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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ヒソップ・パープルの花

2011-07-01 20:44:03 | その他のハーブ

(写真)ヒソップ・パープルの花


ヒソップは、“聖なるハーブ”として古代から宗教の儀式と密接に関わってきた。
ギリシャ語の属名“Hyssopos”は“聖なるハーブ”を意味するヘブライ語の“ezob(エゾブ)”から来ているといい、神殿を清めるのに使われたり、ハンセン氏病患者を消毒する薬草として使われてきた。
中世の頃には、キリスト教の儀式で聖水を振りまく刷毛として使われ、シェクスピア(William Shakespeare、1564-1616)の時代のイギリスでは、ストゥルーイング・ハーブ(Strewing Herbs)の一つとして使われてきた。

バージンロードを芳香性のある花々を“撒き散らかす(Strewing)”、あの映画的なシーンが“ストゥルーイング”で、災いを清め新婚を祝う儀式として人気があったという。
花が少ないイギリスでの贅を尽くしたビックイベントであり、ヒソップの他にフェンネル、ローズマリー、タイム、バジル、ミント、カモマイル、ラベンダー、バラなど香りが良いハーブが使われてきた。

しかし、実際のヒソップは、決して見栄えが良いわけでもなく、花が素晴らしいわけでもない。和名では、「ヤナギハッカ」と呼ばれるように、小さな細長い葉とヒョロッとした枝ぶりの先に薄紫の小さな花が咲き、ヒソップの価値観を知らないと見逃してしまう普通のたたずまいをしている。
聖なるハーブ、清めのハーブとも言われるが、「謙虚」という花言葉が良く似合う。

だからか、写真よりもボタニカルアートの方が素晴らしい。
このイラストは、ドイツの植物学者でボタニカルアーティストのオットー(Otto Wilhelm Thomé 1840-1925)が描いているが、腕がいいアーティストが描く植物画は素晴らしい。実物以上にわかりやすい。

 

(出典)caliban.mpiz-koeln
http://caliban.mpiz-koeln.mpg.de/thome/band4/tafel_056.html

ヒソップ・パープル

・シソ科ヒソップ属の多年性の小潅木。
・学名は、Hyssopus officinalis L.(1753)。英名はHyssop Purple、和名はヤナギハッカ。
・原産地は、ヨーロッパ南部、地中海沿岸。
・丈は30-60cmでまっすぐに成長する。葉は細長く濃い緑色でかすかにハッカの香りがする。
・開花期は6月から夏の間にパープルの花が咲く。ピンクの花が咲くヒソップ・ローズもある。
・古代からハーブとして用いられ、20世紀には慢性的気管支炎の治療薬としても使われた。妊婦は要注意のハーブとなる。
・キャベツ、ブドウの外敵を寄せ付けないコンパニオン(companion)植物として使われる。

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レモンタイム(Lemon thyme)の花

2011-06-05 10:31:34 | その他のハーブ
(写真)レモンタイムの花


梅雨時期になるとタイムの花が咲き始める。
淡いピンクが入った小さな花が花序を駆け上がって咲いていき、梅雨の晴れ間にはそのさわやかなレモンの香りとともに爽快な気分にしてくれる。

レモンタイム(Lemon thyme)は、地中海沿岸が原産地のコモンタイムとブロードリーフタイムの交雑種といわれ、料理の香り付けに使われる。

乾燥気味に育ててよいので、庭のグランドカバーとしても適している。蒸れるのを嫌うので梅雨時には枝をすいてあげると良い。

タイムには、古代からミイラの防腐剤として使われてきたとか、ローマ時代には公衆浴場で燃やしその煙を吸ったとか地中海世界での人類との長い歴史があるが、それらはコモンタイムであり、レモンタイムおよびその変種の「ゴールデンレモンタイム(golden lemon thyme)」は、1811年に初めて違った種として認識され記述されたので新しいタイムでもある。

(写真)レモンタイム(Lemon thyme)の立ち姿
 

レモンタイム(Lemon thyme)
・ シソ科イブキジャコウソウ属の耐寒性がある常緑小低木。
・ 学名は、Thymus × citriodorus ( Pers. ) Schreb(1811)。英名はレモンタイム(Lemon thyme)。種小名の“citriodorus”は、ミカン(citri)+香りの良い(odorus)を意味する。
・ ティムス・シトリオドーラス(Thymus × citriodorus)は、ヨーロッパ南部地中海沿岸地が原産地のブロードリーフタイム(学名:Thymus pulegioides)とコモンタイム(学名:Thymus vulgaris)との交雑種といわれる。
・ 草のように見えるが木で、丈が20cm程度の小潅木。生育が旺盛なので、グランドカバーとして使えるぐらい横に広がる。
・ 葉からはレモンの香りがし、料理で使える。
・ 開花期は6月から夏場。小さな淡いピンクの花が咲く。
・ 乾燥した肥沃な土壌を好む。

