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中学時代の野球⑤

2017-09-15 10:55:23 | 野球
 「中学時代の野球」は、経験したことのない世界であった。小学校時代は仲の良い友人と遊んだり、少年野球を楽しくしていたのだが、「中学時代の野球」は、全く違う世界だった。大人(指導者)が絶対の権力を持った世界。勝ち負けのはっきりした比較・競争の世界。肉体的にも精神的にも厳しい処で、私はそれを受け容れようとしていた。逃げたり、反抗することがなかったのは、それまでの人生で(と言っても12年間だが)、大人に対する信頼があったからだろう。実力主義の野球も、体罰も、「そういうものだ」と受け容れようとしていた。とはいえ当然むりもある。自分には合わない「何か」を感じていたのである。しかし当時はその違和感を追究する知恵を持っていなかった。
 
 親しい友人はいなかったが、皆いい仲間だった。中学生にはまだ子供の部分があり、個々のタイプは違っても、その純粋さで付き合えたのだろう。
 当時の指導者の体罰に対して、今は恨んだり、憎しみを持ったりはしていない。彼らもまた時代の雰囲気(当時の風潮・体罰を使っての指導)に影響されていたのだから。それに彼らは一方で体罰をしながらも、もう一方ではやさしい顔を持っていたのである。


番外編

*最上級生になってショートでレギュラーになったものの、バッティングはまったく振るわなかった。ヒットはめったに打てず、四球やバント(犠打)の方が仕事ができたような気がした(消極的な選手である)。初球から打ちに行く勇気がなかった。技術以前に精神面での弱さがあることを自覚し、何とかしたいと思っていた。結果的にこうして悩んだことが、高校でそれを克服することにつながってくる。

*調布シニアとの練習試合で難しいライナーを好捕したら、相手のショートの選手に「ナイスキャッチ!」と言われた。その選手は、守備だけでなく万能だったので、本当に嬉しかった。それにしても、敵のチームの選手に対して「ナイス!」と言える余裕・開いたココロがあることは、野球を「やらされている」受け身の私には衝撃だった。

*中1の時、駅からグラウンドまで歩いていると、自転車の先輩が通りがかり「乗りな」と後ろに乗せてくれた。あまり話はしなかったが、シブイ人だった。リトルリーグ上がりの選手が多い中、軟式野球出身で、しかも中2からレギュラーだった。憧れというよりはカッコイイ先輩だった。

*帰り道、仲間と駅に向かっていると、監督が車で駅まで送ってくれた。練習中とは打って変わって、やさしい声だった。

*同級生たちはいわゆる「ツッパリ」が多く、皆「ソリ(髪の生え際を鋭角に剃る)」を入れていた。開会式に制服で集まる時には、「ドカン(これ以上太いズボンはない)」をはいているのが何人もいた。

*同級生が2人、その後甲子園に出場した(テレビで観たときには羨ましいとは思わず、ただ嬉しかった)。


*写真は中学2年生 毎日素振りをしていた。実を結ぶのは高校に行ってからである。
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