お正月にNHKスペシャルで「人類誕生」の再放送がありました。その第2集は「最強ライバルとの出会いそして別れ」という題で、わたしたちホモ・サピエンスが生き残り、ネアンデルタール人が滅びてしまった理由を解き明かしていました。
今から4万年ほど前まで、屈強な肉体を持ち大きな獲物を仕留めることができるネアンデルタール人が一大勢力をなしていました。その頃、体が小さなホモ・サピエンスは、小さな獲物しか得ることが出来ず、細々と暮らしていたそうです。ところが、それから1万数千年後、ネアンデルタール人は滅び、わたしたちホモ・サピエンスが、ヒト属で現存する唯一の種になっていました。カギを握っていたのは、ホモ・サピエンスの「弱さ」と、それを補うために進化させた「ある力」だったと、番組の中で紹介していました。強いものが滅び、弱いものが生き残る……。何だか昔話によく出てくるパターンですね。
体が大きく単独でも大きな獲物を仕留め、おなかいっぱい食べることが出来るネアンデルタール人は、基本的に家族単位で生活していたそうです。その一方、体が小さいホモ・サピエンスは、単独では獲物を仕留めることが難しいので、集団を作り仲間と協力して獲物を得ようとしていました。こうして共同生活を営むと、一人が発見した技が周りの仲間たちに広がり、それが共通の知恵につながっていきました。また、共同生活を送る中、お互いの思いを伝えるために「言語」が発達していきました。そして言語の発達が、さらに大きな進歩をもたらしました。
ホモ・サピエンスは獣の皮を縫い合わせて衣服を作り、寒さをしのぐことが出来るようになりました。そのために用いる針は動物の骨を材料とし、それを細く削って作っていました。その作業をする時の脳の働きを調べてみると、言語をつかさどる部分の働きが大きくなっていることが分かったそうです。わたしたちも何かを作る時、あまり意識はしないけれど、頭の中では「初めに材料を切り、次にそれを重ね合わせて……。」と言語を使って手順を確かなものにしています。こうして物を作り出す過程の中で言語を用いることを通して、わたしたちの先祖はさらに脳を発達させてきたそうです。
旧約聖書にバベルの塔のお話があります。自分こそが最高の存在であり、何でもできると考えた人びとが、天にも届く塔を建てようとしました。その高慢さに怒った神さまは「言語」を混乱させ,人びとを各地に散らして完成を妨げたというお話です。ここにも言語が人々の交わりにとって大切だということが示されています。
そして現代。日本の教育界は、情報技術の発達や国際化さらに気候変動の激しさなど、変化が激しいこれからの時代に向けて「生きる力を育む」ことを目標に掲げています。
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の結果を見ると、日本の子どもたちは、読解力や記述式の問題に課題があり、基礎的な知識・技能は身に付いているものの、知識・技能を実生活の場面に活用する力が不足しているそうです。その一方、平成21年度全国学力・学習状況調査(小学校)の結果を見ると、文章で書かせる指導をよく行っている学校や、保護者の学校の諸活動へのボランティア参加が多い学校は正答率が高くなっているとのことでした。
今、現代の若者たちの語彙力の低下を懸念する声が聞かれます。その一例としてあげられるのが「やばい」という言葉です。「美味しい・可愛い・強い・楽しい・かっこいい・綺麗・素敵……。」様々な感情をこの一言で済ませてしまっています。言葉を選び、細やかな思いの違いを相手に伝えるという、言語を使って思考し、伝えるという習慣が希薄になりつつあるようです。
集団を作って仲間と協力し、言語を通して互いに助け合い、さらに自らの考える力を伸ばしていったホモ・サピエンス。そのあゆみを忘れ、言語をおろそかにしていくことで、わたしたち人類はネアンデルタール人と同じ運命をたどることになるかもしれません。子どもたちの健やかな成長を育むためにも、言語を使ったふれ合いを、これからも大切にしていきたいものです。
(園長 鬼木 昌之)