命名者は、ドイツの動・植物学者シュレーバー(Schreber, Johann Christian Daniel von 1739-1810)、南アフリカ生まれの菌類学者パースン(Persoon, Christiaan Hendrik 1761-1836)。
Schreberは、ドイツのチューリンゲンで生まれ、リンネのいるウプサラ大学などで神学と医学を学び、1770年にはエルランゲン大学の医学&植物学の教授となり、1773年にはエルランゲン植物園の責任者となる。彼は、哺乳類の分類とリンネの命名法に準じた学名の付与などで実績がある。また、ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)からは南アフリカの植物標本を購入するなど、海外の標本を収集した。

Persoonは、南アフリカ喜望峰で生まれ、勉学のためにヨーロッパに来て神学・医学を学んだ。1803年からパリに来たが、貧困を極め、その中で、「菌類学の父」といわれるように菌類の研究で成果を残した。

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スィート・ジャーマンダー(Sweet Germander)の花

2011-05-24 17:01:47 | その他のハーブ
(写真)スィート・ジャーマンダーの花


葉脈浮き出た濃緑の葉と淡いピンク色の小さな花、そしてかすかに香る匂い。
非常にシンプルだが、写真で見るとまるで首の周りにハイカラーをつけた1600年代の頃の優雅なレディのようにも見える。
エリザベス一世ほどではないが。

(写真)エリザベス一世(Elizabeth I, 1533-1603)
 
(出典)ウィキペディア

こんな人間世界とのアナロジーはあまり関係がなく、テウクリム属(和名ではニガクサ属)の特徴がこのハイカラーのようなところにある。
シソ科の花は口唇型に特徴があり、下唇が大きく、上唇は雌しべ・雄しべをカバーするように帽子をかぶるようになる。テウクリム属の花は、上唇に当たる花が後退ししべがむき出しになっているところに特色がある。

このスィートジャーマンダーは、ギリシャ、クレタ島、地中海西部が原産地で、種小名の“massiliense”は、イオニア人が交易港として紀元前600年頃に建設した植民地に与えた名前でギリシャ語では“Massalia”が語源で、現在では、フランスのマルセイユとなるが、この地に咲く花としてリンネが命名した。

ついでに属名の“Teucrium(テウクリウム)”は、トロイの初代王といわれるテウケル(Teucer)がこの植物を薬草として最初に使ったということから、ディオスコリデス((Pedanios Dioscorides、40-90年頃)によって書き記されていたことによる。

掘り下げると、ギリシャ以前の小アジア、エーゲ海の神話と実話の壮大な物語が始まりそうだ。

(写真)スィートジャーマンダーの立ち姿
 

スィート・ジャーマンダー(Sweet Germander)
・ シソ科ニガクサ属の耐寒性がある多年生の小潅木。
・ 学名は、Teucrium massiliense.L.(1763) (テウクリウム マシリアンセ)。種小名の“massiliense”は、“マルセイユの人々”という意味。
・ Teucrium属の植物は、一般的にGermanderと呼ばれ、英名では、Sweet Scented Germander、或いは、Sweet Germander。
・ 原産地はギリシャで、地中海西部に広がる。
・ 草丈30-50cmでハーブ園の境界線或いは垣根などに利用される。
・ 開花期は5月から夏場で淡いピンク色の小花が咲く。
・ 葉は細長く端がチリチリしていて全体から良い香りがする。
・ 水はけの良い乾燥気味のアルカリ性土壌を好み頑健。冬場に刈り込む。
・ エッセンシャルオイルが豊富で、葉はハーブティーとして利用される。

ウッドセージ(Wood sage)もこの仲間で葉はそっくりだ。
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レッド・キャンピオンの花

2011-05-03 13:42:37 | その他のハーブ

(写真)レッド・キャンピオンの花


キャンピオン(campion)は、チャンピオン(champion)とも呼ばれ、馬上試合の勝者のための花冠として用いられたという。
この花には、赤・白・ピンクの色があるが、赤花を“レッド・キャンピオン”、白花を“ホワイト・キャンピオン” 、ピンクの花は、この二種の交雑種のようだ。

