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Deep City 横須賀

横須賀市の地域ガイドブログ 観光やグルメ&おいしい!おすすめのお店紹介 ニュースやイベント基地情報も

★念願の松輪のサバ(さば)★松輪漁港★エナヴィレッヂ★西の関サバ東の松輪★

2007-11-13 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
天気の良かった昨日。三浦方面へお寺めぐりもかねて出かけた私は、お昼過ぎに
松輪漁港付近にいました。お腹が空いたので、ちょっと遅めの昼ごはんを食べようと
向かったのが『エナヴィレッヂ』。何の情報も持たず、ふらりと寄ったのが漁協直営のお店という
ラッキー。松輪といえば、近年ブランド化してなかなか食べれない“松輪サバ”!
ここだったら食べれるかな?と期待しつつお店に入ります。


船着場からすぐの場所にあり、目の前は広い駐車場。なかなか目立つ建物です。
1階は釣具や釣りえさなどを扱うお店になっています。



そしてすぐ目の前にはこんな光景が。


 
2階へ上がると、食事のできるお店になっています。松輪のサバがなかったら引き返そうと
思っていたのですが、「ありますよ~」と。メニュー(左)を見ていると「こちらがおすすめです」と
指された先には『とろさば炙り刺身』と。“とろ!(松輪の)さば!炙り!刺身!”と
うまそうなキーワードがすべて詰め込まれた名前に迷わず「じゃあこれを!」
お会計は前払い、「2500円になりま~す」「え?2500円?高ぇ~(心の中で)」
“松輪のサバだからこれくらいは安い安い!”と自分に言い聞かせながら待っていると、
ついにサバ参上!(右)ご飯、汁、小鉢、香のもの、デザートがついてきます。



うっほ~!これが念願の松輪のサバ!ではでは、さっそくいただきます!
表面をかるくあぶってあるので、皮の食感もよく脂もじゅわっと。
身は通常出回っているサバよりもやはり大きい。口に入れるとトロッととろけます。
じゅわっとトロッと口でさっととけてる松輪サバですが、一緒に出てきたもみじおろしと
ポン酢で食べるとさっぱりとして、これまた美味しい。
今まで食べてきたサバは何だったのだろう?これはブランドになるべくしてなったサバだと納得。
これは高いお金を払ってでも、一見いや一食の価値はありますよ~!


 
店内席の他にもテラス席があります。天気のいい日は外で食事もいいですね。
この日は大島がよく見えました。


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『地魚料理 松輪』
三浦市南下浦町松輪264
046-886-1767
営業時間 11:00-16:00 
定休日 火曜日
食べログ→松輪
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今月(11月)いっぱいは獲れるのではと店員さん。事前に電話確認するのが確実。
ただひとつの気がかりが、お寺巡りに行くと言って出てきたので、今回は私一人。
自分だけ美味しいものを食べるのは、うちではご法度。それもかなり危険な・・・。
カミさんに食べたことを黙っているか、危険を冒して言うか・・・気の重い帰り道・・・。


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そうだ!横須賀に行こう!

★海蔵寺★三浦観音第32番札所★三浦市三崎町小網代★

2007-09-13 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
三浦半島札所巡り。今回は三浦観音の第32番札所となっています『海蔵寺』です。
場所は三浦市三崎町小網代。油壺手前を小網代湾の方へ出て、ちょっと中に入った所です。
(下記地図を参照くださいませ。撮影2007.1.1)


