空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

学習項目:「フラジリスタ」

2018-03-20 12:12:28 | ノート


 この「フラジリスタ」とは何ぞ。検索すると以下の記事が出てくる:

Diamond Online 社会を「脆く」する犯人「フラジリスタ」とは誰だ? 『反脆弱性』が暴く問題の本質 2017.6.30 ナシーム・ニコラス・タレブ;望月 衛;千葉敏生 

フラジリスタ(fragilista)は、「脆さ」や「脆弱性」を意味する「fragility」と、「〜する人」を表わす接尾辞「-ista」を組み合わせて作った造語と思われる。「-ista」は悪い意味を表わすことが多い。日本語にすれば「脆さを生み出す連中」というくらいの意味

フラジリスタは「ソビエト=ハーバード流の錯覚」に陥りやすい。これは科学的知識の適用範囲を(非科学的に)過大評価する現象だ。この錯覚を抱える人々は、「浅はかな合理主義者」「合理化主義者」、または単に「合理主義者」と呼ばれる。彼らは物事の根底にある「道理」が、自動的に理解可能なものだと決めつけている

 あまりにも自明な事実を自分は発見した、言われればすぐ分るはずだ、しかし言っても分らぬ者は愚者か狂信者か狂人だ―という理屈がすぐさま展開する。これは日常的に観察される現象だ。

 そして彼らは「彼ら」にとって「合理的」な解釈を作り上げる:

物理学以外の複雑系の分野全般では、物事の根底にある道理は私たちには理解しづらい。フラジリスタにはもっと理解しづらい。ところが、自己紹介をしてくれるユーザー・マニュアルがないというこの自然界の事物の性質は、悲しいことに、フラジリスタにとってはあんまり障害物にはならない。フラジリスタたちは彼らの「科学」の定義に従い、団結して自分の手でそのユーザー・マニュアルを書き上げるのだ

 どういうことかというと



 目の前の複雑な現実に対して、効率的に理解できるような解釈を見つけ出し、その解釈で理解しかねる部分については新データによる仮説の検証ではなく、既に理解し終えた項目の援用による物語で埋めていく。それでまあ、一貫した理解はできるにはできる。それゆえ「解釈」は、その本来的適用可能範囲を越えて暴走し―



 という現象を引き起こす。ある種の立場をとる人々に典型的に見られるが、安倍首相は独裁者で悪辣かつ小人物的でなければならず、トランプ氏は狂人でなければならず…それに反するような事象はすべて却下する。これは最近みられる”リベラル””反差別”の類にも見られるし、彼らが敵とする”差別主義者”にも見られる。



 あるいは、自分がしているかもしれない差別というのは瑣末なものであって現今の問題とするには足りぬもの、と考えるとか。それゆえこのようなことが起こる:





 共に市民社会を形成する同僚、という連帯を破壊するゆえに、私はここにいわれる「安倍アンチ」も「安倍を持ち上げる連中」も同罪と思うが、おそらく私は双方に嫌われることだろう、「敵」として。





 放射能は危険なものでなければならない、福島は放射能汚染されて危険なものでなければならない、という大前提からこのような行動に出るわけだ。

 類例は





 ―この場合は、アメリカ・フランスのような「先進国」であればこその新しい野蛮を問題とする側面があろうが。
 けどまあ、だからといってアサドが免罪されるかといえば、そりゃあないわなあ。





 この辺の感覚、お年を召した方々には理解できない模様である。
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1 コメント

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「彼ら」はこの「有益な資源」を保護し、利用し続けるだろう ()
2019-10-11 22:46:17
関連記事から抜書きメモ
「それでも「彼ら」は、「反アベ」だけでは戦えず、といって各地域ごと個別のイシューを分析して戦うだけの研究調査コストを支払わない・支払えない以上、自派の統合の理念として低コストで利用できる便利なカードに依存せざるをえず、結果として原発問題を延々利用し続けることだろう」
「「彼ら」にとっては、”福島の放射能由来の健康被害”は永続的に発生してくれないと困るのである。そうでないと、「彼ら」の統合自体が危うくなる。そしてそれは何人かの生存に関わるのであり、「彼ら」は「彼ら」が生き残るため、その資源を福島を差別することで調達するのであり―それを「止めろ」というのは、「彼ら」に死ねというに近い。「彼ら」は、自分たち自身が死にたくないために他者を(この場合、福島の住民を)理念的に殺害しているわけなのだ」

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