「犯人に告ぐ」:システムとの向き合い方

2010-09-21 18:49:44 | レビュー系
接吻」に引き続き、豊川悦司繋がりで「犯人に告ぐ」を見る。その中で気になったことについて書いておきたい。


この作品で印象づけられるものの一つは、犯人の動機づけ(犯行に到る過程)に関する描写の少なさであり、それを批判したレビューも存在する。これはこれで妥当だと思うし、私自身も例えば「クロウカシス」という作品のレビューにおいて複雑な愛憎劇を描くのにシステムが邪魔をしていると批判しており、作中人物の内面描写を重視するような発言をしたことがある。しかしこの作品においては、犯人の動機づけを描いていないことによってまた別の視点が受け手にもたらされるように思うので、それについて述べてみる。


犯人の動機づけを描いていないのは二人の犯人に共通しているため(ある程度)意図的なものであると推測されるが、これにより主人公と(特に二人目の)犯人のシステムに対する向き合い方の違いが印象付けられる。「劇場型捜査」という謳い文句にもあるように、主人公はマスコミ(テレビ)というシステムを利用する。具体的には、かつて捜査が失敗に終わって記者会見をやった時には、主人公は内面をさらけ出し(つまり演技を忘れてテレビに相応しくない振舞をし)てしまい、失脚した。後に連続殺人事件の捜査責任者として復帰し膠着状態を打破するためテレビに出た際には、台本を無視してあえて挑発的な、あるいは犯人に寄りそう(ようにも聞える)発言をし、抗議と愉快犯からのニセ情報が殺到するも高視聴率をたたき出した結果、テレビは継続的に主人公を利用することにした。その中で犯人からメッセージが送られてきて捜査は少しづつ進展するかに思われたが、その信憑性が疑われ思わぬ方向に…という展開になっている。ネタばれになるので詳しくは述べないが、この時のマスコミの手の平の返した方(無節操さ)は「とにかく使える事が大事」というリアリズムを思わせるが、これをもって「所詮マスゴミ」とか「それに踊らされる愚かな視聴者」といような話は主人公を含めどの登場人物の口からも出てはこない。一般化すると、このような状況を見て「俗情との結託」を狙うマスコミと自分の求める物語しか認めない「幼児的な愚民」とか言ってもいいのだが、そう嘆いたり嘲笑したりしても何も変わりはしない。ならば、その性質を徹底的に利用することこそ合理的・戦略的な態度である。例えば、民間企業は利益を求めるのが当然なので、ただ「お金が多くかかっても地球環境にやさしいモノを作りなさい」とか言っても効果はたかが知れているわけで、結局はそういう取り組みをしないと不利益を被る社会環境を作るしかない、ということだ。話を戻すが、主人公は逆境に置かれおそらく葛藤をしながらも結局はシステムを活用するという道を貫きとおし、犯人逮捕へと到るのであり、そこからは、繰り返すがシステムを徹底的に利用するという合理的・戦略的態度が印象付けられるのである(ただ、かつて息子を殺された父親に対する態度などからも明らかなように、主人公は冷酷な合理主義者として描かれているわけではない)。


では、動機づけが描かれない犯人についてはどうだろうか?
犯人のメッセージに対し、主人公が「お前の主張には中身がない」と喝破したこと、そして二浪して予備校生をやっているという断片的な情報のみが語られていることに注目したい。犯人の文面に見受けられる社会改造欲とでも言うべきものが、大学入試というシステムで失敗する前から存在したのか、それとも失敗したことによって「こんな社会は間違っている」という形で生まれたのか(卵が先か鶏が先か)は知り様がない。しかしいずれにしても、前述のごとくそこには論理的構築はないのであって、自分の行為、もっと言えば不全感の表出(八当たり)の正当化にしかなっていないことは確かである。ここで主人公と犯人を比較してみると、前者はシステムの是非を問わず、毒食らわば皿までとばかりにシステムを徹底的に利用したが、一方犯人はシステムを乗り越えるかその罠を見抜いてそこから降りるのではなく、システムに固執し満たされぬ思い(ルサンチマン)を連続殺人という形で解消しようとした(言葉を選ばずに言えば)「システム敗残者」であったという印象を受ける。別言すれば、犯人の動機づけが描かれないことによって、犯人の内面ではなく実際の振舞い方にスポットが当たり、その結果としてシステムへの向き合い方という点で主人公と犯人が対照的な行動をしているように見える、ということである。


まとめよう。
「犯人に告ぐ」のようなサスペンスものは推理の仕方などにスポットが当たりがちであり、またそれゆえに事件の背景となる犯人の動機づけを描いていないのは欠点と見なすこともできる。しかし一方で、そのことによって作中人物たちの実際の振舞い方にウェイトが移り、「システムへの向き合い方」という別の視点でこの作品を楽しみ、評価することもできるように思うのである。

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