“ホワイト・キャンピオン”は、ムスクの香りがするが、“レッド・キャンピオン”にはこの香りがなく、種小名の“dioica”はギリシャ語で雌雄異株を意味するので、種を取るには雌株と雄株がないと実をつけない。
だが、花の美しさにおいてはなんら問題はない。

古においては、蛇にかまれた傷に塗られたり、膀胱や腎臓の病にワインに入れて服用したという。

原産地は、ヨーロッパからアジアに広く分布し、開けた野原や平原で30-60㎝に育つ二年草または多年草で、5月から開花する。
花や葉はサラダに利用されるようだが、食べてみたいという食欲を刺激しない。

17世紀の英国を代表する植物学者ジェラード(John Gerard 1545-1611 or 1612)は、レッド・キャンピオンを“bachelor buttons(独身者のボタン)”と称した。背広の襟のボタン穴に花を飾るということは独身者を意味し、既婚者は真似をしたり指輪をとってはいけないということだろう。

今ではこのような由来は忘れられ、オシャレなのかキザな男を意味しているのかもわからない。一度こんなキザをやってみたいと思いつついまだに出来ないでいる。


「レッド・キャンピオン」には、三つの学名がある。
Silene dioica ( L. ) Clairv. (1811)
Lychnis dioica L. (1753)
Melandrium dioicum (L.) Coss. & Germ.(1845)

ナデシコ科の植物で1753年にリンネがこの三つの名前をつけたが、1811年にフランスの植物学者・昆虫学者でスイスで活動したClairville, Joseph Philippe de(1742-1830)がシレネ属に分類し(ほぼこれが学名として通用している)、
1845年には、北アフリカの植物相を調査研究したフランスの植物学者Cosson, Ernest Saint-Charles (1819-1889)とGermain de Saint-Pierre, Jacques Nicolas Ernest (1815-1882)によってメランドリウム属に分類されたが、この決着はいまだついていない。

こんなややっこしいことも重要だろうが、それぞれのボタニカルアートを楽しみつつ違い発見をしてみよう。

(写真)Silene dioica
  
(出典) Go Botany
カーティス(William Curtis 1777-1798)がボタニカルマガジンに掲載した画

(写真)Lychnis dioica
  
(出典)meemelink.com

(写真)Melandrium dioicum
  
出典) wikimedia

(写真)レッド・キャンピオンの立ち姿
  
レッド・キャンピオン( Red campion)
・ ナデシコ科シレネ(和名マンテマ)属の耐寒性のある2年草か短命な多年草。
・ 学名は、Silene dioica ( L. ) Clairv. (1811)。英名はRed campion。
・ 原産地はヨーロッパからアジアの明るい草原、荒地。
・ 草丈30-60cmで雌雄異株。
・ 開花期は5-10月で、赤色の5枚の花弁が素晴らしい。
・ 雄花には10本のおしべと10本の筋のある萼が、雌花には5本の花柱と20本の筋のある萼がある。
・ 湿った酸性でない土壌を好む。
・ ホワイト・キャンピオン、レッド・キャンピオンを混裁すると雑種化しやすくピンクの変種が出来やすい。

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レンギョウ(連翹)の花

2010-04-13 11:32:08 | その他のハーブ

(写真)レンギョウの花


「レンギョウ(連翹)」は、初春から鮮やかな黄色の4枚の花弁の花が150㎝ぐらいの樹高の枝に密集して咲く。
その黄色の密集インパクトはかなり強烈で、冬から春への移り変わりを高らかに宣言している。

開花時期の終わりの四月頃から葉が顔を出し、夏から秋にかけて15mm程度の楕円球の果実をつける。この実を乾燥させたものは、古くから漢方薬として解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いられてきた。

原産地は中国であり、日本には平安時代に入ってきたという説と、江戸時代という説がある。
平安時代説の根拠は、平安中期に編纂された律令の執行細則『延喜式(えんぎしき)』(927年頃完成)に伊賀、尾張などの薬園で栽培しているという記述があり、また同じ時期に編纂された百科&国語辞書的な『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931年 - 938年頃編纂)には、“以多知久佐(いたちくさ)”“以太知波勢(いたちはぜ)”として記述されていることに拠る。

この「レンギョウ(連翹)」には2つのタイプがあり、
枝の先が地面に触れるとそこから根を出し匍匐性で、壁に這わせたりツル材として利用されるタイプ(「レンギョウ」及び「チョウセンレンギョウ」)と、枝が直立し庭木として利用される立ち木性のタイプとがあるが、この花木は、立ち木性なので中国原産の「シナレンギョウ(Forsythia viridissima)」のようだ。

