「もう一度笑ってよ」山口葉子 著 2007年9月の出版です。展望社。
シンナー、大麻、覚せい剤依存症、壮絶な人生をカミングアウトしたエッセイである。図書館でしか出会わなかったかな、すでに今は亡き山口葉子さんに。読んでよかった!どんどん人生の流れが悪い方向へ向かうが、やはり彼女の敗者復活戦は色々な人々に支えられていたのだと思う。そして、彼女も他の同じような立場の人を支え続けた。
葉子の死、それは突然!すべてのことには意味がきっとある。
内容は以下のごとし!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内容(「BOOK」データベースより)
13歳でシンナー、15歳で大麻、16歳で覚せい剤、20歳で自殺未遂。薬物依存で苦しみ、泥沼から這い上がろうと、もがき続けた苦闘の半生。人生の大航海の中で彼女が必死に叫び続けたことは…「薬物依存」から脱出し「戻るべき場所」への道標。壮絶な32年間を生きた衝撃の遺作。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山口 葉子
1974年生まれ。群馬県出身。仲間から通称「悟郎」の名で親しまれる。中二でシンナーを覚え、その後、覚せい剤、大麻、マリファナとあらゆる薬に手をだし、18歳のとき、クスリ漬けの中で男子を出産。しかしこれを機に子供のために立ち直ろうと病院治療や自助グループミーティングを重ね、持ち前の根性でこれを克服した。退学したままになっていた高校も通信教育で再チャレンジし、17年かかって卒業した。「若い依存症女性のためのトリートメントセンター」設立を夢見ていたが、志半ばで他界。2001年、自身の重度の薬物依存症体験から薬物依存者をサポートする中間回復支援施設「BIG LOVE CREW」(ビッグラブクルー)を設立、代表として活躍していたが、2007年7月急逝。今、施設は設立仲間の安井・久保田が代表代行として引き継いでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シンナー、大麻、覚せい剤依存症、壮絶な人生をカミングアウトしたエッセイである。図書館でしか出会わなかったかな、すでに今は亡き山口葉子さんに。読んでよかった!どんどん人生の流れが悪い方向へ向かうが、やはり彼女の敗者復活戦は色々な人々に支えられていたのだと思う。そして、彼女も他の同じような立場の人を支え続けた。
葉子の死、それは突然!すべてのことには意味がきっとある。
内容は以下のごとし!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内容(「BOOK」データベースより)
13歳でシンナー、15歳で大麻、16歳で覚せい剤、20歳で自殺未遂。薬物依存で苦しみ、泥沼から這い上がろうと、もがき続けた苦闘の半生。人生の大航海の中で彼女が必死に叫び続けたことは…「薬物依存」から脱出し「戻るべき場所」への道標。壮絶な32年間を生きた衝撃の遺作。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山口 葉子
1974年生まれ。群馬県出身。仲間から通称「悟郎」の名で親しまれる。中二でシンナーを覚え、その後、覚せい剤、大麻、マリファナとあらゆる薬に手をだし、18歳のとき、クスリ漬けの中で男子を出産。しかしこれを機に子供のために立ち直ろうと病院治療や自助グループミーティングを重ね、持ち前の根性でこれを克服した。退学したままになっていた高校も通信教育で再チャレンジし、17年かかって卒業した。「若い依存症女性のためのトリートメントセンター」設立を夢見ていたが、志半ばで他界。2001年、自身の重度の薬物依存症体験から薬物依存者をサポートする中間回復支援施設「BIG LOVE CREW」(ビッグラブクルー)を設立、代表として活躍していたが、2007年7月急逝。今、施設は設立仲間の安井・久保田が代表代行として引き継いでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ビッグラブクルーでスタッフをしてます。
久保田雅人です。
彼女の意志を引き継ぎ、代表と
活動を続けております。
これからも薬物依存症増え続けていくと
思っています。
どうぞ、ひとりでも
多くの方にご理解が・・・「祈」
まだまだ薬物依存症に対する対策は遅れておりますね。先ずは、社会多くの人の理解からじっくりとが大事かもしれないですね。
僕はいちスタッフに過ぎませんが・・・
たくさんの仲間に支えられて
現在に至ります。
これからも続けられる限り
活動のお手伝いをしていこうと思ってます。
ありがとうございました^^