聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




イザヤ 8:23 先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
9:2 あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように戦利品を分け合って楽しむように。
9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。
9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。
9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

イザヤ書には、数多くのメシアに関する預言の言葉が記されているが、その中でも最も有名な預言の言葉の一つである。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれる。
権威がその子の肩にあり、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられ、ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがなく、王国は正義と恵みの業によって永遠に王国が立て上げられ、それによって、暗闇の中を歩んでいた民は光を見ることとなる。
これがメシア(救い主)なるキリストに関する預言であり、イエス・キリストの出現によってこれらの事がが実現したのである。
キリストによってもたらされた神の国は、この世の国とは異なり、目に見えるような形はなく、統治の仕方も独特であり、恵みにより、永遠の命の約束が与えられている。
ただ、それゆえに、キリストがこの世に一人のみどりごとしてお生まれになった時、人々はなかなかこの方を真のメシアとして受け入れがたかったのであろう。
全ての点で人間と同じようになられたお方だからこそ、見た目には普通の人と、何ら変わりない弱々しい人でしかなかったのである。
そして、遂に、十字架の死に至るまで、弱々しい人の姿のまま、罪に対する裁きを受けてくださったのである。
全ては、弱々しく、罪の清算を何一つ自力でできない私たちのために身代わりとなって下さったのである。
これが神のなさった救いの御業であり、我々にはできないことを全て神の御子キリストが成し遂げて下さったからこそ、我々は真の光を見、まことの喜びと平安を得ることができるのである。

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