さて、ここでなぜ人はアルバイトをするかは、マニュアルのほうが、なるほどと、まさに身に染みるように実感させてくれる。小杉氏の分類は、そうだと思えるが、なんの興味も引かないばかりか、現実感もない。前者は人がなぜしなければならぬかの現実感があり、後者は、人でなく「タイプ」が強調される。こちらには、人がなぜアルバイトをしなければならぬかの切実感も視線もない。ここが三浦氏のいう社会的無業という見方ときわめて共通している。フリーターなどやってるのは、まちがいであるという意識が、マニュアルを並べてみるとはっきりしてくるのがおもしろい。
人を見る感触が決定的にちがっている。マニュアルには生きて変化し、状況に流されたり、超えたりしていく人の生き方が感じさせられるが、一方はタイプであり、統計処理されて終わる社会的問題の対象でしかない。どちらが現況に即応できるのか。
このマンガを挿入しておもしろ、おかしく、軽く展開していく「おいしいバイトマニュアル」は、いわゆる教養や専門知識、学識を漂わせている新書「下流社会」よりもはるかに現実感がある。なぜアルバイトなのか皮切りに、どんなアルバイトがあるのか、その探し方、労働法の知識、そしてバイトで一花咲かすライフスタイルと、きわめて実践的なバイト入門書になっている。
「下流社会」では、バイトは「社会的無業」として、その実態はブラックボックスの中に押し込められ、バイトをする若者の意識の弱さ、甘さ、モラトリアムの精神面が問題にされる。ここでは、バイトをするのが人間でなく、タイプであり、失敗者として位置づけられ、その大きな要因のひとつが「自分探し」という夢であり、ここから早く目覚めて、仕事を探さなければ将来は下層人ということになる。人を論じているようで、人でなく統計だけの事実だけを解釈している論でしかないわけだ。
論でなく、生きている人間を中心に思考を重ねる「バイト マニュアル」のほうがはるかにおもしろく、バイトという現実に想像を馳せさせる。配送、水商売,オヤジを転がして指名料をふんだくろう、ファミレス、空いてる時間で手軽にダブルワーキン、ガードマン 人間関係で悩ます日給一万円などなど、アルバイトはディープで、想像を超えた領域が広がっている。こうなると、フリターとは、一つの特権的ポジションでしかない。気軽で身軽さを武器に人生を楽しむということは、人間の基本であるのではないか。それをやって、なにがおかしいのか、ぼくはそう思う。
ただ、乞食にならぬように、その生き方のテクニックを学ばねばならない。そこだけ学べば、組織の奴隷となって一生の最終局面に入るよりも、はるかに社会のためになる一生だといえようか。
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