現代語訳 「古事記」 福永武彦訳 河出書房
古事記は、上・中・下の3巻からなり、出来上がったのは8世紀の初め、712年(和銅 5年)
のことであり、現存する我が国最古の書物といわれている。
上巻は天地開闢から天孫降臨にいたる神々の物語、中巻は初代神武天皇から第15代
応神天皇までの出来事、下巻は第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までの出来事が
収められている。
上巻の序文によれば、古事記の企画立案者は第40代天武天皇で、天皇はこんなことを
いっている。
「いろいろな家に帝紀や旧辞など歴史的な伝承があるが、どうも誤りや乱れがあるようだ。
今ここで諸家の所伝を正しておかないと、のちのち困ることになる。本当の記録を作って
後世に伝えようと思う。」
そこで天皇は計画を実現すべく、 稗田阿礼という語部(かたりべ)の舎人を召し出した。
稗田阿礼は抜群に記憶力のいい人であった。その阿礼にイザナギノ神・イザナミノ神の
誕生からアマテラス大御神の誕生を経て7世紀後半に至るまでの天皇家の系譜やそれ
に纏わる神話・伝説を習い覚えるよう命じた。 古事記成立のおよそ40年前のことである。
その仕事は天武天皇が亡くなったために中断されたが、第43代元明天皇がその中断を
惜しんで、民部省の長官である太安万侶に阿礼の暗唱を書き記すよう命じた。
この時代、平仮名や片仮名がなかったので安万呂は阿礼の暗証を漢字だけで筆録した。
こうして出来上がったのが、「古事記」である。
とはいえ、史実としてすべてを受け入れるのにはムリがある。なぜなら古事記というのは
大和政権の基盤が固まって、神々と天皇家の系譜を明らかにする目的で作られたもので、
都合の悪い出来事は捨てられ、また意図的に作られた出来事があると考えられるからだ。
古事記に対する興味は、そこに日本古代のさまざまの人物群像を見出すことから始まる。
神代の巻のスサノオノ命やオホクニヌシノ命、 人皇の代になってからのヤマトタケルノ命
や雄略天皇などの形像は、ことに鮮やかに描きだされている。 また山幸・海幸の物語や
サホヒメ・サホヒコの物語、 またカルノミコとカルノオホイラツメの兄妹相愛の悲話のほか、
叙事詩的な挿話も多数織り込まれている。 さらに挿入された歌謡についても興味深い。
漢字だけの原文を訓読した「書き下ろし文」が岩波文庫で出版されているが、とても難解で、
読み進まなかったが、この現代語訳は読みやすく、古事記に親しみを持てるようになった。
以 上
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