また「レンギョウ(連翹)」は薬用としての利用期間が長く、花卉として評価されるようになったのはかなり遅いようだ。
中国では、宗の時代に周師厚(周叙)が花木として『洛陽花木記(らくようかぼくき)』(1082年)を書き、日本では,江戸時代に池坊2代目専好の弟子十一屋太右衛門(じゅういちやたうえもん)がいけ花の全書として『立花大全(りっかだいぜん)』を1683年に書いて「レンギョウ」を収録している。

薬用から花木としての「レンギョウ(連翹)」の再評価は、中国・日本で時間の差はあるとはいえ、文化の成熟と無縁ではなさそうだ。
江戸時代は、長期間の平和と農業生産性などの向上もあり、経済的な豊かさと心の豊かさを増し、世界有数の園芸マーケットを作り上げた。そこで変わり者の「レンギョウ」は花卉として認められた。

詩というものが良くわからない私だが、何故か高村光太郎の『千恵子抄』には感動した覚えがある。この高村光太郎は「レンギョウ」の花が好きだったという。
彼のお葬式では棺の上に大好きだった一枝の「レンギョウ」が置かれ、それ以降“連翹忌”ともいわれているという。

私はサルビア属の時期の花を予約しておこうかな。そして“サルビア忌”も!

(写真)一面黄色だらけのレンギョウの花
        

レンギョウ(連翹)
・ モクセイ科レンギョウ属の広葉小木。
・ 学名は、Forsythia suspensa Vahl (1804年命名)。属名の Forsythia は、スコットランドのケンジントン王立植物園の監督官を務めた園芸家フォーサイス(Forsyth , William. 1737 - 1804年)に因み、種小名のsuspensa は枝が“垂れさがる”意味である。
・ 英名はgolden bells, Japanese golden bell tree。和名は漢名の連翹(れんぎょう)からくるが、中国での連翹は別種のトモエソウ(学名:Hypericum ascyron)のことをさす。中国名は黄寿丹。
・ 原産地は中国で朝鮮半島、中国、日本にも分布する。
・ 雌雄異株で、開花期は3-4月で2-3cmの黄色の4枚の花弁が枝一杯に咲く。
・ 乾燥させた実は、古くから漢方薬として解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いられる。

命名者:
Vahl, Martin (Henrichsen) (1749-1804)Vahl, Martin (Henrichsen) (1749-1804)
デンマーク、ノルウェーの植物学者、1801-1804(死亡)までコペンハーゲン大学の植物学教授。ウプサラ大学でリンネに教えられた弟子の一人で、1783~1788年にヨーロッパと北アフリカでいくつかの植物探索の旅行をした。

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ジャノメエリカの花 と( 次回は、採取した初期のプラントハンター達 )

2010-03-25 13:36:49 | その他のハーブ

(写真)ジャノメエリカの花


「ジャノメエリカ(Erica canaliculata Andrews)」は、11月から4月頃まで咲く有難い花だ。
和名の「ジャノメエリカ」は、釣鐘型の淡い桃色の小花から突き出る雄シベの黒い葯(やく)が蛇の目のようであるところに由来しているが、写真のアップで見るとちょっと恐い感じがする。

日本人にはまだわからない感覚だが、エリカ属の植物はイギリス人を魅了しているようだ。イギリスではエリカ属の植物などを「ヒース(heath)」と呼ぶ。
(ヒースに関してはここを参照)

ジャノメエリカ
・ ツツジ科エリカ属の常緑低木。
・ 学名Erica canaliculata Andrews。英名channelled heath、heath。和名は蛇の目エリカ。
・ 原産地は南アフリカ・ケープ地方。
・ 開花期は11月から4月、小さなピンク色の釣鐘型の花、そこから覗く黒いオシベが特徴的。
・ 樹高150-200㎝。
・ 庭木、垣根などに利用される。

命名者:アンドルーズ(Andrews, Henry Charles fl. 1794-1830)アンドルーズは、英国の植物学者で、植物画を描くアーティスト。その正確で芸術的な描き方は、カーティスのボタニカルマガジンでも紹介されただけでなく、増大する素人の園芸家の欲求を喚起する貢献をした。彼がジャノメエリカの命名者になったのは、ヒースに関する著作物が多く英国にヒースを紹介する原動力となった。

