講座「環境と病気」に参加し、来月8日には「保谷こもれびホール」で市民公開シンポジウム「安心して暮らし続ける町をめざして―地域医療連携を進めるために」に参画することになった。これも、「地方(ぢがた)学」の筆者なりの実践でもあろう。

 「すべてのわざには時がある」ことが、「実際」の経験によって「活ける事実」として洞察される日々である。

第37回「21世紀の徒然草」

2007年03月05日 | Weblog
生きがいの拠点:大志を抱け!

土曜日の午後、山下公園の見える横浜で、精神科の先生方を相手に講演を行った。同じ医学者とはいえ、精神科の先生相手は初めての経験であった。どこまで通用するかと思っていたが、「昨日は、示唆に富んだお話を聴かせていただき、大変元気が出ました」、「先生の穏やかなお人柄とお話には深く感銘を受けました。最後の質問へのお答えも感激しました。早速、寝る前の30分読書についてこどもに話しました」との暖かいメールを早速頂いた。「がん哲学」には精神科の先生も関心をもってくださったようである。涙なくして語れない。

精神科医で思い出すのは、神谷美恵子(1914―1979)である。若き日に読んだ、「生きがいについて」が甦ってきた。神谷美恵子と言えば、文部大臣も務めた前田多聞の娘であり、幼い時、新渡戸稲造にも近く接し、内村鑑三につらなる三谷隆正 (1889―1944) に師事した人物である。現代は、まさに老若男女を問わず「生きがいの拠点」を切に探し求めているのではなかろうか。

今日は白十字訪問看護ステーション所長の秋山正子さんが東久留米に来られた。先日のシンポジウム「メディカルタウンの青写真を語る」を聖路加看護大学で主催していただいたが、今回は「東久留米メディカルタウン」構想のために、東久留米の「おばたりあん(自称:妖精)がん哲学講座」の皆様と語らいの時をもたれた。秋山さんは「眠れるパワー」を上手に引き出され、「新たな生きがい獲得への道」を具象化して提示された予感がする。その証拠に、今春、東久留米市近辺で公開シンポジウム「安心して暮らし続ける町をめざして ~地域医療連携をすすめるために~」が「おばたりあん」の主導で企画されることになった。時代は方向性をもって、着実に動いているようである。

筆者は、娘の誕生日で家族との食事の為、途中退席したが、話は遅くまで盛り上がったようである。帰宅後、久しぶりに神谷美恵子に関する本を読んだ。「精神的に母たれ」の言葉に、宮崎市で青少年の為に講演会を企画されている市原美穂さんの「かあさんの家」を思い出した。大地にしっかりと立って、「尺取り虫運動」の原理で、「我慢強く、丁寧に」活動を展開されているのは、神谷美恵子であれ、秋山さんであれ、市原さんであれ、皆女性であるのは、いつの時代も変わらぬ「生きがいの公理」であろうか?「男性よ大志を抱け!!」が聞こえて来そうな今日この頃である。