みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

東風(こち)吹かば

2017年02月22日 | 俳句日記

 太宰府天満宮の飛梅伝説で知られる菅原道真公の詠歌、

    < 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ >

は、この時期になると必ず誰かがどこかの文章に書いています。

 とりわけ遠く東北に身を置いた福岡県人の私にとっては、旧懐の情と追憶をたどる

名歌として終生の宝物なんですね。

 

 その東風が、今朝の阿武隈川で吹いていました。梅の香こそありませんが、川面を渡る

東からの風は、望郷の思いを掻き立てるに十分な優しさを孕んでいました。

 きょうの野鳥は、茶色の頭に濃緑のアイマスクをしたコガモと、白の羽根が黒の全身に

鮮やかに映るスズガモ、そしてカイツブリです。風はさやとして和みの風情でした。

 

 お一人の読者さまのご要望に応えて、今日の川の風景をスケッチしたところで、

落語好きのお客様へむけた噺の本筋に戻りやす。

 

「では、なにから講ずればよいか?」

「いけねぇ、いけねぇ。そういきなり聞かれたひにゃ、こちとらとまどっちまいますぜ」

「だが、どこから始めればよいか、こちらも分からぬ」

「ですから、ことの起こりは海国兵談だったでしょ!? その原因となった海外事情ですよ」

 

「そうであったな。そもそも林子平先生が、件の書を一昨々年先上梓なさったのは、仙台藩の

江戸詰めの藩医である工藤平助先生が『赤蝦夷風説考』をお書きになっておられたからじゃ」

「なんです?その赤蝦夷ってえのは」

「赤蝦夷とは極東ロシアのことじゃ。ロシアは元禄のころからピョートル大帝という大王が、

いずれシベリアに国の領域を広げれば、日本という国と衝突することになると予測していた」

 

 ここでちょっと解説をいれさせてもらいます。ピョートル大帝ってぇのは1682年に10歳で

即位した初代のロシア皇帝ですがね、この方は当時のヨーロッパから見ると北東の野蛮国と

観られていたロシアを、一代で列強の一つに育て上げたロシアの英雄でしてね。

そのためにやったことが凄いんでさぁ。

 

 数百人のお供をつれて列強の主要都市を長期間、産業から行政、学問まで学んで回ったり、

陣頭指揮をとって首都サンクトペテルブルグを建設したり、徹底した欧化政策をしたんですね。

 そして先進国の恰好をつけたら、こんどは戦争だってんで生涯敵を作って戦争をしなさる。

日本に対しては、漂流民を首都に集めて日本語学校を作ってロシア人に日本語を学ばせた。

 

 日本が元禄のころにですよ。そうとうに野心家で広い世界観をもっていらしたんでしょうね。

北朝鮮はロシアを真似して拉致なんぞやったんじゃないでしょうかね。そんな気がしてきました。

 

 身長は2・13メートルもあって、熊のような手をして将に肉体労働者のようだったということです。

ちなみにプーチンさんはこの方が憧れの人なんですよ。彼も野心家のDNAを持ってますね。

 だからトランプさんとケミストリーなのかもしれませんよ。トラさんきっと姿もそっくりなんでしょう。

 

「そのシベリアってぇのはどこです?」

「そのほうは世界地図というものを見たことがあるのか」

「いやぁ、そんなものはあの物知りのご隠居さんのところにも置いてありませんぜ」

「それはそうだな。よし、今度小石川の水戸藩邸に来ればよい、そこの『彰考館』にあるから

みせてやろう」

 

「冗談いっちゃいけませんぜ。水戸様のお屋敷なんぞにお伺いするなんてだいそれたことが

出来るもんですか。カカアが聞いたら腰抜かしますぜ、なんかしでかしたのかって」

「おぬしは大工であろう。どこぞの藩邸に出向いたことはないのか」

「そりゃ、あります。棟梁のさしずで伺うばかりでさぁ。どこかこのあたりで無いんですかい?」

「うむ、築地の『江戸蘭学社中』には必ずあるはずだから、工藤先生に相談してみよう」

 

 「江戸蘭学社中」の名前が出ましたところであとは次回のお楽しみに。 

どんどん人脈が広がっておもしろくなってきますよ、では。 =お後がよろしいようで=

 

         < 偏西の 風よ竹島 吹き寄せよ >  放浪子

 

二月二十二日(水)  薄日 午後曇り 西風に変る  

           竹島の日 がんばれニッポン

           川でつかの間の東風に会う

           

 

 


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