元々ゴスロリ女の衣装はマイナーチェンジを繰り返してはいたが、オクフェスで女装させてからは、遊んでいるのか(ニーズによって)やらされているのか、より大きな変化をつけるようになってきた。
例えば
のように、腕や鎖骨を露出させたりさせなかったりというのは最初からやっていたが、
のようにガーターベルトをつけさせたり、さらには太もも(というか臀部に近い)を露出させるといったあからさまな描写がみられるようになった。その一環としてか最近はショートカットになったが、それによってさらに攻撃(?)の幅は広がることが予想される(すでにうなじは予想ずみ)。また想像ではあるけれども、
のようにありえない(?)ポーズを取らせてみたりもしている。
さて、そのような描写の変化はあるが、自分自身が大きく影響を受けたのは目であった。詳しくは「見えないパンチに怯える夜」と「かわいいは正義」で述べた通り、初期のゴスロリ女は目が横長だったが、どんどん目が丸くなっていった結果破壊力(エロさ?)が弱まったように感じられたということだ。
ところで、ゴスロリ女の描写の上でもう一つ重要なファクターは、口紅だとも思っている。たとえば四巻で一か所だけ
という口紅をしていない描写が出てくる(もっとも、これは前後のコマからもわかる通り単なる書き忘れなのだけど)。最初見た時、奇妙な違和感があった。それは単に口紅をしていないからではなく、この絵がもっとも「かわいらしい」と思ったとともに、もはや女性と全く区別がつかないと感じたからだ。一例しかないので思い込みかもしれないと考えていたが、9巻の
でも全く同じ印象を受けたので、単なる錯覚でもないらしい。現時点で詳しいことはわからないが、あるいは口紅がその過剰性によってノイズを出し続けているのかもしれない。口紅は過剰であるがゆえに、ない方がむしろ「かわいらしい」だけでなく、その画像は完全に女の子そのものにしか見えない、ということだ。しかし思うに、口紅の過剰性が発するノイズによって枠の中に収まりきれないからこそ、ゴスロリ女は心をざわつかせるのではないか。もしそうだとすれば、ゴスロリ女の描写については、妙な「解毒」をすることなく、今のスタイルを貫いてほしいものである。
※画像の著作権は講談社に属します。
例えば
のように、腕や鎖骨を露出させたりさせなかったりというのは最初からやっていたが、
のようにガーターベルトをつけさせたり、さらには太もも(というか臀部に近い)を露出させるといったあからさまな描写がみられるようになった。その一環としてか最近はショートカットになったが、それによってさらに攻撃(?)の幅は広がることが予想される(すでにうなじは予想ずみ)。また想像ではあるけれども、
のようにありえない(?)ポーズを取らせてみたりもしている。
さて、そのような描写の変化はあるが、自分自身が大きく影響を受けたのは目であった。詳しくは「見えないパンチに怯える夜」と「かわいいは正義」で述べた通り、初期のゴスロリ女は目が横長だったが、どんどん目が丸くなっていった結果破壊力(エロさ?)が弱まったように感じられたということだ。
ところで、ゴスロリ女の描写の上でもう一つ重要なファクターは、口紅だとも思っている。たとえば四巻で一か所だけ
という口紅をしていない描写が出てくる(もっとも、これは前後のコマからもわかる通り単なる書き忘れなのだけど)。最初見た時、奇妙な違和感があった。それは単に口紅をしていないからではなく、この絵がもっとも「かわいらしい」と思ったとともに、もはや女性と全く区別がつかないと感じたからだ。一例しかないので思い込みかもしれないと考えていたが、9巻の
でも全く同じ印象を受けたので、単なる錯覚でもないらしい。現時点で詳しいことはわからないが、あるいは口紅がその過剰性によってノイズを出し続けているのかもしれない。口紅は過剰であるがゆえに、ない方がむしろ「かわいらしい」だけでなく、その画像は完全に女の子そのものにしか見えない、ということだ。しかし思うに、口紅の過剰性が発するノイズによって枠の中に収まりきれないからこそ、ゴスロリ女は心をざわつかせるのではないか。もしそうだとすれば、ゴスロリ女の描写については、妙な「解毒」をすることなく、今のスタイルを貫いてほしいものである。
※画像の著作権は講談社に属します。