なぜリマインドをするのか?:情けは人の為ならず

2024-05-10 11:34:49 | 生活
特にビジネスが顕著ではあるが、予定のリマインドをする理由は、相手への優しさ・思いやりではなく、それがwin-winになるからだ。
 
 
すなわち、元々の予定通りに顧客や職員が行動してくれないと、こちらにも様々な不利益が生じる。例えばアポイントが流れてビジネスチャンスを逃したり、予定の成果物が上がってこないことでこちらの仕事も停滞する、といった具合に。
 
 
しかし、リマインドのひと手間を入れるだけで、それらが回避できるだけでなく、さらに相手からの信頼感まで上がるなら、まさに「情けは人の為ならず」の典型例と言えるのではないだろうか。
 
 
これを「優しさ」と思うから、ストレスになってしまう。もしどうしてもそういった発想になりがちなら、「自分がこのひと工程を挟むことで、相手を自分の思うようにコントロールしているのだ」と考えれば良いのではないか(相手が予定を失念していた時に「私言いましたよね?」という予防線にもなるしね)?
 
 
もちろん、アプローチの仕方によってはしつこい印象を持たれてしまったりするし、対象がこの「リマインド」に胡座をかき始めると、たまたまリマインドができなかった場合に「何でリマインドしてくれなかったの?」「だからこっちが忘れていてもしょうがないですよね?」ぐらいにこちらを非難&自己正当化まで始めて面倒なので、相手にはあくまで「ひと手間」の「心遣い」と思わせておくことも重要もあるわけだが😀
 
 
ま、自分は適当・大雑把が服を着て歩いている人間なので、プライベートではしばしばそれがどうでもよくなることがあるんですがね(・∀・)こういう時は、「どっちがより面倒くさくないか」で考えると、セルフコントロールには役に立つ=自分を合理的な方向に動かしやすい、とだけ書いておきたい。
 
 
 
【余談】
このブログでは、何度か「自分を含めて人間を信用しない」という趣旨の内容を書いたことがある。それは「相手が自分を裏切るのではないか?」といった疑心暗鬼の話ではなく、「こちらの意図が正しく伝わっている(伝えられている)かわからない」、「だから、念には念を入れる」という、言わば他者の不透明性に立脚して物事を考えていると表現することができる。
 
これは以前にも自分の物事の考え方として、「個-リバタリアン/社会-リベラリズム&リバタリアン・パターナリズム/世界ーカオス」という3つの構造を書いたことがあるが、社会は不透明な他者が集合したがゆえの抜きがたい多様性・複雑性と、それゆえの対立・不協和音が生じてしまうものである。リベラリズムは基本的にその必然性を認めた上でかなりの程度肯定する発想だが、とはいえ破綻を避けるためにはリバタリアン・パターナリズムによるコントロールが必要である・・・という理解になっている。
 
この話は、社会を全体主義と虐殺でコントロールしようとしたクメール・ルージュという組織とその特性の言及という形で、いずれまた扱うことになるだろう。

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