市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

どくんご上演とピアス飾

2010-11-15 | 演劇
 土曜日のどくんごテント芝居が終わって、今回は実行委員を勤めなかったがやはり無事上演が終わってほっとした。日曜日は天空ジールの委員長のしのぶちゃんと団員を見送りにきた。いざお別れとなると一抹の淋しさも感じるのであった。上演中はひととき小雨が降ったが、暖かいしのぎやすい晩秋の夜であった。

 昼休み、武蔵野のてんぷらを食べに行った。カウンターに座り、今日は、肉天というのを選んだ。豚肉、鶏肉がメインのてんぷらセットである。飯は大盛りとしてもらったが、先日の飯とくらべると炊き上がりが、蒸したような感じであった。これにはちょっとがっかりしたが、食欲はあったのでたいらげられると思い、てんぷらのとどくのを待っていた。すると、大柄の30代後半の女性が、椅子一つ空いた隣の席に着いた。茶色の皮ジャンを椅子にかけ、ニットのタートルネックのシャツで営業の外回りの勤め人らしかった。なにより身長が1m70cmはゆうに越す大柄の色白、栗色に染めた短髪、ボインちゃんであった。彼女はセルフサービスのお茶を湯のみに注ぐと、スポーツ新聞を広げた。一面のカラーの競馬記事に目を留めた。4,5年前ごろから、ようやく喫茶店や飲食店で一人で席に着く女性がぼつぼつ現れだしたが、最近は女性の一人客は当たり前の風景になってきた。本を読んだり、携帯電話やパソコンを操作したり、ノートを広げて学習していたりで時間を過している。だが、新聞を読む女性というのはほとんど見ることがない。ましてスポーツ新聞の扇情的なカラー記事を見入っている光景など見たことが無かったので、なんかうれしかった。こういう女性がどんどん増えたらおもしろいのにとわくわくするのであった。

 表情がうかがえないのが残念だったが、彼女の真珠色のピアスが目に付いた。ふと、自分の耳にもピアスがあるのを思い出し、共通点がピアスというのがわらえるのであった。ところで、ぼくのピアスは耳ツボを押さえる医療器具で、目の疲労をとるツボをチタン合金が押さえているのだ。耳にはダイエットや自律神経、精神安定などのさまざまの重要なツボがあり、これらを押さえて、どうじにファッション性を兼ねる装飾が、ブームになりつつあるという。ぼくは、はじめなにもしらずに耳ツボ治療というので、鍼がマッサージだろうと、知人の娘さにお願いしたところ、ガシャンと宝石のような飾りを貼り付けというより埋められたのである。ブラウンの目立たぬものにしてもらったが、もう遅かった。有名なスワロフスキー社のクリスタルガラスで、光の当たり方によって、宝石トパーズのように黄金にきらりと光ってくる。ぼくの耳に気付く人は、たいてい若い女性たちであるが、男性は一日いっしょにいても気付かない。女性の観察力のこまやかさや、「かんがえるまえにみる」という本能的防衛弱者の行為を感じておどろくのであった。自分のピアスにもだんだんもう今では慣れてしまって、ピアスをしていることも忘れてしまっていたのだが、隣の女性のそれを見ておもいだしてしまった。一般の行動とはずれている女性を見るのは大きな喜びであるが、自分が外れて見られるのはおちつかない。しかし、だんだん、肉体を装飾するという快感が、あらためて興味をひきつつはあるのだ。文化人・芸術家の一部がピアスその他の身体装飾をするのことや、アフリカやパプアニューギニア高地人、下層階級インド人、わが国の女装学者や作家などの身体装飾が、快感であることをすこしわかるきにもなりつつあるのだ。

 他人と変わった行動をとるのは、実は快感なのである。とにかく人がやらないことを見つけると、じつにさまざまのことが身の回りに転がっている。そのおおくは決意だけあれば、金がなくともやれるのだ。今みたような女性であれば、カウンターで、スポーツ新聞を広げるだけで、特異性は他の注視を浴びることが出きる。自分さがしとか、生き甲斐見つけてとか、めんどうなことをかんがえずに、あなたが女性ならば、いい格好で競馬新聞を広げてみよう、それで世界から自分自身は飛び上るのである。自己は凝集していける。自分とはなにか、ここから具体的にスタートしてみることができる。埋没から脱出できるのである。

 どくんごのテント劇というのは、他人がやらぬことをやるということで、耳ツボのピアスに似ているのかもしれない。ますはここに根源があるとする仮定は、なりたたないかどうか、このことを考えてみることにしよう。当たり前でないこと、非日常が人を興奮させる、魅惑する、高揚させる、元気付ける、自信を与える、共有感を抱かせる、これらが、ある。なにが他とちがうのか、どうして、こうなっているのか、これからどうなるのか、果たして他と違うということだけで、可能性はあるのかどうか、帰しこし方をかんがえて、ぼくの身の処し方も考える時期になっている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日夜のテント劇どくんご公演 | トップ | 国民の妹 テント劇「ただち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

演劇」カテゴリの最新記事