(写真)ジャノメエリカの立ち姿
        

続きは明日掲載

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早咲きサクラ、「イズタガアカ(伊豆多賀赤)」の花

2010-03-22 14:18:18 | その他のハーブ

(写真)満開のイズタガアカ(伊豆多賀赤)の花


サクラの代表「ソメイヨシノ」が咲く前に、「カンヒザクラ」と「オオシマザクラ」の交配品種「イズタガアカ(伊豆多賀赤)」が満開になっていた。

この品種は、熱海の角田春彦氏が作出した交配種で、このほかにも「大漁桜(タイリョウザクラ)」「熱海早咲き」「アカシンジュ(赤真珠)」など早咲きサクラの交配種を数多く作出しているという。

「イズタガアカ(伊豆多賀赤)」は、花弁の大きさが直系3cm、花弁が5枚、淡紅紫色の一重の花を咲かせる。開花期は3月中旬からだがちょっと早いみたいだ。

サクラの時期は、鯛、筍の時期であり、夜桜見物で冷え切った身体を熱燗と若竹の焼いたもの、鯛めしが癒してくれる。
角田春彦氏は、このセンスがわかっているのか、熱海で育種をしていたためなのか、桜鯛の漁の時期に桜鯛の花色をした交配種に「大漁桜(タイリョウザクラ)」と名付けた品種作出しているおしゃれな人のようだ。


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ミモザ、ギンヨウアカシア(Acacia baileyana)の花

2010-03-19 13:02:25 | その他のハーブ

(写真)ギンヨウアカシアの花

(野田市清水公園・ハーブ園)

「ミモザ」の花が咲いていた。
正しくは「ギンヨウ(銀葉)アカシア」と和名で呼ばれるが、早春の樹一杯の明るい黄色の花は艶やかであり息をのむ美しさがある。

「ミモザ」は、「マロニエ」同様にフランスの香りがする花樹という印象が強い。
実際、南仏カンヌの西方にある小さな町“マンドリュー・ラ・ナプール(Mandelieu la Napoule)”で「ミモザ」が咲く2月頃に“ミモザ祭り”が開催され、小さな街だがヨーロッパの観光スポットとなっているという。
日本では、野田市清水公園で“ミモザ祭り”が開催されていたという記録があったが、梅・サクラ・ツツジは数多くあるがミモザはあまり見かけない。
それにしても、黄色であふれる一面の広がり、街並みは印象的な景観を形作ることだろう。

「ギンヨウ(銀葉)アカシア」が属するアカシア属は、世界で1200種、オーストラリアには1000種もあるというが、熱帯・亜熱帯の植物なので日本では関東以西の気候温暖なところが栽培に適している。温暖なところのどこかで特色のある街づくりとして街一帯をこの花で埋めて欲しいものだ。

「マロニエ」「ミモザ」ともフランス的な香りがする樹木だが実際はそうではない。
「マロニエ」は、1576年にトルコからウィーンに種子がもたらされたので、チューリップ・ライラック・クロッカスなどと同時期にトルコ経由でヨーロッパに伝播したようだ。
(チューリップの伝播)
(クロッカスの伝播)

一方「ミモザ」は、南半球のオーストラリアからヨーロッパに入ってきたものであり、いつ入ってきたかは確認できなかったが、オーストラリアへの入植と無関係ではなく1800年代にはヨーロッパに入ってきていたようだ。「ギンヨウミモザ」の学名の命名時期が1888年でありこれ以前であろう。

「ギンヨウアカシア」の原産地は、オーストラリア南ニューサウスウェールズのクータムンドラ(Cootamundra)という小さな地域に生息する。
この植物を英名では「Cootamundra wattle」と呼ぶが、“wattle(ワットル)は、「編み枝」を意味し開拓時代の入植者が家の壁や垣根をこの枝を編んで作ったことによる。
それだけ、生活に密着した植物であるということがわかる。

「ギンヨウアカシア」のプラントハンター
この「ギンヨウアカシア」を採取したのは、ベイリー(Bailey, Frederick Manson 1827-1915)で、学名の種小名“baileyana”は、彼の栄誉を讃えてつけられている。

ベイリーは、1827年ロンドンで園芸家の次男として生れる。一家は数多くの果樹・ツタ類などを持ってオーストラリアに移住し1839年3月にアデレードに到着した。ベイリー12歳の時であり、これ以降父親の農場を手伝う。ここまでなら立派な農夫になるが転機は彼が24歳の1851年から始まる。この歳にベイリーはニュージランドに行き土地を確保して農場経営を行い、1861年から1875年までは種商をブリスベンで経営する。彼は、クイーンズランドの様々なところを探索し植物採取を行い、英国・ヨーロッパにこのタネを販売した。

