空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「だって先生ですよ」

2010-12-23 13:39:33 | Weblog
 とある方の最近のご研究について某氏に聞いたところ,この反応。先生になったんだから,なんで研究する必要があるんでしょう?という意味らしい。

 いやあの,その,小中学校ないし高校の先生なら,そりゃあ研究(※学術研究を指す)はしないだろうけど。だって業務に入っていない(よね?)し。いやだから(大学の)先生だから研究するんでしょうが。だって先生ですよ?

 で,とりあえず年末に向けて論文の締め切りが…と言いましたところ,「博士なのに?」と言われました。いやあの,博士号って,最近は(アカポスに)就職するに際して求められる免状になってますけど,『それ以上研究しなくてもよい免状』じゃあなくね? 

 たしかに,博士号はあるとないとで給料のレートがあがるのあがらないのの差になったりしますが,それ博士号の意味じゃないよね。

 博士号について,足裏についたご飯粒,という言い方がある。取らないと感じが悪いが,取ったところでなんということもない,というのである。これは実際,ある本質を突いているのであって,博士をとったところで『研究する私』という存在自体は変化しない(もしそこで『私の本質』に変化が生じると思うのならば,それは研究活動の一成果に過ぎない博士号を何かそれ以上の権威を持つモノとして物神化しているのだ)。
 博士号は,この点から言えば,単に符号に過ぎないのであって―その人の本質に何らかかわりのないものである。

 いや,ある程度の学術能力を保証するしるしではあるんだが,だから一般企業の一般的な職に就く際にある種の免状として機能することはわかるんだが,研究の文脈にある限り博士なのに研究しないでいいなんてあるはずがない。役職者は流石に時間的に無理だろうが,彼らにしてもそもそも自分は本来的には研究する存在だという大前提は生きている

 えーとね。

 最近のメモの関係上,ここを読む若手博士/研究者さんが幾人かいらっしゃる気がするんですが。

 わかってるかとも思いますが,職についてる人の意識って,こんな風だったりもするんですねという,そんな話です。なんかごめん。うん。すごくごめん。でも私には私の仕事をする以外には,ほとんど何もなしえないから,それもごめん。



 ああ,あと私は結婚相手として,たぶん望ましくないから。だってイヤでしょう,研究のために給料使い込むのの相手なんて。生活,安定しねえ。
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2 コメント

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Unknown (ftb)
2010-12-24 20:50:03
「足裏についたご飯粒」の原義は「取らないと食えないが、取っても食えない(ような資格を私は持ってます)」だったはず。知ってたらゴメン。栄養士の友達が昔言ってた。
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>取っても食えない (teiresias)
2010-12-24 22:44:36
あ,そうそう。オリジナルはそうでしたね。ありがとうございます。

無職時代は仮に研究する人生とか見てて,割と目にすることの多かったフレーズでして。うろ覚えで書いてました。

最近はめっきり見に行かなくなりましたね,仮研。学振(落選)報告したのも今ではよい(?)思い出です。


…ところで,こういう有名フレーズを間違えるのは,2ch的にはモグリかカタリかが確定フラグかと思いますが,……じゃあ私は何者なんだろう(苦笑)。
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