歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

明日香村・飛鳥池遺跡 7世紀の木簡に伎楽面の酔胡王を描いたとみられる木簡が見つかる

2022年10月29日 | Weblog
 奈良県明日香村の飛鳥池遺跡(7世紀後半)で、伎楽(ぎがく=呉楽(くれがく))に使用する面「酔胡王(すいこおう)」を描いたとみられる木簡が出土していたことがわかった。
 奈良文化財研究所は、ペルシャ系のソグド人の王を表す伎楽面の酔胡王と判断した。
 日本書紀には、百濟人味摩之が呉(中国の南部)で伎楽の舞を学んで会得し、日本に伝えたことが記されている。

 『日本書紀』巻二二推古天皇二十年(612) 是歳。(略)又百濟人味摩之、歸化、曰「學于吳、得伎樂儛。」則安置櫻井而集少年令習伎樂儛。於是、眞野首弟子・新漢濟文二人習之傅其儛、此今大市首・辟田首等祖也。
[参考:読売新聞]

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 ソグド人
 平城宮跡 天平神護元年'765>木簡にペルシャ人役人?「破斯清道(通を改める)」の名前

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鳥取市・青谷上寺地遺跡 近畿型銅戈が中国地方以西で初出土

2017年12月26日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは25日、弥生時代の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市青谷町)から武器形の祭器「銅戈」の破片1個が出土したと発表した。
破片は長さ3.4cm、幅2.3cm、厚さ4mmで、弥生時代終末期(3世紀前半)の遺跡の中心域の地層から出土した。紀元前2~1世紀に作られた銅戈の柄に取り付く基部「胡(こ)」の一部とみられる。
 大阪湾を中心に出土例のある「近畿型」銅戈とみられ、中国地方以西では初めてとしている。
 再利用を目的とした素材だった可能性があるという。
[参考:共同通信、産経新聞]

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 銅戈
 青谷上寺地遺跡
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宮崎県えびの市・島内139号地下式横穴墓 平胡簶(ひらやなぐい)の底板を展示

2017年10月19日 | Weblog
 えびの市教委などが9月28日、同市島内地下式横穴墓群139号墓(6世紀前半)からほぼそのままの形状で出土した、弓矢を入れる道具の平胡簶(ひらやなぐい)の木製底板が、古墳時代の出土品としては国内最古級であると発表した。
 底板は平成26年に発掘された。幅33・4cm、奥行き3・6cm、厚さ2cm。織物や毛皮、銅や鉄の板が金具で留まっていた。推定高さ80cm前後。
 10月4日(水曜)~12月3日(日曜)の間、えびの市歴史民俗資料館展示ホールで公開される。
  銀象嵌鍛冶具、小刀群、金銅装馬具(五鈴杏葉、無脚雲珠、辻金具)なども展示される。
[参考:2017.9.29宮崎日日新聞、毎日新聞、2017.10.14 産経新聞]

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 島内139号地下式横穴墓
 胡ろく



キーワード: 胡籙、胡ろく、胡録
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和歌山市・平井遺跡 6世紀前後の埴輪窯2基が見つかる