ヨーロッパの育種商や園芸協会・植物園などがヒトを雇い未開拓地に派遣し植物を探索する分業システムとしての“プラントハンター”という形態から、採取した植物を育て販売する“シードマン(seedsman)”という形態がベイリーによって成された事は注目される。

また彼は農夫・プラントハンター・種商に止まることなく、1874年には植物探索の副産物として「クイーンズランドのシダ」というハンドブックを出版し植物学者としての実績も築き、翌年からは家畜と植物に影響を及ぼしている病気の原因を調査するクイーンズランド政府の植物学者となる。
ベイリーの名を冠した植物の品種が50種あるそうだが、出発はどうであれ、死ぬまで努力して勉強し続けた行為は讃えられてしかるべきだろう。

(写真)ギンヨウアカシアの樹と花
        

ミモザ、ギンヨウアカシア(Acacia baileyana)
・ マメ科(ネムノキ亜科)アカシア属の半耐寒性の常緑高木。
・ 学名は、Acacia baileyana F.Muell.。属名のAcaciaは、“トゲがある”というギリシャ語‘akazo’に由来し、種小名はこの植物を採取したコレクターによる。
・ 英名はCootamundra wattle(クータムンドラ ワットル), golden mimosa。和名はハナアカシア、ミモザ。
・ 原産地は、オーストラリア南ニューサウスウェールズのCootamundraという小さな地域に生息する。
・ 樹高5~6mと高木に成長する。
・ 開花期は3月頃で、総状花序に鮮やかな黄色の小花を多数つける。
・ 葉は、羽のような羽状でネムノキの葉に似る。葉色が銀緑色でここからギンヨウミモザの名がつく。
・ 根に根粒菌をもつので荒地でも成長が早い。
・ 日本には明治時代末期に渡来する。庭木・街路樹として利用される。
・ 香水、アラビアゴムの原料とされる。

命名者:Mueller, Ferdinand Jacob Heinrich von (1825-1896)
ミューラーはドイツで生まれ、オーストラリアで活躍した植物学者・医師。
「ギンヨウアカシア」を採取したベイリーと同世代で、彼は1847年に南極に面した南オーストラリアのアデレードに結核の療養のために到着した。

アデレードなどの南オーストラリア地域は、1836年にイギリスの植民地となったところであり、地中海性気候地帯で今ではバロッサバレーの優れたワイナリーの地としても知られる。

ミューラーは、1848年から1852年まで各地を植物探索の旅を行い、数多くの新種を発見し1852年にロンドンのリンネ協会に"The Flora of South Australia".の著作物を送った。
1853年にはヴィクトリア政府(州)の植物担当になり、植物調査特に高山植物に関心を持って探索を行い、新しい種を発見するなどオーストラリアの植物の発展に貢献した。

コレクター:Bailey, Frederick Manson (1827-1915) : 前述

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ブルークローバー(Parochetus communis)の花

2010-03-15 09:09:59 | その他のハーブ
(写真)ブルークローバーの花


心ときめく色というものがあるようだ。
色は形を得ることによってより鮮明になるが、えんどう豆に似た蝶形花はより鮮烈なインパクトを与えときめかせる。

このブルーは、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌが捜し求めた「スイート・バイオレット・オブ・パルマ(Sweet Violet of Parma)」に似ていて、二度ときめいた。

「クローバー」は、マメ科トリフォリウム属に属する植物の総称で、属名はラテン語の「tres」(三)と「folium」(葉)に由来し三つの小葉を持つことを指している。

「ブルークローバー」も、三つの小葉を持ち「クローバー」のようでもあり、「オキザリス(カタバミ)」のようでもあるが、これらとは異なる植物だ。
「クローバー」は葉の先が丸く、「オキザリス」は葉の先が割れてハート型をしているので違いがわかる。

「ブルークローバー」の原産地は、距離の離れた二箇所で、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。この二箇所の「ブルークローバー」は別種という見方と、起源は北東アフリカという説がある。人類の起源と大移動とともにアジアに移動してきたのだろうか?

