風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

太宰と歩く津軽・前編

2007-02-28 20:55:14 | 旅たびたび
奥羽本線にて弘前へ。ここにも雪はほとんどなかった・・・。
でも陽が落ちる頃から、ようやく雪が降り始めた。市内循環バスを待っている間、空から舞い落ちる雪を浴びた。うーん、ようやく雪国らしくなってきたわ♪。しかし寒い。バスを降りると転がり込むようにユースホステルへ走った。

翌朝、快晴。ゆうべの雪はどこへやら、ピーカン晴れ。
重いザックを部屋に残し、カバンに1冊の本を詰めて今日の目的地へと向かった。

           

太宰治の「津軽」。この人の本を手に取ると、ワタシは10代に戻った気がする。

周囲が「コバルト文庫」ブーム到来で、みんなが新井素子読んでいた中学生の頃。ワタシといえば「なんて素敵にジャパネスク」には目もくれず、図書館で文学作品をたくさん借りて読んでいたものだった。三島由紀夫、芥川龍之介、武者小路実篤、川端康成、柴田翔・・・そして太宰治。
背伸びをしたい年頃、小難しい文学作品を読むことがとっても格好よく思えた。同級生よりも大人になった気がしたもんだ。でもそんなファッション的感覚で読み漁っても、文学作品が理解出来る訳もなく。ただ活字が目の前を流れるだけだった。当然といえば当然か。
太宰治を自主的に読む中学生、今思えばちょっとアブナイ感じもするんだけどね(笑)。
今回津軽を旅するにあたって、久々に太宰を読んだ


この太宰の「津軽」は、1944年太宰35歳の年に書かれた作品。津軽で生まれ育った彼が、久しぶりに故郷を旅したときのことが書かれている。中学時代の友人宅や実家を訪れ、最後は小泊で自分の子守をしていたタケと感動の再会を果たす場面で締めくくられている。
太宰作品はいろいろあれど、実は「津軽」は初めて読む作品だった。読んでみて思ったのだが・・・この作品は「約60年前の太宰治風・津軽観光ガイド」。津軽の歴史や街の紹介など、意外と面白い。津軽を旅しながら読むにはビンゴ!、の本だった。もちろん60年も経ってるから、ズレていることも多いんだけど。それがまた時代を感じさせて良かったりして。


カバンの中に太宰で、弘前から五所川原までの区間は五能線に乗車。
車窓からは冬枯れした裸のリンゴの樹が、アチラコチラに立っているのが見える。その向こうには「津軽富士」と呼ばれる岩木山。

          

「や!富士。いいなぁ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満月の水田の尽きるところに、ふはりと浮かんでゐる。実際、軽く浮かんでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでゐる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとほるくらゐに嬋娟たる美女ではある。
(中略)私はこの旅行でさまざまな方面から津軽富士を眺めたが、弘前から見るといかにもどつしりして、岩木山はやはり弘前のものかも知れないと思ふ一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造あたりから眺めた岩木山の端正で華奢な姿も分かれられなかつた。

                              「津軽」より抜粋


本から顔を上げて車窓の岩木山を見た。「透きとほるくらゐに嬋娟たる美女」と太宰が評したのもナルホドである。十二単衣の裾のような稜線の美しさに、思わず見とれてしまう。津軽の象徴とも言える山は、太宰が見た60年前と変わらない。

このまんま日本海側まで乗り続けたい気持ちを振り切り、五能線は五所川原で下車。本日のメインイベント・津軽鉄道に乗り換えじゃーっ!。

津軽鉄道。最近旅番組でよく取り上げられているので、ご存知の方も多いのではなかろうか。この時期「ストーブ列車」という、車内でストーブが炊かれている何とも雰囲気のある列車が走ることで有名になった路線。
しかし、どうにもタイミングが悪く。今回は往復ともスートブ列車に乗れず終い(毎回ストーブ列車というダイヤじゃないのだー)。まぁいっかー。

             

ワタシの乗った「走れメロス号」。さすが太宰の出身地・金木を走る津軽鉄道。もちろん1両のみのワンマンカー。もちろん単線を走る。

             

切符はなんと硬券!!。アレですわ、ダンボールの厚紙のような切符で「パチッ」と改札のハサミを入れてもらうヤツ。おぉぉぉぉっ!大人になってから初めて持ったかもしれんぞー。ちょっと感動。ついでに単線なので、すれ違い駅で「タブレット交換」というのを初めて見て感動・・・。
って、ちょっと待て待て!!!。これじゃあまるで「鉄子」じゃないかっ!!!。なんたることだー、トホホ(鉄子がわからん人はコチラ)。

とチョビット自己嫌悪しながらも津軽鉄道にゴトゴト揺られながら、津軽平野ののどかな景色を堪能。

(中略)ぼんやり車窓を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらゐの小さな駅に着いて、(中略)こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。
                          「津軽」より抜粋


60年前から太宰もそのローカルさを認める路線だったようで。まさかそのローカルさを求めて旅人がやってくるとは、さすがの太宰くんも予測不可だったか?。
そんなこんなを考えているうちに、列車は太宰の故郷「金木」へと到着した。


(長い記事やなぁー、と思いつつもつづく)