「若者は幻 (vision) を見、老人は夢 (dream) を見る」(使徒2:17)
先週、霞ヶ関での講演会に招かれた。異分野の交流であり「Sense of proportion—がん哲学に学ぶ」のタイトルで講演した。土地柄、官僚の方が多かったようだが、「がん学」を学問的に追求しようとする筆者にとって、意識的に「陣営の外」に出るのは、それなりの覚悟はいる。それが逆に、ほのぼのとした緊張感と集中性を与えてくれるようでもある。
最近、教育改革の必要性が盛んに叫ばれているが、「何を言ったかでなく、誰が言ったか」が、教育の原点であろう。ある参加者は「『ほっとけ』の言葉がストレートに響きました。 複雑化を求める現代で、晴れやかな言葉をききました。個人的な悩みも吹っ飛んでしまいました」と感想を寄せて頂いた。他ならぬ癌の研究者が『ほっとけ』と言うのは、講演でないと真意が伝わらない恐れがあるかもしれないが、幸い理解してもらったようだ。我々の日々の生活を静思すると「少ないつもりで多いのが無駄」の現実性を痛感する。
また、今年1月に横浜での講演会に招いて下さった溝口修さんが、知人の中国人にわが『がん哲学』(to be出版)を中国語化するようお願いされ、このほど完成し今週メールで送って下さった。訳者の方からは「ふるい言葉が多くて手間取りましたけど、とても勉強になりました」と寄せてこられたようで、涙なくして語れない。中国語を解さない筆者には、残念ながらその出来ばえはわからないが、その労を多としたい。新渡戸稲造の「武士道」の多国の訳の比ではないが、出版が実現すれば「夢の如し」である。
今週は、日本衛生学会総会(大阪)で「アスベスト・中皮腫の血液診断マーカー」の講演、信州大学での国際シンポジウムで「日本の予防医療と医学教育」の講演、「肝炎と肝がん」に関する国際会議(京都)では「Environmental carcinogenesis revisited」と講演が続いた。それぞれテーマは違うが「当然語るべき語り方で、はっきり語れるように」(コロサイ人への手紙4 : 4)と心がける日々である。新幹線の中は「洞窟」の如く「勉強部屋」に化す。
松本の街では、NHKの大河ドラマの故か「風林火山」の旗が路面に目立った。孫子の「其の疾きこと風の如く」、「其の徐なること林の如く」、「侵掠すること火の如く」、「動かざること山の如し」である。2500年の時代を超えて心を動かすものがある。
大きな節目、大転換期とも思える最近の時勢は、「乱世」に生きた歴史上の人物の「長期的視点」と「静かな意志力」と「胆力」の根拠の学びの時へと導く。まさに、「若者は幻 (vision) を見、老人は夢 (dream) を見る。」(使徒2:17)時代の到来ではなかろうか。