トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

時間の流れがはやすぎる

2017-10-22 09:35:33 | 
昨日、とても嫌なことがありました。
気が付けば前回から2カ月もたっていて、
この間、書くことはたくさんあったのに
色々な出来事も沢山あったはずなのに、
なんだか、書いても投稿できず、そのまま時間だけがたってた。

毎日のように仕事仲間や、普段の生活で出会う人達と
「はやいねぇ、日にちがあっという間に過ぎちゃって。この前正月だった気がするのに」なんて
言葉を交わす。

嫌な出来事があっても、あっという間に「あの時嫌だったな」って感覚になる。
そうすると、もう書く必要もなくなった気がしてまた開いたパソコンを閉じる。
きっと解決しない毎日同じ問題に苦しめられていた過去と違って、過ぎれば消えてしまう嫌な出来事って
事なんだなって気が付く。


母も年をとったんだなって感じた。
父が亡くなってから、体調がなかなか戻らずにいた。
「トイレに行くたびに、したくもないのに、便がでる。痛くもないのにでる。」と今年の初めに言い出し、
その後自分で色んな病院へ行ったらしい

「検便でも何でもなかった。漢方薬でも飲んでってくれた」と言うものの
「ちょっと柔らかい野菜を食べただけでも十回以上トイレに走った。間に合わなかった」

「違う病院へ行った。なんでもないって言われた」と毎回同じことを言う。

良く聞いていて気が付いた。
母は「別に、痩せてもいないし、血液検査も異常ない、コレステロールすらない、」と健康自慢を医者の前でもしているらしい。
おかゆを食べてもすぐトイレに走っていることを言わないで、「痛くないから、大したことないけど来てみた」と
医者の前では、大事なことをひとつも言えていないようだった。


「母ももう一人で病院に行かすことはできなくなったんだな」と感じ
知り合いの病院に連れて行って、すぐ内視鏡検査の予約をして、検査してもらった

結果は異常なし。
異常はないけれど、過剰に腸が動いてしまう状態になっていたらしく、それにあった薬をもらい、
ようやく「好きなものが食べられるようになった」と言って、家に帰っていった

「あんたには、メニエールで倒れた時も世話になって、腸閉そくの時も世話になって、また今度も世話になって。
他の兄弟にはしてやるのに、あんたには世話になる時しか来てないんねぇ。申し訳ないねぇ」

私の中の母はいまだに他人感があって、母というものが実感されない。

しかし、それも不快ではなくなった。

「離婚したとき、子供たちが可哀想だって、随分してくれたじゃない。弟だって母さんが倒れた時色々やってくれたでしょ」

母自身も、私に他人という感覚があって、私には世話になったという気持ちになるのかもしれない。

友達の母親が、脳溢血で寝たきりになり、言葉も片言しかはなせなくなって3年がたつ。
当初「あんなに元気だったのに、自転車に乗って畑仕事するのが大好きだったのに、あんな状態なら生きていて幸せなのか」
見舞いが辛いと言っていたが、
今は、友達が帰る時に子供のように手を伸ばして、寂しがる姿が愛しくて仕方がないという。

親の老いを見て、自分も受け入れていくべき時間があることを知らされる。

あーちゃんもいよいよ、受験間近となった。
なんとか希望の高校へ入ることができると良いのだけれど。

お兄ちゃんは随分落ち着いている。
相変わらず、ビルの屋上の縁に立っているように、風に煽られれば、あっちに落ちそう。こっちに留まりそうって
フラフラしているけれど、それでも、行動を起こす前に、仕事のソーシャルワーカーに相談するという選択肢が増えたので
心強い。

昨日の嫌な出来事の鬱々した気分は、書いているうちにもう薄れてきた。
夕方には、「腹立つ」位にになっている事だろう。

今度はいつ更新できるやら。
それでは、また。
話を聞いてくれてありがとう