まず目に飛び込んでくるのが、この長い階段。108段あるそうです
もともとは『海蔵院』といい、この石段の下にあったといわれています。



石段を登ると目の前に本堂。本尊の十一面観世音は、三浦氏最後の武将三浦道寸の守護仏。
創建は三浦道寸とその息子荒次郎
三浦道寸が相模三浦氏最後の武将であることから、このお寺もその盛衰を共にします。
時は永正15年(1518)、北条氏の攻撃に耐え3年におよぶ籠城の末、新井城が落城。
家臣ともども討ち死にし、三浦氏の滅亡となります。その際、海蔵寺も跡形もなく焼けてしまいます。
時は流れ、徳川家康の時代。家康より命を受け三浦半島の各地を検地してまわった
長谷川七左衛門は荒廃したお寺を目にします。これを惜しんだ彼は、自らが開基となり、
お寺を復興させます。その際にお寺を丘の上に移築。長谷川七左衛門の故郷である、
駿河の富士山を遠く眺めることができたからだと伝えられています。
後、関東大震災によりお寺は全壊。現在の本堂は昭和4年に再建されたもの。



訪れた時には知らず、確認ができませんでしたが、本堂の左横に『道寸親子追悼の碑』が
建てられています。碑には道寸親子の辞世の歌が刻まれています。
また本堂正面には荒次郎首はねの説話を描いた絵馬が掲げられているそうです。





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◆山号寺号 網代山 海蔵寺 あじしろざん かいぞうじ
◆宗派 曹洞宗
◆創建 三浦道寸
◆中興開基 長谷川七左衛門
◆中興開山 直州変道 じきしゅうへんどう
◆本尊 十一面観世音菩薩
◆場所 三浦市三崎町小網代1508
◆電話
★十一面観世音菩薩★
◎十一面観世音菩薩の画像は→こちら  (参)Annie's Homepage
◎ご詠歌 『あじきなや あみにかからん われひとを たすけたまえと いのる身なれば』
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google画像検索→三浦 海蔵寺
google検索→三浦 海蔵寺
そらいろネット→三浦市三崎町小網代史跡巡り・観光名所案内


私が訪れた時にはまったく気がつかなかったのですが、階段の石柱の下に掲げられているのは
無断立ち入り禁止のような警告文があったものと思われます。
参拝される方はご注意くださいませ。

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そうだ!横須賀に行こう!

★港楽亭★まぐろラーメン★三浦市三崎★

2007-09-06 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
いつの新聞だったか分からない朝日新聞の切り抜きを持っています。タイトルは
『三崎マグロラーメンに(名物を生かせ 中華料理店挑む)』というもの。この記事を見てから
“まぐろラーメン”ってどんなの?と、素朴な疑問と興味がありました。とある日の午後、
横須賀の西海岸でお腹を空かしていた私は、ふと思い立ちます。「まぐろラーメンを食べに行こう!」
車を走らせ向かうは三浦市三崎。三浦に来たのは七福神以来か。


何の情報も持たず来たものですから、お店探しは難航するだろうと思っていました。
が、海を目前にしたロータリー近くで、すぐにお店を発見!(地図は下になります)
派手めな赤い外装に「港楽亭」の文字。まぐろがピースしてお出迎え。



夏休みも終わり、お昼の時間を外した夕刻。空いています。早速“まぐろラーメン”を注文。
「温かいのにしますか?冷たいのにしますか?」とお店の方。何!2種類あるのか!
私は一人・・・カミさんを連れてこなかったことを激しく後悔。
ここのところ涼しくなってきたので、気分は温かいのを食べたい感じ。
待っている間に店内を見渡すと、サインがいっぱい飾られています。
三崎は観光地だから、芸能人も多く訪れるのだなぁと思いながら、まぐろラーメンを想像します。
まさか刺身が乗ってるわけないし、あぶりまぐろだったらいける?デーンと鮪の頭が乗ってたりして。
まぐろのフライがのってるのかな?と楽しみに待ちます。



そして出てきたラーメンがこちら。ん?とってもシンプル!
麺はやや細めのやや縮れ麺。ツルツル、ちょっとノペっとした感じ。
まぐろの兜を17時間炊き出したスープをベースに鶏ガラも使っているようです。薄味のしょうゆ味。
具はネギとのり、ほうれん草、そして中央に位置する・・・これがまぐろか?
三浦の名物料理「さんが」をヒントにしたという、“まぐろのさんが”とのこと。
“さんが”は“なめろう”を焼いたものという私の認識。こんがり焼き目もついていて、
味もしっかりついています。焼き上がりをしょうゆのみで食べても美味しそう。
おでんの中に入れてもよさそうです。

