みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

あとの祭り

2017年07月15日 | 俳句日記

「追い山」が終ると、博多の梅雨が明け
ると言われている。
今年は「追い山ならし」から4日間天候
に恵まれた。



この姿にも、あの笑顔にも、来年まで、
もう逢えない。

博多駅前の飾り山も、七番山がゴールし
た三時間後はこの姿だ。
事の終わりは、常にこうでなければなら
ない。

最終最後まで、よく段取りが組み上げて
ある証拠なのだ。
ということは、次のスタートも早いと言
う事である。

住まいに帰ると、目と鼻の先の小学校で
夏祭りが行われていた。
校庭の参加者は、千人に近いかも知れな
い程で、そこには世代の交流があった。


これが、地域の命である。
共に、生きていることの喜びの世界が、
そこにある。

この命は、必ず引き継がれて行く。
ビックもマイナーでもない生き通しの命
が、確かに喜びと共にそこにある。

その社会を護る人々の力に、ただ感謝。

〈防人の 心は永遠に 夏祭り〉放浪子
季語・夏祭り(夏)

7月15日〔土〕晴れ
午後から旧友を見舞う約束をしていた。
体力に自信なく「追い山」には行けず。
博多駅で、飾り山の解体を見る。
それで良し、日本人の心情。
話は変わって、人間死ぬ間際になると、
何かを告りたくなるらしい。
母方のご先祖様が、群馬の須藤家の流れ
だと聞いた。
品から言うと、かも知れない。
調べてみよう。






祭りといい、家柄といい、名が残るには
それなりの貢献があったのであろう。