すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

猪の解体

2017-01-24 | 日記
先日、はじめて猪の解体に立ち合った。


後ろ足をガレージの梁に吊るして
私の背丈くらいになる大物、雌。
70kg位と猟師さんは言っていた。


近くに繋がれてる犬のコマは
もの言わぬナゾの巨体に向かって
威嚇してずーっと吠えている。




私は食わず嫌いなところがあって
経験したことないことをすることに
いつも躊躇する。


解体とか、今まで
どちらかといえば見なくていいかな、と思ってた。

でも今回は解体を頼もうとしたケンタロー氏が旅中だったので
うちでやることになったのだ。



昼の仕事が終わってからの、夜中の解体。

小さな包丁で
内蔵を傷付けないよう、慎重に腹が割かれていく。

包丁が上(下腹部)から下(喉元)までいったとき
切込みの隙間から見える大腸が
青白く磁器のようにライトに照らされていた。


お腹を開いてもなお
臓器たちは
それぞれの位置に納まっている。

整然と配置されているさまに
秩序という言葉が浮かんだ。



分厚い皮の内側に
そっと手をあててみたら
まだ暖かかった。


生きていることと死んでいることの
境界ってほんとはこんなにゆるやかなんだ。


外の世界から酸素と有機物を取り込む入口~
老廃物を排出する出口までの
さまざまな器官を
傷付けることなくまるごと取り出しにかかる。


臓器は大きなまとまりで薄い膜で覆われていて
さらに膜のようなものやレースのようなもので
体の内側に吊るされている、というほどスカスカでもなく
固定されている、というほどキチキチではないし
繋がっている、というほどハッキリしてない。

内臓と、体のあいだってのはこんなに自由度があるんだ、
だけどその位置はちゃんと保っている。
すごい絶妙なしくみ。


臓器と体の繋がりを外していくとき
ライトを近づけ手元を照らす。
覗きこむと体の内側の壁が白い洞窟のよう。


繋がりを全て外してから
そーっとゆっくり傾けていき
20ℓのバケツに受けとる。
バケツいっぱいに、ズッシリきた。


コマの方からは切っているところは見えないので
相変わらず吠えていたけど
肉の切れ端を投げてやると
パクッと食べて
・・・あれ?・・・こ、これは・・・?! という顔

それきり静かになり
目がキラッキラに輝いてる。
コマにとって
「外敵」から「お肉♥」に変わった瞬間だった。



内蔵を取り出し皮を剥いでいくと(これも時間かかった)
私たちにとっても食料としての肉になってきた。


空になったお腹の中を覗くと
脊椎と肋骨が船底のようだった。


つづく












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