「ブルークローバー」を採取したプラントハンター
「ブルークローバー」を採取したのは、アメリカの医者でナチュラリストのフォースフィールド、トーマス(Horsfield, Thomas 1773-1859)で、1802年にマレーシアで採取したとある。

フォースフィールドは、1800-1819年までジャワで英国及びオランダの東インド会社で医師・薬剤師として勤め、かたわら動植物を採取することを行っていた。
彼が滞在した時期は、アジアでの覇権をオランダと英国が争っていた時期だったが、彼の科学的な姿勢が政治の変化にも影響を受けずに生き残れたようだ。

アメリカ独立戦争(1775-1783)後の1783年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立が認められ、その7年後にはジャワに到着したことになるので、フォースフィールドは、東南アジアでの科学的な研究に従事した初のアメリカ人の栄誉を担った。

まさに、科学に真摯な姿勢で取り組んだフォースフィールドにふさわしい「ブルークローバー」の花色かもしれない。

さらに補足すると、フォースフィールドから100年後の1904年に、中国・雲南省の3000mの高地の谷間で「ブルークローバー」を採取した男がいた。

スコットランドのプラントハンター、フォーレスト(Forrest, George 1873-1932)で、
西欧人として未踏の地、中国・雲南、チベットなどの植物探索をした初期のプラントハンターだ。
1904年から1932年に愛してやまなかったこの地で死亡するまで冒険に飛んだ7回にわたる探検を行い、数多くの植物を採取しツツジ、サクラソウ、クレマチスなどを英国エジンバラ王立植物園などのスポンサーに送った。
発見した新種は1200種にも及ぶという偉大なプラントハンターでもあったが、実績を著作物として残すということをしなかったために栄誉は得られなかった。しかし、現地の言葉を学び、現地に溶け込んでいき、愛する雲南の地にいまも眠る新しいタイプのプラントハンターでもあった。

「ブルークローバー」は、対照的な素晴らしい二人のプラントハンターに発見され歴史に記録された幸運な花なのだろう。

(写真)ブルークローバーの葉と花


ブルークローバー(Parochetus communis)
・ マメ科パロケタス属の半耐寒性の多年草。
・ 学名は、Parochetus communis Buch.-Ham. ex D. Don(1802年命名)。属名のparochetusは、“教区parochial、教会parish”を意味し、種小名のcommunisは、ラテン語で“一般のcommon”を意味する。
・ 英名では、「ブルーオキザリス(blue oxalis)」「Shamrock pea(えんどう豆のようなクローバー)」。「ブルークローバー(blue clover)」は育種会社の流通名。
・ 原産地は、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。
・ 草丈10cm程度で茎は横に匍匐して広がる。葉は3葉でクローバーに似る。
・ 開花期は冬から夏までで、えんどう豆に似た蝶形花の美しいブルーの花が咲く。
・ 湿った土壌が適していて、高温多湿に弱い。夏場は風通しの良い涼しい半日陰で育てる。
・ 繁殖は、秋に株わけで殖やす。
・ ロックガーデン、ハンギングなどに適する。

学名の命名者
Buchanan-Hamilton, Francis (1762-1829)ブキャナン-ハミルトン、フランシスは、スコットランドの医者・動物学者・植物学者で、インドに赴任し1794年から1815年までベンガルMedical Serviceに勤め、1807年から1814年まで、ベンガルの政府の指示に従って、彼はイギリスの東インド会社の管区の中の地域の広範囲な調査をした。彼は地形学、歴史、古代遺物、住民の状態、宗教、自然環境(特に漁場、森、鉱山と採石場)、農業などを調査し報告した。
1814年にカルカッタ植物園の園長に任命されたが、病になり1815年帰国する。

Don, David (1799-1841)
ドン、デビットは、スコットランドの植物学者で、ブキャナン-ハミルトンなどカルカッタ植物園が採取した植物を分類し、ネパールの植物相の著作を編集した。

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クリスマスローズ、オリエンタリス・ハイブリット紫系の花

2010-03-12 13:59:24 | その他のハーブ
(写真)ヘレボルス・オリエンタリス、ハイブリット紫系の花


花茎が真っ直ぐに立ち、まるでヤシの木の様に葉がつき、つぼみの頃はヤシの実がついたようだ。こんな雰囲気をもつ「ヘレボルス・オリエンタリス」のハイブリッド品種が赤紫の花をつけた。

同じ時期に、同種の赤系の花も咲いたが、違いはあるがその違いが微妙な色合いとなっている。

現在の園芸店では、「ヘレボルス・オリエンタリス(Helleborus.orientalis)」のハイブリッド品種が多く展示・販売されている。
この花も、「オリエンタリス」を片親とした交配品種であり、“紫系”としてしか書かれていなかった。

