「安倍晋三首相が衆院を解散した翌日、怒れる女性たちが集い、気勢を上げた。「独善的なオッサン政治はもう勘弁だ」」
この場合,「オッサン」というのは侮蔑的な響きをもっていないか,どうか。
「東京都大田区の元区議・奈須りえさんは「政権の言う輝く女性とは、ほんの一部の女性を指しているのではないか」と疑問視。「名ばかりで骨抜きの法案」にさせないため、「女性が政治に関心を持っているところを示さないといけない」と訴えた」
ここで「ほんの一部の女性を指している」というのは,たぶん,正解。そもそも輝いていない(輝く芽のない)女性は出る目がない、登用もされないだろう。
「安倍政権は「女性が輝く社会」を掲げる。大企業や国、自治体に女性登用のための独自の数値目標決定と公表を義務づける女性活躍推進法案はしかし、実効性を疑問視する声が上がり、今国会では廃案となった」
あくまで,輝きの芽を持つ・輝きつつある・輝いている女性を,同程度の芽・輝きの男性より優遇してみてはどうかということであろう。
逆にいえば,登用すべき能力を持った女性を速やかに昇進させよ,という法律であって,女性であるがゆえに登用せよ,というわけではない。それゆえ,登用に値するよう女性を教育してこなかったりしただろう現状では,実用するには困難だという反論がでてくることだろう。
「横浜市神奈川区の女性会社員(40)は「政治には何を期待しても無駄だとあきらめてきたけれど、そんなことはないと思えた。こんなふうに怒りや思いを共有できる女子会を友達と企画してみたい」と声を弾ませた」
政治が縁遠いもの…と一般人に思われがちなのは,政治家が身近にないことにもよる。そこで,政治家と触れあえる機会ができれば,議会にアクセスするルートが開かれれば,政治をより身近に感じることもできる。そういう機会として,こういう試みは有用である。
次の問題は,自分たちの活動が「セージヤ」たちの道具にされやしないかと自問自答し,自らの運動を練り上げていけるかどうか。
つまるところ、<人には上下があり、貴賤の別があり、長幼の序は大切で、もちろん、男のほうが女より上。国民みんなが、そのような上下貴賤を理解して、それぞれの分にあった生活、発言をしましょう>てのが現政権の基本姿勢でしょ? 私はヤだよ。そんな社会は真っ平ごめんだなあ。
— 松井計 (@matsuikei) 2014, 10月 22
少なくとも一点、確実に間違っている。
現政権が、女性の社会進出を進めようとして、男女平等の原則を破ってまで女性優遇措置を繰り出そうとしたという点を忘れてはならない。
そして、そうまでして進行させようとしたのは、『女性だから男性より昇進するべきである』という純粋な女性優遇の思想(「女のほうが男より上」)ではなく、『能力ある女性は(より無能な)男性より昇進するべきである』という原則である。
だから、現政権の基本姿勢というのは、上掲のヒトの言葉を借りれば<人には上下があり、有能無能の別があり、もちろん、有能なもののほうが無能な者より上。…(云々)>ということになる。
私はむしろ社会主義思想のほうであって(中高時代の愛読書が現代教養文庫だったりした)、無能が死の理由とならないやさしい社会を望みたい。が、有能な味方なり、投票するに値する代議士なり、いて欲しいなあと思う今日この頃。
で,まあ。我々は18歳前後の段階で選別されたりする。この場合,「無能と評価された」というのは,偏差値的に劣位であるというわけで,より高級な偏差値の大学に行ったひとはより高い給料・地位に恵まれるだろうと予測される。
まあ一応,”公平な競争”によるわけで,一応,我々はこの結果にそれなりに納得するのである。
が,”偏差値だけでは人間の優劣は測れないっ”という思いもあり(実際,超絶エリート東大生でもスカがいたりして,そういう報道があると),”まあそれもそうだよなあ”とAO入試とかなんとかやっちゃってみるのである。
それでまあ,”ああよかった,偏差値劣位でも,才能のきらめきがある人は救われることもあるんだ!”と心の安定を得るのであるが,ときどきそーいう試験で通ったひとがスカをうつことがある。脇でみていると,なんか例の「大和君(小4)」もそれっぽく(参照,NAVERまとめ 【AO入試ビジネスの闇】小4なりすまし慶応生青木大和「NPOのスタッフ全員がAO入試で合格!」)…
AOってそんなに批判されてるの?わしもSFCだけどさ(英語で受験したが)。受験組がAOの人が入ってくると質が悪くなるって騒いでるんだろうけど、そうはおもわないよ。ベンチャーみたいなもんで。SFCなんて99人のゴミをだしても1人のホーランをだしたらいいと思うよ。
