鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

過ぎ去った鷹泊の砂白金採取のこと。

2016年10月24日 | Weblog

鷹泊の砂白金を調べているうちに、砂白金に我ながらのめり込みすぎた感がある。鷹泊で今は、砂白金は採れないと思う。すでに過去のことではあるが、鷹泊の歴史の中で脚光を浴びた砂白金のことをはずすことはできないので、もう少しこのテーマを追求してみる。

多度志町史には下記のような記載がある。

『本邦の砂白金鉱床は、北海道の神居古潭帯の蛇紋岩地帯にのみ限られ、その中でも鷹泊北方の蛇紋岩地帯をめぐる白金の漂砂鉱床(岩にふくまれていた成分が風化して細かくなり重さの違いなどによって水底に沈殿してできる鉱床をいう)は最も広く、規模の大きいことで知られている。

その分布は北部のニセイパロマップ川下流から南の岡田の沢下流部に亘る範囲、それから南に下って雨竜川本流沿いに続き、更に(幌加内町の)三耕地に至って巾千米以上にも亘る洪積地、鷹泊市街付近の沖積地までに亘る範囲がその主な地域であり、更に宇摩団体付近まで鉱区が設定されている。採集は本村の開拓以前の明治20年代にすでに始められ、太平洋戦争中は大規模に行われたために雨竜川の流れを歪曲させた程である。発源地はニセイパロマップ川下流から南の岡田の沢に亘る限られた地域らしい。』

写真はペンケから南方向、鷹泊の方角を写した。この道の先は昔、鷹泊-幌加内間の道路に繋がる。途中の左手にはペンケ神社があった。