2014年02月23日 | Weblog
 和歌山県文化財センターは、平成24年から行っている平井遺跡(和歌山市平井206の1)の発掘調査で、古墳時代後期(6世紀前後)の埴輪を焼いた埴輪窯2基を発見したと発表した。 これまでに、県内で埴輪窯と見られる跡は岩橋千塚古墳群(和歌山市岩橋)の井辺八幡山古墳の近く、森小手穂窯跡(同市森小手穂)しか見つかっていなかったが、詳しい調査はされていなかった。
 今回の発掘調査は、和泉山脈の丘陵裾部分の1万㎡で実施し、比較的小規模な2基の埴輪窯が約25m離れて並んで見つかった。ともに、トンネル状に掘られた薪(まき)を焚いて焼き上げる登り窯。 西側1号窯が全長約3m、幅1・2m~3mと、東側2号窯が全長約5.5m、幅1・1m~1・5m。 このうち、2号窯では、窯の底の土に残された焼けた層の積み重なり具合から、5回以上繰り返し使われたことが確認でき、円筒埴輪であれば300~400個を焼いたと見られている。
 窯で焼かれた埴輪は、近くに位置する国史跡大谷古墳(同市大谷)や平井1号墳(同市平井)に運ばれ、並べられた可能性がある。
 周辺からは円筒埴輪や家形、馬形、人物などの埴輪が出土した。 岩橋千塚古墳群の大日山35号墳と大谷山22号墳からしか発見されていない矢を収納する武具の胡籙(ころく)形埴輪や双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)形埴輪の破片なども見つかた。
 平井遺跡は紀の川北岸にあり、研究者の間では、これまで紀ノ川を挟み、南岸の岩橋千塚古墳群を中心とした勢力と、北岸の古墳群とに分かれた勢力が存在すると考えられていたが、その構図を見直す必要も出てきたという。
 現地説明会が23日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:わかやま新報、朝日新聞、読売新聞、産経新聞、毎日新聞、紀伊民報]

 2013.12.17 和歌山市・大谷山22号墳 国内2例目の胡ろく形埴輪を確認
 2008.8.26 和歌山市・大日山35号墳 胡ろくかたどった埴輪 全国初出土



キーワード: 胡籙、胡ろく、胡録

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和歌山市・大谷山22号墳 国内2例目の胡ろく形埴輪を確認

2013年12月17日 | Weblog
 和歌山市教委は、同市岩橋(いわせ)の岩橋千塚古墳群で全長67mの前方後円墳・大谷山22号墳(6世紀前半)から昭和41年に発掘された埴輪の破片が、矢を収める武具「胡籙(ころく、胡ろく)」をかたどったものの一部だったことがわかったと発表した。
 平成17年の調査で同古墳群内の大日山35号墳(全長約86mの前方後円墳、6世紀前半)から同形埴輪が出土し、約2年間かけて復元されている。 この時の埴輪は高さ約96cm、幅約39cm。中央部には5本の矢が細い線を彫って描かれている。
 今回出土した破片から、復元推定では全体で高さ約90cm、幅約40cmとしており、大日山35号墳で見つかったものとほぼ同じ大きさとなる。矢を模した放射状の線も刻まれていた。
 和歌山が独特の埴輪の文化を持っていたことを示す貴重な発見としている。
 大谷山22号墳の胡ろく形埴輪は17日から来年2月2日まで和歌山市立博物館で展示される。
[参考:産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

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 2008.8.26岩橋千塚古墳 胡ろくかたどった埴輪 全国初出土

キーワード: 胡籙、胡ろく、胡録
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高崎市・六枚遺跡 「片岡郡」の名を刻む土器片が出土

2011年02月11日 | Weblog
 高崎市教委は10日、同市八幡町の六枚遺跡で、9世紀代の竪穴式住居跡深さ1・5mから見つかった須恵器の甕(胴の直径推定35cm)の破片4片(約15cm四方)を接合すると、「片罡郡」(片岡郡)の文字が刻まれていたことがわかったと発表した。 郡役所の公用の器であった可能性が高く、郡役所が近くにあったことを推測させる貴重な資料という。
 続日本紀・和銅四年(711)三月辛亥(六日)条に、
 「割上野國甘良郡織裳。韓級。矢田。大家。緑野郡武美。片岡郡山等六郷。別置多胡郡。」
とあり、片岡郡は当時の律令制の行政区画・郡のひとつ。高崎市南西部の観音山丘陵や烏川流域に広がり、当時約6000人が暮らしていたとされる。
 また、群馬県高崎市吉井町にある「多胡碑」(金石文)の碑文に、
 「弁官符上野國片罡郡緑野郡甘良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡 和銅四年三月九日甲寅宣、左中弁正五位下多治比真人、太政官二品穂積親王、左太臣正二位石上尊、右太臣正二位藤原尊」
とあり、「片岡」は当時「片罡」とも書いていた。
 市教委は、出土地の近くには6世紀末に観音塚古墳(全長約100mの前方後円墳)が築造されるなど勢力地とされ、奈良時代にも引き続き郡役所が置かれた可能性が高いとしている。
 出土した土器片は、3月6日午前10時~午後4時45分に群馬音楽センター(同市高松町28-2)で開催される多胡郡建郡1300年記念シンポジウム「多胡郡は何を伝えようとしたのか」会場で展示される。 その後、八幡町の市観音塚考古資料館で展示する見通し。
[参考:読売新聞、東京新聞]
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八幡市・柿谷古墳 6世紀中期の方墳を確認