— 大石哲之(おおいしてつゆき) (@tyk97) 2014, 11月 24
”ベンチャーみたいなもの”で、たまにホームランがあればいいかー、的なものと思えばいいんじゃないの?というのは、まあ理解する。
が、AO入試を批判する学力入試組 が 騒いでいるんだろうか? 学力入試組 だけが 騒いでいるんだろうか? と疑問を持ってみよう。その場合、今回の「大和君(小4)」の場合,厳密には早稲田の学力入試組が騒いでいる―ということになる。ならば大衆的基盤を持っていないことになる。なぜなら,早稲田に学力で入るひとたちなんか,全人口にくらべればごく少数だからだ。
むしろ,「それ以外」の人たちが騒いでいるというのが,実数としては,妥当ではあるまいか。
つまり,もしかしたらAO入試でハネられたかもしれない人たち。
AO入試でもなければ,そーいう大学に入る夢をそもそも持てなかった人たち。
ああ,本当にとびぬけた才能を持った人が,のびのびと才能を伸ばせるようなら,そんな環境のためなら,俺たちは多少の不平等に納得するさ,ああ,たとえば錦織が成長できるような環境のためなら! たぶん,AO入試って,そういうひとを伸ばすためにあるんだ!
でもさ,”とびぬけた**”ってのが,実際上は政党関係者とのコネとかでしかなくて,その当人の質ってのは,小学四年生のなり済ましですら一日,二日しか持たないような,そんなアイディアも貧困で演技力もないような,俺並みのアホだったら…
…なんだよ,そんな俺並みのアホに「わせだだいがくそつ」なんて肩書をつけるAO入試って,ダメなんじゃないの? それとも,政党関係者とか,そういう特権階級の便宜を図るための制度かよ,それ!?
…こんなかんじ。
結局、慶応AOって親が金持ってて、目上に媚びることがうまくて、しかも目端の効いた小狡い奴のための制度ってことでしょ。AO入試組の青木大和と古市憲寿は似てるよ。左翼に媚びて出世とか
【AO入試ビジネスの闇】小4なりすまし慶応生青木大和
http://t.co/Ws5Mrat4UE
— eternalwind (@juns76) 2014, 11月 24
慶大AO入試を作った加藤寛って、新自由主義者で、しかもゆとり教育支持の典型的なネオリベだよね。こいつらが、日本に階級社会を持ち込みたかったのがよく分かるよね。
— eternalwind (@juns76) 2014, 11月 24
ゆとり教育って、ようするに富裕層に生まれた子供が、受験戦争勝ち上がらなくても、自動的にエリートコースに乗ることを目的にした制度だよね。んで、小狡いだけの青木や古市みたいな似非エリートが出てくるんだろう
椅子は限られてるのだから、代わりに弾かれるのは、勉強のできる貧しい子だよね。
— eternalwind (@juns76) 2014, 11月 24
まあこういうことを言う人もでるだろうという。
なお私は「勉強のできる貧しい子」のほうに近い。「いうほど貧しくはなかった」というあたりだが。
まあそうなると、お豊かな家庭ご出身かもしらん、やや頭部の中身が残念な子がしでかしたりするのの後始末をする係とかになることになり(なにしろ残念な子は後始末、片づけができないからそう言われるんであって)
「行動する者は無条件に偉い論」のダメな所は、後始末をつけるという覚悟が無い所です。じっと我慢する事ができない馬鹿の尻拭いをするのは、いつも私のような下っぱなんですよ。祭りの後片付けをするのは、いつも私のような下っぱなんですよ。
— 有坂 一夫 (@kazuoarisaka) 2014, 11月 24
という感じに襲われる。
日本の大学は勉強しない、企業も成績を見ないと言われるが、この歳になって周りを見渡すと、出世してるやつはみんな学生のときに真剣に勉強してたやつだな。毎日飲んでばかりだった人たちやコミュ力ない上に学業のセンスが無かった人たちは、出世しないサラリーマンか、それさえドロップアウトしてる。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2014, 11月 5
そんなわけで、「○○だいがくに はいる」とかが自己目的化しちゃうとダメになるよねえ、きちんと勉強しなきゃあねえ、という超つまんないオチ。この問題の(小4)の子は、今後の頑張り次第で立ち直りもできようから、まあ頑張るとよいとおもう。
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