活元運動の準備段階で「ぽかんとする」といわれるが、「ぽかん」を目指すことが返って「ぽかん」と成れない原因になっている。気功の「雑念を排除する」も、排除しようとすればするほどできなくなるのである。野口整体の「ぽかん」は禅でいう無や無心と同じで、まったく何もないことではなく「すべてある」ことである。あっても執着しなければ良いのである。よく、目を開けると雑念が多くなると誤解している人がいるが、そうではない。目を開けてすべてを同じように(執着せずに)観ればいい。目の前にあるもの一つ一つを同じ価値で観ていくようにする。好き嫌い・美醜・損得などの基準で差別しない。そう自分に言い聞かせるようにしていくと次第にからだが変わってくる。脳も休まっていく。それが「ぽかん」である。