三崎では和食やまぐろ料理店が繁盛する一方、苦戦する中華料理屋さん。
起死回生の“まぐろラーメン”。現在この“まぐろラーメン”を食べれるのは7店舗。
各お店で味や提供の仕方が違うようです。これは制覇してみたいですねぇ。


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『港楽亭』
三浦市三崎5-1-10
046-881-6135
営業時間 11:00~21:00 
定休日 水曜日
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食べログ→港楽亭
google画像検索→三崎 港楽亭
三浦半島のラーメン店→港楽亭
三浦半島へ行こう!→最南端、鼻をかきながら~港楽亭

またここ「港楽亭」は“フカヒレラーメン”でも名前が知られているようです。
こちらも機会があったら食べてみたいと思います。

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そうだ!横須賀に行こう!


★真光院★三浦不動明王第16番札所★三浦市小網代★

2007-06-30 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
三浦半島巡礼記。今回は三浦不動尊第16番札所となっております「真光院」へ行ってきました。
三浦市小網代にある「真光院」へは横須賀方面から行くと、「油壺入口」交差点を右折します。
道なりに進んでいくと右側にあります。

真光院@三浦市
ちょっと階段を上るとすぐに本堂があります。
本堂の目の前は、すぐお墓になっています。


真光院@三浦市
山号は「荒井山」



本堂に向かって左にある「観音堂」。こちらに観音菩薩が祀られています。
この観音像は、浦賀奉行与力の中島三郎助が将軍よりいただいたものだといわれています。
その観音像が三浦の小網代にあというのも不思議な感じがします。


真光院@三浦市
真光院にある庚申塔


真光院@三浦市


真光院@三浦市
画像クリックで拡大します。
三浦一族最後の当主、三浦義同ゆかりのお寺でもあったのですね。
また真光院の裏の坂道は「なもた坂」と呼ばれ、かながわの古道50選にも選ばれています。


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◆山号寺号 荒井山潮音寺真光院
◆宗派 浄土宗
◆創建
◆開山 治承4年(1180)入阿上人 
◆中興 生徳元年(1711)良呑上人
◆開基
◆本尊 阿弥陀如来立像
◆寺宝

◆場所 三浦市三崎町小網代536
◆電話 046-881-4796
◆アクセス
★大聖不動尊★
◎ご詠歌 『岩を咬み 岸打つ波は 荒井山 仏の姿 げにや尊さ』
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google画像検索→三浦 真光院
google検索→三浦 真光院

肝心の不動尊に関する情報を見つけられませんでしたが、
それは御開帳の年のお楽しみ、ということで。

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★当ブログ“三浦不動尊”特集★

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★真浄院★三浦地蔵尊第14番札所★原の身代り地蔵★三浦市★

2007-04-19 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島

三浦半島巡礼記。今回は三浦市栄町にあります『

真浄院

』へ行ってきました。
ここ「真浄院」は三浦地蔵尊、第14番札所となっています。
横須賀方面より下って三浦市へ入り、油壺入口交差点を過ぎ、信用金庫や銀行のある手前左手にあります。