2010年12月22日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは21日、八幡市内里柿谷の柿谷古墳が古墳時代後期(6世紀中期)に築造された一辺約12mの方墳と発表した。
 中央部に長さ4m×幅2mの墓壙があり、下層に東西を軸とする木棺跡(3m×1m)、その上部に平行の位置で約20年後に埋葬された別の棺跡が北寄りに重なっていた。親族が2世代にわたり葬られたとみられる。
 棺内から須恵器の壺や高杯や、刀、馬具などの鉄製品が出土した。また、上部の棺跡から、鉄地金銅張の胡籙(やなぐい)の破片が見つかった。
 また、墳丘の東側斜面からは、子供用と見られる甕棺(直径45cm)も出土した。
 南側約200mには府内最大の集団墓地「女谷・荒坂横穴群」(6世紀後半~7世紀前半)があり、この地域で横穴が流行する前の最後の古墳である可能性もあるとしている。同古墳でも、鉄製馬具や鉄地金銅張の胡籙が出土している。
 現地説明会は23日(木・祝)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞、産経新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]

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福岡市・元岡・桑原遺跡群 元岡古墳群で7世紀初頭の装飾付圭頭大刀など出土

2010年07月03日 | Weblog
 福岡市教委は1日、九州大学移転予定地内(同市西区元岡)の元岡・桑原遺跡群内にある元岡古墳群G1号墳(方墳)から、7世紀初頭の製作とみられる装飾付きの大刀や金製の耳飾りなど保存状態の良い副葬品約120点が見つかったと発表した。
 発見された方墳は、一辺約18mで、内部に糸島半島では最大級の花崗岩を利用した幅2・1m、長さ3・6mの横穴式石室があった。石室の床面から見つかった副葬品は、刀5振、馬具、銅鏡1面(鏡式不明)、胡籙(ころく、胡ろく)、純金製などの耳環、銅釧、須恵器の土器、水晶製切子玉、勾玉、翡翠製勾玉など。
 出土した刀のうち1本は、金銅製の飾りが付いた「装飾付圭頭大刀」と呼ばれ、当時の大和政権から下賜された可能性が高いという。長さは約90cm、高度な冶金技術が用いられ、銅に金を張り付けた装飾がある柄の部分が特徴。黒漆に金箔が施された鞘も一緒に出土した。
 副葬品の豊富さから判断して墳墓の主は当時の朝鮮半島の王権に対する防衛を担った地方の有力豪族とみられる。
 市民向け現地説明会が、3日(土)午前10時-午後1時に発掘現場で開かれる。
 出土品の一部は同市埋蔵文化財センター(同市博多区)で6日から8月1日まで公開される。
[参考:西日本新聞、日本経済新聞、福岡市HP]

備考:日本書紀・推古10年(602) より
 二月(略)、来目皇子為撃新羅将軍。授諸神部及國造伴造等、并軍衆二萬五千人。
 夏四月(略)、将軍来目皇子、到于筑紫。及進屯嶋群、而聚船舶運軍粮。
 六月(略)、大伴連囓、坂本臣糠手、共至自百済。是時、来目皇子、臥病以不果征討。

