ヒューズ国務長官のイニシアティブ

2014年08月19日 | 歴史を尋ねる

 1921年(大正10年)7月、米国は日英仏伊にワシントン会議の非公式な提議をした。日本はボトムアップ方式で会議の準備に取り掛かった。そして会議の主眼を軍備制限(軍縮)に置き、太平洋および極東問題は、将来のため政策について列国共通の理解にとどめるという、楽観的な一般方針を決定した。そしてワシントン会議はその11月第一回総会を開いた。冒頭ヒューズ議長は、歓迎の辞などを省略して、いきなり、英米および日本が制限すべき軍艦の隻数およびトン数に関する具体的な計画を述べた。軍事交渉は秘密交渉として行うという当時の国際慣行を破る、極めて型破りな開会演説であった。ヒューズ案は、米英日3か国の主力艦建造計画をすべて放棄するとともに、老齢艦艇等の一部を廃棄し、主力艦を米国、英国は50万トン、日本は30万トンに制限し、巡洋艦、潜水艦および航空母艦等の補助艦も同様の比率に制限するというものであった。対米比率6割は由々しき問題であったが、加藤友三郎は英米協調主義者として、第2回総会で、ヒューズ提案に賛同の意を表する所信表明の演説を行った。こうして、海軍軍備制限の討議は、専門委員会(分科会)に委ねられた。しかし、対米比率7割に固執した海軍首席随員加藤寛治中将の強硬な態度で、委員会は不調に終わった。その結果この問題は非公式の日米英3国全権会見に託された。

 続いて第1回太平洋および極東問題総委員会で、ヒューズ議長は何らの提案を試みることなく、施肇基中国全権に中国の領土保全、独立の尊重、門戸開放・機会均等等をうたった10か条の提案を行わせた。横山隆介氏はこれを「ヒューズの第2爆弾発言」と評している。この会議でヒューズは、中国問題のほかに、シベリア、太平洋諸島の委任統治、海底電線および太平洋における国際通信という難題に積極的に触れた。米国は、ワシントン会議招請の際に、太平洋および極東問題について一般事項のみを審議し特定事項に触れないという日本との約束を反故にしたのだった。加えて第2回極東問題首席全権分科会から幣原全権が病気のため出席できなくなり、代って埴原正直外務事務次官が出席した。第2回太平洋および極東問題総委員会で、加藤友三郎は、対中国の友好関係の樹立、門戸開放の無条件無担保での尊重および、極東平和のための列国協力等を述べ、国際協調路線を明確にした。以後、中国問題は「ルートの4原則」と呼ばれる決議案をもとに討議された。同日午後、ヒューズ議長は、加藤友三郎およびバルフォアを国務省に招き、今後は随時非公式会議を行い、膠着状態にある軍備制限問題のみならず、並行審議中の太平洋および極東問題も解決したい旨を述べ、日英米3国全権会見が開始された。

 12月に入ると、加藤友三郎は英米が共同歩調を取り始めたことを伝えて本国からの訓令を待った。返事の訓令は、①米国提案の比率に同意するほかない、②太平洋諸島防備問題は現状を維持せよ、③建造中陸奥の復活に全力を尽くせ、というものであった。日本政府は今や太平洋の恒久平和を目的とする四国条約が成立しようとする状況にある時、海軍比率問題を決裂させることになれば、国際的孤立に陥ると判断したのだった。しかし四国条約が日英同盟に変わる協約であるという日本政府の認識は、米国の日英同盟破棄の野心に比べれば余りに楽観的過ぎた。

 バルフォアはワシントン会議開催直前ヒューズに日英同盟に代わる三国協約を要求した。会議が始まって、加藤友三郎は埴原を伴い、日英同盟問題を解決するために、バルフォアを訪問した。加藤は同盟存続を希望するが、バルフォアは日英米同盟三国協約案を提示し、日英同盟の復活が出来る条項を盛り込むことを示した。米国世論の日英同盟に対する反感は日に日に強まりつつあった。2日後佐分利参事官は、バルフォア案を参考にして幣原個人が作成した試案を、バルフォアおよびヒューズに手交した。岡崎久彦氏は「バルフォア案は本来幣原のいう協議条約であるが、日英同盟の可能性を残しているものであり、バルフォアとしては20年間の日英同盟関係を裏切るまいとした苦心の作である。少なくとも米国が受け入れるかどうか試してみる価値はある。ところがどうしてよいか苦しんでいるときに幣原の案が出てきた。英国が同盟を切ると言っていないのに幣原の方から切ったのは、厳しく言えば訓令違反、政府中枢の信頼があったために、外交技術の冴えを発揮しすぎたという批判は当然ある」とコメントしている。

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