真浄院@三浦市
道路に面して「真浄院」はあります。本尊は地蔵菩薩。
「地蔵菩薩座像」は三浦市指定重要文化財となっています。


真浄院 原の身代わり地蔵

以下写し
『当寺は真浄院と呼び、三浦の鎮守・海南神社の分離以前の寺で、海汐寺といった。本尊は地蔵菩薩であります。
 その昔、北条早雲の軍勢に攻められること3年、いまや兵糧も底をつき、刀折れ矢尽きた、新井城の三浦道寸義同は、永正15年(1516)7月11日、城兵一同自刀するか、城門を開いて、最後の決戦を交えるかで、衆議を重ねましたが、結果は決戦と決まり、その由を、三崎城に守備する将・出口茂忠に伝えるべく、伝令を出しました。 伝令を命ぜられたのが、原の川島吉隆の家臣・川島身七で、海を泳ぎ渡り、木陰をえらんで、敵兵の目をかすめ、苦労のすえ任務を果たしましたが、城に帰る道すがら、油壷の海を染めた血潮を見て、戦が終ったことを知りました。
 一方、北条勢は、一部の兵を新井城に残すと、三浦の残兵をとらえながら、三崎城に兵を進めました。身七は、山中を這うようにして、追手の目をのがれ、この地蔵堂の下にかくれていたが、運悪く発見され、首を落とされてしまいました。
 ところが、追っての兵が切ったのは身七の首ではなく、地蔵尊の首でありました。これは床下で身七が地蔵菩薩を念じていたので、いつか菩薩が身替りになってくれたのでした。
 その後、慈悲あふれる地蔵尊の徳を慕い、身七はこの地蔵堂で剃髪して、地蔵坊身七と名のり、新井城に散った道寸以下の人々の霊を慰めて、一生を送ったと伝えられます。』

真浄院@三浦市


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★名称 海汐山 真浄院
★場所 
★電話 
★地蔵菩薩★
◎地蔵菩薩の画像は→こちら(参)

三浦地蔵

尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『真こころに つくる浄土を みそなはす このみ仏の 有難きかな』

「海潮山 真浄院は臨済宗大椿寺末で、俗に「原のお地蔵様」「原の閻魔様」として知られています。
 本像は、安山岩製の丸彫像で、その法量の大きさから、荘厳な迫力が感じられます。
 一見して、阿弥陀如来のように、右手を上に向けた施無畏印を結んでいます。しかし、本来は右手に錫杖を持つ形をとっていたと思われ、破損した両手首はセメントで後補されています。
 首部は、ほぞ木によって体躯部に差し込まれ、寄木造りを連想させます。面貌は痛々しいまでに摩滅し、目鼻の部分は欠落して、特異な様相を呈しています。これは長い年月、地上に転落し、痛めつけられたことが推測できます。
 光背は、壷形光背で周縁部の中央、月輪の中には阿弥陀の種子(キリーク)と、地蔵の種子(カ)が左右に三つずつ彫られています。
 また、床下には四段の切り石が積み重ねられ、その上には見事な関東式台座があります。反花座の蓮弁は彫りも深く、花弁は力強く外に反り返っていて、安定感があります。 こうした台座、縦長の梵刻、面長の容貌等は、古い時代の彫刻技巧がみられ、制作年代は鎌倉時代末期頃と推定されています。」
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google画像検索→三浦 真浄院
google検索→三浦 真浄院
Wikipedia→三浦義同
★当ブログ“三浦地蔵尊”特集は→こちら


時代は鎌倉時代の三浦一族よりさらに後の、相模三浦氏の話。
「1516年新井城に籠もった三浦一族は北条早雲の大軍を相手に3年間にわたって奮戦するも、三浦道寸義同を始め将兵は討死に、残る者は油壺湾へ投身し、湾一面が血汐で染まりまるで油を流したような状態になったので後世「油壺」と言われるようになったとされる。」Wikipediaより抜粋
油壺の地名にはそんな由来があったのですね。
時代は違えども2度も“北条氏”によって滅ぼされた“三浦氏”。
これからもそんな新旧三浦氏の歴史をお伝えできれば、と思っています。

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★三浦海岸桜祭り★ 春の陽気に誘われて~河津桜~

2007-02-13 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
3連休の最終日、春のような陽気に誘われて、「三浦海岸 桜祭り」に行ってきました。
まだ満開には早い事は、他の方のブログ情報で知っていましたが、私の休みの日に
都合よく天気がいいということもないと思いますので、行ける時に行くのが一番!
ぽかぽか陽気に誘われて・・・



