トゥンベリさんを見ていると、自力で洗脳から脱出した大川隆法の息子や籠池さんとこの息子さんマジで偉いなと思う。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) 2019年9月24日
中川さんちの息子さんの場合、『最も美しい女性アイドルは誰か』という問題が絡んでたりして―となるとグレタ・トゥンベリの場合、その自我の発生はどこに求めうるかなあとか懸念されよう。
【作戦者の思う壺ではある】
だから、本当に彼女の将来を憂えてるのなら「躊躇を覚えない(ように推測される)周りの大人の態度に引」くより先にまず「一人の人間に、それも年端のいかぬ子供に、人生を丸ごと賭けさせてしま」った我々大人の無責任・無能っぷりを猛省してろって話なんですよ。
— Dr. RawheaD@10月6日〜11月15日一時帰国、プリント注文承り中 (@RawheaD) 2019年9月24日
周りの大人たちの存在に気付いているなら、その大人たちの「作戦」にも自覚的であるべきでしょう。そのうえで乗るのは、もはや娯楽でしょうが。例えば、『艦これ』のキャラに萌えるのは娯楽だ。だが『ぼくの嫁=時雨ちゃんを汚す奴は敵! 邪悪! 社会的制裁を受けろ!』と叫んで行動し始めたらおかしいでしょう。
グレタは"環境団体に利用されてる"と言う方がいますが、彼女に限ってそれはないと思います。なぜなら…
— 伊吹早織 Saori Ibuki (@ciaolivia) 2019年9月24日
・11歳、温暖化への不安などでうつに
・12歳、環境のためビーガンに
・12歳、飛行機に乗るのをやめる
・15歳、学校スト開始
・16歳、国連に行くためヨットで大西洋を渡るhttps://t.co/gqeElhyEPZ
それがなぜ「ない」と思えるのかの理路が予測できない。まあ、こんなふうにクる用語を用意して、世間の”政治的に正しそうなこと好き”な大人たちがこぞって賞賛するようなふうに仕組んで、ひとを動員していく…という手法であるわけだ。
残念かもしれないが、ポリコレ棒でのお遊びは普遍化してしまったので、この手法自体もすぐさま解体されてしまうが。「白人」の「少女」で「両親は社会的ステータス超高め」な「先進国出身」すなわち社会的強者としての属性てんこもり、それが発展途上国の”発展”の仕方を規定しかねない発言を…というのは、ポリコレ的にマズイ。
【家庭教育の失敗ではあるわな】
11歳の子供が温暖化への不安から鬱になって、まだ成長期の12歳で野菜しか食わない偏食を始めるとか、まず周りの大人が追い込んでる可能性疑うべき案件に、むしろそのガキ神輿に担いで、彼女に限って利用されてないとか、馬鹿か。世の馬鹿さ加減を練って固めた馬鹿の精髄か。https://t.co/yGNwo1VEku
— TruKz (@_TruKz) 2019年9月24日
むしろ周りの大人たち・家族たちにヴィーガン生活を強要していったほうだとか。だからまあ、悪く言えば、わがまま一杯に育った躾不良のぼんくら娘とでも言えるし、親の教育がなってないと切って捨てることもできるのだが、残念なことに16歳にもなって権威ある場所で権威ある言葉を発する位置に立ってしまったので、もはやみなし大人になっちまうわけですよ…。
【これはこれで正論のひとつだろうが】
結局あの子については、生育歴考えたら思春期鬱でヴィーガンで栄養も足りてなくてアスペルガーなんだから、周りの大人がやるべきことは、激しい毀誉褒貶に晒されるような政治の舞台に引っ張り出すことじゃなくて、今後幸福な人生を送れるようにケアしてやることじゃないの?ってことに尽きる。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2019年9月25日
正論なんだが、もう遅い、遅いんだ。もはや自立した個性という体で大舞台で発表してしまった。
平穏な生活は、親の属性もあって、もはやほぼ不可能だ。
いまさら「ヴィーガンで栄養も足りてなくて」で発言をとりけしたり、発言権を剥奪するのは、ヴィーガンへの間認定を可能にしちゃうし、誰かがアホなこといったら”栄養が足りてない”ことを理由に狂人扱いしていいことになる。「アスペルガーなんだから」も同様、アスペルガーのひとにまっとうな発言ができるわけがない、これは健常者にきちんと指導されなければならぬ、ということになりかねない。
だから、彼女は、みなし大人とならざるを得ない。せざるを得ない。
政治的正しさからいえば、そうする以外にない(と、私はおもう)。
彼女を操る大人たちは、そうしたことに、恐らく自覚的でありつつ彼女を犠牲の庭に供した。これは邪悪なのだが、しかし、この狡知な邪悪に、困難であれ立ち向かうのが大人たるものだろう。
【これはこれで正論のように聞こえるが】
「私は本来ここにいるべきじゃ無い」って本人も言ってるわけで、それに対して「その通り。本当に申し訳ない。これからは何があっても我々があなたの代わってなんとかする」ってなぜ言わないんだ。
— Dr. RawheaD@10月6日〜11月15日一時帰国、プリント注文承り中 (@RawheaD) 2019年9月24日
ダメです。
それは彼女を一人前の人間として扱うことを拒否する立場です。いやまあ未成年(18未満)だから子ども扱いが一応の原則ですが、主体的存在であることを否定される年齢でもやはり、ありません。
一個の人格として人の前に立つことを選んだのだから、それ相応に扱わねばなりません。
そしてその上で、彼女は、環境問題の聖天使としてまつろわぬ者どもに断罪の宣告をすると宣言したのであり、世界観闘争待ったなしなのです。
これからはナントカする―もなにも、今現に行われていることはほぼ全て罪あるものとされてしまい、彼女ないし彼女に準じた若き人のお眼鏡によって再度評価していただかねばならぬことになる。
では、現に仕事している者たちは、なぜ彼女に信じてもらうためにリソースを割り振らねばならないのか? 彼女は予算権者か? 何の資格で? ―このコストに大変な疑念が呈されているのだと、まあ、旗振り人のリズムにあわせる人たちとは別に、実務に携わる立場の者としてはいうべきだろう。
グレタ・トゥーンベリさんのこのスピーチについて「表情も言葉もわざとらしくてイヤ」「嫌悪感」「警戒心しかオレには浮かばない」という元官僚の呟きが流れてきた。生理や情緒に居直り、みずからの感覚の正しさを一ミリたりとも疑わず、相手を自己の世界から消去する。それが大人のすることだろうか。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2019年9月24日
とまあ、これも鏡の映像の関係にある。グレタ・トゥンベリを”なんかイヤ”って感じの感覚で排除するのも、”この子が活動しなくていいように自分が肩代わりしよう!”とするのも、本質的に彼女を”我々”の外に配置する点では同様の悪徳といえる。
まあともあれ、彼女もあと二年ほどで、今彼女が攻撃しているところの大人になっちゃうのであり、その後の活動をどうするか、まあ周りの大人はちょっと教育してあげるといいんじゃないかなあ。大人どもを攻撃できる時間は、もはやさほど残されていないんだ。もうすぐ大人として責任を問われるんだ。
…これねえ、12歳くらいの子にさせればよかったねえ。15-16歳では、もはや大きすぎるよ。