すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

かたちになるまえに既に在る

2021-02-17 | カヒコ(古典フラ)


恵みの雪
春の雪
あっちの空は晴れている


急な予定の変更も
きっと必要だったこと




このせかいは結果
わたしの内側の反映


いまここがはじまりでありゴール


在りたい世界の
その在りように
なりきる




体の目は
しってると思い込んでるものしか知覚できない

しらないものをみたいなら
思考は役にたたない


ではわたしは
なにをみたいのか


uli 
カタチになる前に既にあるよ


私にできることは
見てること(本質じゃないこと)に惑わされずに
ここだよ!

杭を打つこと。
それをいつもいま
ingで


せかいはわたしのうちがわにある




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カヒコ道

2020-12-19 | カヒコ(古典フラ)
道とつくものをずっと前からやりたかった。
○○道

合気道や武道のようなこととか。
強くなるためとかじゃなく
在ること
すること を
バーチャルではなくて
リアルに体感したかった。

リアルと思ってるこの世界は
自分でやってると信じて疑わないけど
ほんとうはバーチャル。

自分がやってると思ってる動作は
すべてアタマの中にある体を
アタマの中のイメージでやっている。

アタマの中の身体と
リアルの身体はズレている。



ここにある可能性を眠らせてないで、できる限り使ってみたい。
そして、リアルな生を生きたい。
動く禅。
そんな動機で
〇〇道っていう、道のつくことが
ずっと前からしたかった。


去年の夏至に出会ったカヒコ(古典フラ)は
まさに私にとってそれだった。

カヒコ道




腹(肚)とつながる

丹田で動く

坐骨から背骨、頚椎そして蝶形骨

天体の動きと、足の裏の大地、地中深くのマグマまで
意識つなげる

自分と、宇宙(自分の中心)のことだけでいい
あとは自ずとととのっていく

前後でイメージしてた体が全方向になる

・・・・・

キーワードがどんどん飛び込んでくる。

言葉は体感を通してこそ
コトノハという
スピリット伝える舟になる。

カヒコをしていると
体とこころは=イコールなんだってよくわかる。

「だから体からつくるほうが早いのよ」

ほんとうだ・・!
やってるとそれがほんとだって実感する。

視線、姿勢、発声
すべて心とイコールだ。

ブレない心は
ブレない体、軸。




そしてなにより
思いきり声出して
思いきり動くこと
単純に楽しい!



このような学びの機会に出会えたことに
ただただ感謝。


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新しいひと

2020-05-03 | カヒコ(古典フラ)
今更ですが、、
カヒコを含めた振り返り。

「決める」って大事だな
この日からエネルギーが変わったのを感じる。




3月20日春分のカヒコ

流れに運ばれるようにして参加した
春分の日、こうばる(川棚町)でのカヒコ。

その日 習ったチャントのテーマは
「終わらせる」そして「新しい始まり」

まさに”そのために”私は行ったのだなと思う。
そして
しっかりとその宣言というか、誓いは私なりにできたと思う。


「なにを手放しますか?」と事前に訊かれてたのだけど
私はもうその質問が来たときから即答で

「過去」

って出た。

過去を手放します、と。

それは、過去起こった出来事に対して云々とか
そういうことじゃなくて
何ごとも、自分は今のそのもののリアルを見てなくて
いつもいつも過去というメガネを通して見ている、ということは
自分もだし、ほとんどの人がやっていることで。

で、それでも別に困らないかもしれないけれど
自我のストーリーは
必ず苦しみに行き詰る。

でもそれだからこそ
真実のほうを見る勇気を持てる。
(真実は“ありのままのいま”)


ぜーーーんぶ、本来の自分に押し戻すための役割であって
本来の自分にほんとに落ち着いたときは
ほんとうの、安心があるし
無条件に、シアワセ ♨


だから、もう
通ってきた道すじ、それがどんな道すじだったであろうが
関係ないんだよね
来ちゃえば。

それは“ここ”に来るための必要な道だったっていう
ただそれだけになっちゃうんだよ
抜けてみればね

(ということは、どんなことも必要でムダなことは1つもなかったとも言える)



ストーリーの中では「私」には
真に救われることは
ぜったいに起こらない。
ストーリーを見ている(作っている)私というのは
そもそも出自が分離感、不足感だから



過去は脇に置いて
いつも新しい今日と出会う。
いつも新しいあなたと出会う。
いつも新しい私と出会う。




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