今では、「ヘレボルス・オリエンタリス」が交配の中心になっているため、さかのぼって突き止めることが難しくなっている。

(写真)ヘレボルス・オリエンタリス、ハイブリット赤系の花


クリスマスローズ、異種間ハイブリッドの始まり
「クリスマスローズ(Helleborus niger)」は、2000年以上前から狂気を治す薬草として使われており、原種として20種が認められているが異種間の交雑の歴史は新しい。

最初の異種間交雑は、1930年代に入ってからであり、その最初の交雑種は「ヘレボルス・ニゲルコルス(Helleborus × nigercors J.T. Wall)」のようであり1931年に作出されたのではないかといわれている。

この「ヘレボルス・ニゲルコルス」は、 「H.ニゲル」 と  コルシカ島原産の「H.アグティフォリウス」 が交配され、寒さに弱い「H.アグティフォリウス」の弱点を克服し耐寒性・耐暑性に強い交配種が誕生した。


1939年には、英国のフレデリック・スターン卿(Stern, Sir Frederick Claude 1884-1967)によって有名な品種「ヘレボルス・ステルニー(Helleborus x sternii)」が作出された。

両親は、有茎種同士で 「H.アグティフォリウス」 と 「H.リヴィダス」であり、 両親の中間的な仕上がりとなっている。
花色は(正しくは萼の色)ピンクを帯びた淡い緑色、葉は濃緑色のメタリック調で葉だけでも楽しめそうだ。
今では、「H.ステルニー」を親とした新品種も数多く作られている。

作出者のフレデリック・スターン卿(Stern, Sir Frederick Claude 1884-1967)は、英国の園芸家で、1909年にウエスト・サセックス州ワージングの近くにHighdown Gardensを創った。
この庭園は、中国・チベット・日本などでプラントハンティングをしたファラー(Farrer ,Reginald John 1880 – 1920)が採取した高山植物・樹木が植えられ、スターン夫人とともに素晴らしい庭造りを行った。

本線から脱線するが、ファラー(Farrer ,Reginald John 1880 – 1920)は、40歳でビルマの山中でなくなったが、中国・チベットなどの植物をイギリスに持ち込み、1907年に「My Rock Garden」を著しロックガーデンの様式を作り出したことで知られている。その様式美には、1903年に8ヵ月の間日本に住んでいて日本庭園の様式をも学んでいることが影響している。
貴族・富裕階級しか維持できない形式美が勝る庭園から市民・庶民が楽しめるより自然なガーデンを提唱しているので園芸の楽しみを広げる役割を果した人でもある。

1960年代からクリスマスローズの改良を行ったのは、クリスマスローズの女王といわれるイギリスの女性育種家ヘレン・バラード(Helen Ballard 1909-1995)などで、以前のコメントを参照していただきたい。

(写真)ヘレボルス・オリエンタリス、ハイブリット紫系の立ち姿
        

クリスマスローズ、オリエンタリス・ハイブリット紫系
・ キンポウゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある常緑の多年草。
・ 学名はヘレボルス・オリエンタリス・ハイブリッド(Helleborus × hybridus purple-flowered)。
・ イギリスでは、オリエンタリスを四旬節(Lent)に咲くのでレンテンローズ(Lenten rose)とも言う。
・ 和名は花の形が、祭りでかぶる花笠に似るので八つ手花笠とも言われる。
・ オリエンタリス(h.orientalis)種には三つの亜種があり、原産地はロシア、コーカサス地方、トルコ、黒海沿岸の石灰質の土壌に生育し、園芸品種の交配種の片親となる重要な原種。
・ 草丈20-40cmの常緑の多年草で花弁状の萼(がく)の色は黄緑色で縁は紫色を帯びる。
・ 開花期は、クリスマスローズよりも遅く2月頃から咲く。「ハルザキクリスマスローズ」とも呼ばれる。
・ 花茎は単一で先端に一輪または分岐して二輪の花をつける。
・ 花のように見える5枚の花弁は、花を保護する萼(がく)で、本来の花弁は退化して蜜を出す蜜腺となっている。
・ 受粉の仕組みは、先に雌しべが成熟しその後で雄しべが花粉を放出する。雌しべが受粉して種が出来るのが5月頃。
・ アルカリ性の土壌を好むので石灰を入れて酸性を中和する。また肥沃な土壌を好む。
・ 高温多湿には弱いので夏場は半日陰で育てる。
・ 乾燥気味がよいので、乾いたらたっぷりと水をあげる。
・ 繁殖は株分けをする。
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