香春町の神宮院は、国道322号から二ノ岳方面へ向かう坂の途中にあります。
神宮院のすぐ下には、最澄が建立した神宮院六坊の一つ、高座石寺(こうぞうじ)があり、香春町の梅の名所として 神宮院と高座石寺が併記されることが多いようです。
神宮院入口の駐車場に車を置いて歩いて行くと、目の前に大きな銀杏の木が見えてきました。
この木は推定樹齢800年、樹高40mの大銀杏で福岡県の天然記念物に指定されています。
また、境内には「石割枇杷」があり、この枇杷も県の天然記念物に指定されています。
道路脇の陽当たりの良い場所で、一本の白梅が雪をまとった若草の上で、明るい花を輝かせていました。
雪が残る山寺の屋根の脇から枝を伸ばした、紅梅に僅かな花を見つけました。
しかし残念なことに、梅林に花姿を見出すことはできませんでした。
神宮院を辞して、今度は国道201号をみやこ町へと向かいます。
国道201号をはしり始めるとすぐに、「鏡山神社」「河内王陵」「鏡ヶ池」としるした表示が目に入ってきました。
急ぐ旅でもないので、国道を左折して、鳥居の先へ車を進めてみました。
「梓弓引き豊国の鏡山 見ず久ならばこほしけむかも」 と刻まれた万葉歌碑の横には、
「毎日見ている豊国の鏡山も久しく見ないでいたら恋しくなることであろう」との解説が添えられていました。
「河内王陵」の河内王は天武天皇の皇子で、持統三年(689)に大宰帥(大宰府の長官)として赴任し、この地で没したと言われています。
鏡山神社の左手の細い道の先の、二ノ岳を背にした河内王陵は「勾金(まがりかね)陵墓参考地」として宮内庁の管理下にあるそうです。
大宰府は、当時の大国である中国や朝鮮への玄関口となる北九州にあって、外交や軍事面でも重要な意味を持っていた筈です。
そしてこの辺りは、大宰府と都を結ぶ重要な交通の要衝だったはずです。
ちょっとした寄り道でしたが、千数百年前の飛鳥人の息吹を身近に感じるような、ロマン溢れる一時を過ごすことができました。
鳥居の辺りから北の方角を望むと、雪を被った尾根の連なりが見えていました。
その先に、周防灘から瀬戸内海へ、そして都へと通じるルートが伸びて行ったのだと思います。
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