やはりここは定番ポイント。



この桜まつりには初めて行ったのですが、早咲きの「河津桜」の他に
菜の花や水仙が沿道に植えられていて、色合いがとてもきれいです。



この日は連休の最終日。多くの方が訪れています。



三浦海岸駅から小松ヶ池までの水仙ロード、菜の花、そして桜。





木によって咲き具合が違いますが3分~4分咲きでしょうか



京急の線路沿いなのですが、電車が何の前ぶれもなく来ますので、
電車をバックに写真を撮るのは意外と難しい。1回逃すとしばらく来ません。





この画像のみクリックで拡大します。


関連サイト
三浦市観光案内→三浦海岸さくらまつり
三浦半島花巡り食巡りの旅→三浦海岸桜祭り
R134@三浦Photo gallery→三浦海岸@桜祭り
Y's Cafe→赤い電車の旅(三浦海岸駅編)

一足早く春を楽しめるこの「三浦海岸桜祭り」
伊豆まで行かなくても「河津桜」は楽しめるのです。見頃は2月上旬から3月上旬。
平成11年から植栽を始め、平成14年からはじまったお祭りです。
まだまだ歴史の新しいイベントですが、とても素敵なお祭りだと思います。
またシーズン中に行く機会がありましたら、追加で画像をUPしたいと思います。


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◆ 続編、小松ヶ池へ進む ◆


◆ 満開!(2008/3/10の様子) ◆



★三樹院★ 三浦観音第10番 地蔵尊10番札所

2007-01-22 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
三浦半島巡礼記。今回は少し前(銀杏のきれいな頃)に行った「三樹院」です。
横須賀を少し出て、三浦海岸沿いを中に入った所にあります。
ここ「三樹院」は三浦観音、地蔵尊とも第10番札所になっています。

大きな道ではありませんが、すぐ見つける事ができました。見事な銀杏が印象的です。
向かって左には庚申塔。右にはお地蔵さん。お墓の奥に本堂があります。



近くに寄ってみますと、なんとも近代的な本堂。平成3年完成。
縁起によると、木曽義仲の家臣今井兼平の陣屋跡に鈴木某が陣屋の廃材を使って建てた寺と伝えられています。



十一面観音像は宝永5年(1709)に江戸の増上寺から高僧照蓮社遍誉了海上人がもたらしたものとか。
またここの観音様は効験あらかたな観音様で、ご利益にまつわる話も多く残されているそうです。



これからの寺院はこういう斬新なデザインになっていくのでしょうか。



入口付近にあります庚申塔。

三樹院ホームページ

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★名称 海東山 三樹院
★場所 神奈川県三浦市南下浦町上宮田 601
★電話 0468-88-0619
★十一面観音菩薩★
◎十一面観音菩薩の画像は→こちら  (参)Annie's Homepage
◎ご詠歌 『今日はいて 明日は今井か 我が命 仏はしろし めさるべきかな』
★地蔵尊★
◎地蔵尊の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『手向する 今井の清水 音たてて 導引給う 三樹のみほとけ』
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google画像検索→三浦 三樹院
google検索→三浦 三樹院
当ブログ“三浦三十三観音霊場”特集は→こちら
当ブログ“三浦地蔵尊”特集は→こちら

普段は通らないであろう道を入っていくと、そこには見たこともない造りの「三樹院」があり、見事な銀杏とともに新鮮な驚きを感じさせてくれます。以前の「三樹院」はどのような造りだったのでしょう?!
十一面観音、地蔵尊ともご開帳の年に、また訪れてみたいと思います。

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★三浦七福神 1番 円福寺 恵比寿★ 三浦地蔵尊36番札所

