今年の春の親子遠足もお天気に恵まれ、砧公園で楽しく過ごすことができました。その1週間前の週間天気予報では、雨マークがついていたので心配していていましたが、「最近、砧公園への遠足の日、お天気が悪かった記憶はないから大丈夫だと思いますよ。」という、ベテランの先生の予言?通り、絶好の遠足日和となりました。
風薫る五月ということばがあるように、若葉が芽生え、その香りが漂うさわやかな風を感じることができるのもこの季節です。今年の遠足も心地よい風を感じながら、みんなと一緒に楽しい時間を送ることができました。その一方、今週の火曜日は久しぶりの強い雨に加え、ちょうど朝のドライブの時間に激しい風が吹きぬけ、お迎えをしていた私がさしていた傘が壊れてしまいました。このように、あるときは優しく、あるときは厳しく私たちの周りに吹いている風。
「風がどこから」という聖歌があります。
♪ 風がどこから 吹いてくるのか 人はだれも知らない
愛を呼び覚まし 心を潤し いつの間にか
わたしの中を 吹き抜けてゆく
それは気高い キリストの思い
どこへ風は吹いてゆくのか 誰も知らない。♪
(典礼聖歌386番 作詞 菅野 淳)
ここに歌われている“風”はいつも私たちと共にいてくださり、私たちを導いたり援けたりしてくださる神さま「聖霊」を示しています。聞きなれない「聖霊」という呼び方ですが、天使幼稚園でも、お祈りの初めや終わりに「御父(ちち)と御子(こ)と聖霊のみ名によって。アーメン。」と唱えるなど、さりげなく幼稚園の生活の中に入りこんでいます。
人としてお生まれになった「“御子”イエス・キリスト」の姿は馴染み深いものですが、神さまは本来その姿を見ることはできません。でも人々に神さまの力を分かりやすく伝えるために「天地の創造主である“御父”」は威厳あるひげを生やした老人の姿で描かれることが多く見られます。一方、「聖霊」は聖書の中では「鳩のような姿(イエスの洗礼)」や「炎のような舌(聖霊降臨)」そして「風」あるいは「息」として描かれています。
平和のシンボルともされる「鳩」の姿は、聖霊の力の素直さや無垢であることを示し、また「炎」は、人々の心を燃え上がらせ、「舌」は神さまのことを力強く人々に伝える力を与えることを示しています。
そして「風」。「風がどこから」にも歌われているように、聖霊=神さまはいつも私たちと共にいて、あるときは優しく心をいやし、あるときは強く励ましたり道を示したりしてくださっています。でも、多くの場合人々はそのことに気付かず、困難なことを自分ひとりの力で乗り切ろうとしたり、成功したことを自分だけの力で成し遂げたと思ったりしがちになるものです。「人はだれも知らない」というフレーズは、「ねえねえ、ちょっと気をつけて感じてごらん。いつも神さまがあなたと共にいてくださるんだよ。」ということを教えてくれています。
今年は「園長だより」に「風」というタイトルをつけました。それは、毎月一回こうして皆様に伝えるメッセージが、神さまの働きのように、皆様方の心に、ある時はそよそよと、ある時は力強く伝わってほしいという願いを表しています。小さなたよりではあるけれど、少しでもみなさんのお役にたつことができれば幸いです。
♪ あなたの いきを 送ってください
すべてが 新たに なるように ♪
(典礼聖歌5番 作詞:佐久間 彪)
(園長 鬼木 昌之)