「古事記は神話ではない」 桜井光堂著 秋田書店
著者によると「古事記」は単なる神話ではない。
神勅*は邪馬台国以前、 日本に3大国家が存在したことをものがたる。 3大国家とは
九州の豊王国、 中国の葦原王国、そして大和の大ヤマト王国である。この3大国家は
のちに豊王国と葦原王国が連合し、豊国王の神武天皇が両国の軍勢を率いて東征し、
大ヤマト中央王国を滅亡にみちびく 。 このようにして新大和朝廷が成立するのである。
これらの事実をしるしたものが「古事記」である。 *神勅とは天照大御神の勅命のこと。
本書は国文学者であり国際法学者でもある著者が「古事記」の成立事情、「日本書紀」
との綿密な比較、 そして大胆、 精緻な論証をあげて、 日本古代国家の謎を解明する。
本書の初版が発行された昭和45年(1970年)に通読し、ユニークな論旨・論点に興味を
もったものの、本棚の隅で埃を被っていたが、昨日再度読み直しはじめたところである。
実は、今年の仕事も終わったので、日ごろ読もうと思っていた「古事記」に関する本を買うべく「なんば・旭屋書店」へ行ってきました。
買った本は「古事記と日本書紀」森村宗冬著
帰ってきて、なにげなく「趣味の園芸」を見たら、「古事記」のことが書かれてるではありませんか!
正直、びっくりしました。
と同時に、たがさんの教養の深さに感じ入りました。
小生も勉強して、お話出来るようになりたいと思います。
「古事記」について、思うまま今月の初めから
「読書三昧」 と題して、日誌のつもりで書き
止めましたが、コメントが入ることは予測して
いなかったので、私としても ”驚き” でした。
しかも、貴兄のコメントには恐縮です。
お話するのを楽しみにしております。
私はあまり多くは読んでいないので、
持論を語ることはできないのですが、
産経新聞の「神話を訪ねて」(神話を訪ねて(続)」を読んで
想像の産物とは思えない内容のユニークさ
面白さ、表現の精緻さにただ驚きます。
全国の神宮、大社、神社などを今の時代まで
維持する人々の努力の営みや時間の重みは、
並々ならない偉人への厚い思いや感謝から
くるものと考えています。
「古事記は神話ではない」
古事記は事実である、という意味と解釈したのですが
いかがでしょうか?
私は、世界で伝えられている「神話」も
物語としてかなりの脚色があったとしても、
事実を元にして、偉大な存在を民族の誇りと
した過去の記録ではないかと思っています。
今の日本では、敗戦で戦前のことを全否定する風潮が強く残り
書として大切に伝えられてきた「古事記」「日本書紀」その他は
戦後教育から「神話」としても「歴史」としても教えられることが
なくなってしまいました。
神話の時代から記述した世界に残されている
書物は
それほど多くないのではないかと思います。
永い歴史を持つ日本が、誇りとするべき過去
の遺産を粗末にしていいはずはありません。
その意味で、今の日本の教育の在り方に
憂いを感じます。
折角コメントをいただいているのに、
ご返事が遅くなって申し訳ありません。
「古事記は神話ではない」の著者の論旨を
読むかぎり、 古事記は歴史的な事実である
と主張されています。
通読して感じるのは、著者の独断の強さが
気になります。
この本が出版されて以来、その主張や
論旨に賛同したり、評価する学者や作家が
全くいないことも、考慮に入れています。
ご指摘のとおり、敗戦後の唯物史観による
歴史の否定は、論外です。
先人が残した豊かな遺産を継承していくことが
私たちの務めだと思います
著者は古代人の生き方や考え方の中に連綿と流れる
一貫した精神性の存在に気付き、国学として確立させた。
勉強不足で詳しい事は分からないですが、
註釈にあたってすべて真実にあったことと信じ
「やまとごころ」を重視する態度を貫いた書物に
少し興味が出て来たように感じます。
勉強になりました。また色々教えてください。
今年も残すところ後10時間余り、新年も興味ある読書
を十分楽しんでください。
本当に今年はお世話になり有難うございました。
今回の記事は桜井光堂の
「古事記は神話ではない」という論文を
テーマに取り上げましたが、
あなたのコメントを読むと、もしかして、
本居宣長の「古事記伝」を想定しながら、
お書きになったのかなと推察しています。
今の時刻は11時40分、
今年もあと20分で暮れようとしています。
今年は自分にとって良い年だったかどうか、
あまり振り返って考えたこともありませんが、
趣味の園芸と庭作業だけは充実していたかな
との思いはあります。
喪中につき、越年のご挨拶は差し控えますが、
あなたとあなたのご家族のご多幸を祈って
います。