2007-01-11 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
2番 慈雲寺 毘沙門堂を後にし、西から東へと三浦市をまわってきた私は、最後
「1番 円福寺 恵比寿」へと向かいます。この頃には眠たさも吹き飛び、次で最後だという
気持ちでわくわくしています。あまり通ったことのない東側の海岸が見えてきます。
道路沿いにのぼりが出ていたので迷うことなく見つけることができました。

『円福寺』
「ほぉ~」と声が出てしまうくらいの見事な造り。立派ですね。



七福神が勢揃いで迎えてくれます。



昭和7年再建の本堂





クリックで拡大します
上記にありますように、地蔵尊を勧請しました。三浦地蔵尊36番札所。




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★名称 金田山 地蔵院 円福寺
★場所 三浦市南下浦町金田258
★電話 0468-88-0038
★アクセス 三浦海岸駅より「剱崎行きバス」金田下車 徒歩5分
★地蔵菩薩★ 三浦市重要文化財
◎地蔵菩薩の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『世を救ふ 誓ひ円かに 幸福とめて 守るにしるき ぼさつなりけり』
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google画像検索→三浦 円福寺
google検索→三浦 円福寺

当ブログ「三浦七福神」特集は→こちら
当ブログ“三浦地蔵尊”特集は→こちら

ここで最後のご朱印をいただき、七福神めぐりの終了です。時間はお昼を少し過ぎたくらい。
お寺の方に「もう全部まわったんですか?!早いですねぇ!」と言われた私はきっと褒められた
子供のような誇らしげな表情をしていたと思います。
初めてめぐってみましたが、三浦市を一回りして、景色のよさであったり、知らない道を通り
初めて目にすることであったり、三浦市を再発見できる七福神めぐりでした。これを機にブログでも
三浦市についても今後取り上げていきたいと思います。
今回は元日ということもあり、ほとんどのお店が閉まっていましたので、美味しいお店などにも
行ってみたいと思っています。
長々と連載しました「三浦七福神めぐり」。最後までお付き合いくださりありがとうございます。
機会がありましたら巡ってみてくださいね。

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★三浦七福神 2番 慈雲寺 毘沙門天★

2007-01-10 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
元旦に巡った「三浦七福神めぐり」
海南神社を後にした私は「2番 慈雲寺 毘沙門天」を目指します。海南神社でポツポツと
雨が降ってきましたが、一時的なもののようですぐにあがりました。次の毘沙門天は下調べ
してもいまひとつ場所が分からなかったのです。案の定途中道に迷うことになりました・・・

途中の宮川大橋で思わず車を止めて写真を。海の真ん中に光が差しています。



同じ場所より。これで天気がよかったらなぁ。



橋を渡っていると前方に風車が出現!何度見てもインパクトがありますね。
年間1000万円分の電気を電力会社に売っているとか。



道に迷いながらも、なんとかこのぼりを発見。
右側の道を入っていきます。車一台分の幅、不安になりながらも進むと・・・



「毘沙門堂」がありました。




 
狛犬



クリックで拡大します



クリックで拡大します



毘沙門堂をさらに下ってみると、毘沙門湾にでました。
人気の少ないきれいな海岸です。意外な発見に嬉しくなります。



来た道を戻ります。納経はこちら『慈雲寺』で。




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★名称 持陽山慈雲寺 毘沙門堂
★場所 南下浦町毘沙門669
★電話 046-881-7573
★アクセス 三浦海岸駅より「剱崎経由三崎東岡行きバス」毘沙門天下車 徒歩5分
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google画像検索→三浦 慈雲寺
google検索→三浦 慈雲寺
当ブログ「三浦七福神」特集は→こちら

三浦七福神の中でもお堂と納経の場所が違うというのはここだけ。
細い道を進むと竹やぶの中にある「毘沙門堂」。さらに行くときれいな海岸。DEEPさでは一番ですね。
慈雲寺を後にし、いよいよ最後の「1番 円福寺 恵比寿」へと向かいます。

