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神田川を人生に例えてみると

2021-06-26 16:50:45 | 自転車で神田川

 花見橋の先の月見橋の近くで、レモンが緑色の実を稔らせています。


 この木を育てる人は、月のように黄色い実を期待して、月見橋でレモンを育てているのでしょうか。

 

 なかなかの風流人です。

 

 

 
 月見橋を渡り、右岸へ移動しまます。


 右岸の道は、平日午後の穏やか色に染められていました。

 

 
 左岸で、午後の陽を浴びたクチナシが、白い香を放っていました。

 

 
 花見橋を過ぎて見え始めた都庁が視野の中で存在感を増してゆきます。


 今まさに、東京で生きることを実感したい人に、この場所はお勧めです。


 これまでの日々、これからの空、その移ろいの時に、東京の流れの中で生きることのメモリアルを、この橋は確実にレコードしてくれる気がします。

 

 

   
 ほのかな青味を帯びたコンクリート製の神社が濃紫色の幟を掲げていました。


 無機質色のコンクリートは、全ての色を拒むことなく受け入れます。


 東京をコンクリートジャングルと称する人もいますが、そこに暮らす人々の心模様は多彩です。


 光が進路を曲げることもあるように、当たり前の日常を超える情景が広がっていました。

 


 皐月橋の名札を付けた赤レンガの親柱の脇で、クチナシが白い花弁を広げていました。


 紅色の橋に、白いクチナシが薫りを添えています。

 

 


 皐月橋からの景色を桔梗橋が区切り、その先に、次の東郷橋の姿があります。

 

 
 実は、先ほどの花見橋や桔梗橋、そしてそれに続く東郷橋までの6つの橋は、西暦2000(平成12)に架けられています。


 東京が21世紀を迎えた年に架けられた橋が、首都を象徴する景色の中に連なります。


 そんな神田川の岸辺で、地中海生まれのアカンサスが花穂を並べていました。


 赤い灯籠も地中海の花も、全てが違和感なく揃う、コスモポリタンな光景を目にすることができまた。
 


 神田川は5月サツキの名を冠した皐月橋を過ぎて、110m下流で、9月初秋に咲くキキョウの名を冠した桔梗橋に至ります。


 ここまで書いて、いたずら心が湧きました。


 この110mを人生に換算すると、どれ程なのか?


 PCの電卓を叩くと、寿命が93歳ならば、二つの橋と橋との距離110mは、サツキ咲く5月から、キキョウ咲く9月までの5か月間にぴたり一致しました(させました)。

 

 つまり、神田川の全長24.6㎞を一生に例え、寿命が93歳だとするなら、神田川の264mが一年となり、一か月は22mです。

 

 なので110mは、110÷22=5か月分  との計算が成り立ちます。

 

 

   
 人生100年と言われる時代です。


 神田川の全長24.6㎞を、人生の持ち時間(この場合は93年)に置き換えれば、距離を年齢に重ね合わせ、過ぎし日々とこれからの歳月を実体感することができます。

 

 ご自身の人生に例え、神田川を源流から河口まで歩いてみるのも一興かもしれません。

 

 その計算では、70歳の私はちょうど今、源流から下り来て、高田馬場の山手線の鉄橋辺りに居ることになります。

 

 因みに、現在の日本人男性70歳の平均余命は15.96ですから寿命は85.96歳、女性70歳の平均余命は20.21ですから寿命は90.21歳が一応の目安です。

 

 ボケてる暇はなさそうです。

 

 

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