過去の関連ニュース・情報
 2008.10.29 元岡・桑原遺跡群 弥生時代中期のシカ、建物などが描かれた琴の側板が出土
  2008.9.16 元岡遺跡群 弥生時代中期末の翳形木製品が出土
 2008.8.26 和歌山市・岩橋千塚古墳 胡ろくかたどった埴輪 全国初出土
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宇治市・平等院 浄土院地蔵菩薩半跏像 南北朝期の作と判明

2008年12月29日 | Weblog
 平等院(宇治市)の宝物館「鳳翔館」で27日、新春展「影向の美」が始まり、塔頭(たっちゅう)の浄土院本堂に収蔵されている「地蔵菩薩半跏(はんか)像」が初公開された。
 ハスの上に着座し左手に宝珠を持った姿のヒノキの木像で高さ30.5cm、幅15cm。修繕のため寄せ木造りの像を解体すると、彩色が二重に施されていた。江戸時代に塗られた表面の胡粉(ごふん)彩色をすべて取り除くと、造像当初の金箔や朱色などの彩色が見つかった。江戸期の柔和な表情の彩色の下から、力強く引き締まった顔立ちが現れた。像の表情や彫り方などの特徴から14世紀の南北朝時代の様式と確認された。
 期間は来年4月24日までで、開館は午前9時から午後5時。要入館料。
[参考:共同通信、京都新聞]
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和歌山市・岩橋千塚古墳 胡ろくかたどった埴輪 全国初出土

2008年08月26日 | Weblog
 和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘(県教委)は26日、岩橋千塚古墳群内の大日山35号墳(6世紀前半、県内最大級全長約86mの前方後円墳)から、腰に装着して矢を入れる道具「胡籙(ころく)」をかたどった形象埴輪が見つかったことを発表した。
 これまで胡ろくの実物自体の出土例もなく、同古墳と近くの古墳から、胡ろくを身に着けた人物埴輪は出土していたが、胡ろく自体を写実的に表現した形象埴輪の出土は全国初。
 同古墳でこれまでに見つかっている、飛ぶ鳥や両面に顔が付いた人物に続く類例のない埴輪で、ここに葬られた人か地域かは分からないが、独創性から、支配者一族がヤマト政権に屈しない強い権力を持ち、独自の埴輪を作る人々がいたことを示唆しているという。
 05年度調査で、前方後円墳の西側造り出し部分から出土した逆台形の胡ろくは、円筒形の基部を取り付け、高さ約96cm、幅約39cm。中央の矢筒は立体的で、筒に収納されている5本の矢と矢羽根が線で刻まれている。金具など細部も表現。県教委はほぼ原寸で写実的な埴輪の出土は「古代の武具の研究に貴重な資料」としている。
 古墳時代の胡ろくは、木やつる、動物の皮に飾り金具が付けられていたと考えられているが、有機質部分はなくなって出土する。
 胡ろく形埴輪については今年3月までに復元作業をし、その後、他に出土例がないかなど専門家に評価を依頼していた。胡ろく形埴輪近くから出土した両面人物埴輪のほおにも矢羽根と矢尻が線刻されており、弓矢を重要視していたことがうかがえると言う。
 古墳群は4~7世紀ごろ一帯を支配していた紀氏一族の墓とされる。
杉山晋作・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は「実物の胡ろくの約4倍の大きさ。配下に置いた技術者集団が胡ろくなどの革製品作りにかかわっていたことを象徴的に示したのでは」とみている。
 8月30日~9月15日、風土記の丘資料館で速報展を開く。
 胡籙(ころく、「ろく」は竹かんむりに録の右側が碌の右部分)は、5世紀に朝鮮半島から伝わった矢筒で、馬上から矢を射る際に用いる。春日大社や正倉院(ともに奈良市)に実物が残っているが、古墳時代のものは金具など一部しか見つかっていない。
[参考:毎日新聞、紀伊日報、時事通信、産経新聞]

写真は、2009.7.7 江戸博物館にて撮影

キーワード: 胡籙形埴輪、胡ろく形埴輪、胡録形埴輪
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