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★三浦七福神 3番 海南神社 弁財天★

2007-01-09 | ◆三浦市 三崎 城ヶ島
元旦にめぐった『三浦七福神めぐり』
4番見桃寺を後にして向かった先は『3番 海南神社 弁財天』です。三浦市の繁華街、
中心部に位置する「海南神社」。 場所は→こちらになります。

まず驚いたのがその人出。初詣に多くの方が訪れています。



三浦市の方の多くはここ海南神社に参拝するのですね。長蛇の列は鳥居まで続いています。
皆さん顔見知りなのか、所々で「おめでとうございます」と挨拶が交わされています。


 
「狛犬」己れの病む個所に相当する部分を撫で、その手で患部をこすると癒るとされています。



手水舎



源頼朝より寄進



クリックで拡大します。
祭神は藤原資盈。三浦大助義明が源平の争覇を占ったというのも面白いです。



クリックで拡大。筌流弁財天のいわれ。



『食の神様』 相州海南高家神社磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)



毎年4月に→「みさき食の神フェスティバル」が行われます。



木造の白馬が祀ってあります。昔神社の神馬が逃げ出し町内で死んだそうです。
たちまち疫病が蔓延したので白馬を奉納したところ疫病も鎮まったと伝えられています。
この馬に祈ると脚気がなおるといわれています。





『神楽殿』
「面神楽」はここで11月はじめの申、酉の両日に行われます

1月15日の「チャッキラコ」は、晴着姿の少女が母親の唄にあわせて踊る伝統行事で国の重要無形文化財に 指定されています。

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★名称 海南神社
★場所 三浦市三崎4-12-11
★電話 046-888-0588
★アクセス 京浜急行電鉄三崎口駅→京浜急行バス三崎港行きで14分、バス停:三崎港下車、徒歩3分
場所は→こちら
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google画像検索→三浦 海南神社
google検索→三浦 海南神社
三浦半島デジカメ便り→海南神社の紅葉
当ブログ「三浦七福神」特集は→こちら

三浦半島の総鎮守として創建された「海南神社」。初詣の参拝客も多く、お祭りや「面神楽」、
「チャッキラコ」などの伝統行事もあり、三浦市の中心的な神社ですね。とても一度行っただけ
ではお伝えできないので、また足を運んでみたいと思います。
海南神社を後にして、次は「2番 慈雲寺 毘沙門天」です。


追記 2007.11.18 横須賀民俗芸能大会での「面神楽」です。



海南神社の面神楽の起源は、埼玉県鷲宮神社の土師一流催馬楽(はじいちりゅうさいばら)神楽です。
この神楽は元禄年間に江戸とその近郷に伝播し、「江戸流」と「相模流」の流派に分かれ、
文化文政期には里神楽として一大隆盛を極めました。これと時を同じくして、海南神社宮司により
氏子に神楽が伝えられました。天保11年には神楽殿が創建され、それ以降本格的な神楽が
11月最初の「申酉」の両日に奉納されるようになりました。
海南神社の面神楽は江戸・相模流と異なり、全体的に力強く踊るのが特徴です。
黒面は、主役の面が黒いことから「黒面」と言います。最初に、「高皇産霊尊(たかみすびみこと)」
が舞台に現れ、手に大きな御幣を捧げ持ち、この世の罪穢れを取り除き、舞台を祓い浄める
舞を踊ります。別名「御幣(ごへい)の面」。次に「神皇産霊尊(かみむすびのみこと)」が現れ、
神剣を以って世の邪悪を断ち切る舞を踊ります。別名「刀(かたな)の面」。
最後に「天之御中主尊(あめのみなかむしのみこと)」が現れます。二枚の扇を持ち世の中を
平和にする泰平の舞を踊るところが見所で、太鼓もこの踊りだけの三拍子を奏でます。別名「黒面」
(パンフレットより。)



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