フラグメント138:「共感」、ノイズ排除、機能主義

2012-12-22 18:21:15 | フラグメント

2010/9/19 フラグメント137の続き

 

<「共感」と機能主義
「真理」としての「共感」に関する疑義は、すでに述べた通り。専門家ではないし、二次的な問題なのでそこを論争する気はない。「共感」の重要性を訴える意図に注目し、実際に与えるであろう効果、つまり戦略性・機能主義的側面で考える。「自然な共感」→できないのは相手がおかしい。排除的傾向、快ー不快の二項対立思考の促進価値観が多様化し、自らの「真理」に閉じこもる傾向が強まる今日、逆効果である。自らの思考様式そのものを変えなければならない→再帰的思考(不快感、について考える)。ゆえに、「作為の契機の不在」が指摘される日本という

 

<「共感」と機能主義2>
社会においては、「同情はできても共感はできない」と言った方がマシ。理解し合えるはずと信仰してる人間に癒しを与えること(=サプリメント効果)を狙ってるなら話は別だが、共生を促進したいのなら逆効果。ところで、再帰的思考ができるようになりさえすれば、「共感」は可能だと私は言っているのか?否。むしろ一度自分の思考の前提に立ち返り、いかに自分本位にしかものを考えられないかに気付いて愕然すべき(真剣に考え抜いても理解できない)。世界の理解をそこから始めれば、安易に言葉を垂れ流すことも多様性におののくこともない。度重なる宗教戦争と断念の先に「信教の自由」「思想の自由」が生まれてきた社会と、その型だけをインストールした結果それらが「上からの恩恵」と化した社会。

 

<無痛文明論(森岡・トランス)滝山城>
真理を論じることから機能を論じることへ。ネタで無害化するのでなく、断絶・断念を経由しない「共感」は、今日においてはますます島宇宙化を促進するだけ。それが狙いならやればいい。ノイズ耐性が下がり、監視マンセーになって…という流れも計算のうちならいいが。教師ビンビン物語→ちんこギンギン物語、精造禁止令→禁治産者にしないで!(できあいの)基準からわかってズレているんだ、という口実のもとその行為に耽溺する輩に、それが成立する磁場や基準そのものの妥当性に関する思考など望むべくもない→「ヘタレ、埋没、凡庸

 

犯人に告ぐ
動機づけを描かない。システムとの向き合い方における二項対立が印象づけられる。主人公はマスコミ(視聴者)に内面を曝してしまい、失脚した。視聴率という結果を出せばいいんだろうと割り切っている。マスコミは腐っているとか愚民が…といった話はしない。バカにバカと言い続けてもしょうがない。まさに「何とかは使い用」なのだ。犯人は大学受験というシステムの敗残者。社会改造欲は鶏が先か卵が先かでわからない。矛先を子供に向けた。色々御託を並べているが、主人公に喝破されたように中身がなく、不全感を弱者に向けただけ。

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