自転車おやじのカリフォルニアゴールデン日記

ゴールデンレトリバーのジュリーのblogから、ロードバイクのブログへと衣替え。トライアスロンとサーフィンについても少し。

さて洗車の効果は?

2018-09-30 22:53:00 | サイクリング
きのう土曜日は色々バタバタと用事があり、バイクライドはお休み。でも、何とか空いた時間を見つけて久しぶりにバイクの洗車をしました。


まずチェーンを専用のツールでディグリースし、カセット、フロントのチェーリング周りもディグリーサーをかけて専用のブラシでゴシゴシやります。そして、フレーム全体に洗剤をかけて水を含めたスポンジで洗います。ホイールはフレームからはずし、これもスポンジで洗います。そして、バイク全体にホースで水をかけて、洗剤を洗い流します。


そして、お日様の下で、ホイール、フレームを乾かし、最後にチェーン、ディレーラー、ブレーキのピボットする部分に注油をして整備完了!








私は、車は滅多に洗車しないし、洗車しても水をかける程度です。でも、バイクが汚れていると非常に気になり、少なくとも週1回はタオルでフレームを吹き、月に1回はこんな感じで洗車します。明らかに車よりバイクを大事にしていますね。ちょっと車が可哀想ですかね。


今日は、このピカピカになったバイクをひっさげて日曜日のグループライドに参加です。





私は久しぶりに参加でしたが、いつものメンバーは変わりませんね。みんなバイクが大好きな連中です。果たして洗車の効果は?というと...例のごとくキーとなる登りで先頭グループから遅れ、2番手グループでローテーションを回します。結局、私のいた2番手クループは、後から追いかけて来たもっと大きな3番手グループに追い付かれてそのままフィニッシュ。今シーズンはこの2番手グループが定位置となってしまっています。うーん、何とかせねばと思っているのですが、ついつい辛いインターバルトレーニングは避けてしまうんですよね。いかん、いかん。まあ、来シーズンのお楽しみに取っておきましょう。


さて、Haru子。今日は久しぶりにドッグパークに行って来ました。





Haruは基本的には、羊などの家畜を追いかけて群れから離れないようにするお仕事犬です。英語ではHerding Dogという種類です。ボーダーコリーやオーストラリアンシェパードはこのHerdingという部類に含まれます。だから、ドッグパークに行っても、Haruは他の犬を追いかけるのがお仕事で、それを必死で頑張ります。


30分ほどドッグパークにいましたが、もう帰って来る頃には、Haruは本当にクタクタ。今も珍しくベッドでおとなしく眠っています。相当疲れたんでしょうね。今度はドッグビーチに挑戦かな。


では。


ヒヤリハットの瞬間

2018-09-28 21:45:12 | サイクリング
私は今でこそアメリカの半導体設計会社で働いていますが、実は大学を出て新卒で就職したのは日本のコテコテの製鉄会社でした。当時は、製鉄会社はどこも多角化を目指していて、私が配属されたのも半導体という新規事業の事業部でした。


新規事業とは言え、私が働いていた部署は製鉄所の中のバスターミナルの脇の事務所みたいな部屋を間借りしていました。一応、製鉄所勤務ということになっていたので、まず会社に着いてやることは、製鉄所の作業着に着替えることでした。そして、朝は部署の人間全員で体操をすることから始まります。もう平成になっていましたが、まさに昭和の日本の企業の風景でした。


そして、製鉄所で他の部署の人に会った時の挨拶は、「おはようございます」でもなく「こんにちは」でもありません。挨拶は「ご安全に!」でした。製鉄所のような工場は、どうしても事故が起こりやすいので、社員の安全が第一です。だから、「ご安全に」と声を掛け合って、安全に対する意識を喚起しようというのが目的です。


そして、普段の仕事の中で取り組んでいたことは「ヒヤリハット」(危ないと思う瞬間)を防ぐということでした。半導体の設計業務では、なかなか危険を感じるような場面はないのですが、この「ヒヤリハット」の瞬間を避けるためにはどうすべきかという課題を出されて、果たしてどうしたものかと困っていたのを覚えています。


実は、この昔覚えた「ヒヤリハット」を思い出させる瞬間が、おとといのバイクライドでありました。出勤前の約67kmのライドの終盤にヒヤリハットは起こりました。





かなり長い下り坂を約50km/hの高速で下っていた時です。私は、一番先頭を走っていました。道に動物の死骸が有ったので、後ろを走っていたライダーにそれを知らせようと、右手を離し、道にあるものを知らせようとしました。この時に、何故か右腕がドロップハンドルの内側にひっかかり、バランスを崩してしまいました。「うっ、ヤバイ!こけるぞ!」と思いましたが、何とかバランスを立て直し九死に一生を得ました。私の真後ろを走っていたのは、この辺のライドのリーダーのような感じのライダーです。彼に、"What a shit are you doing? Stay in the back!"(お前いったい何やってるんだ? 後ろで乗ってろ!)と怒鳴られます。その後も、「ハンドルから手を離すな!」とか、「お前なんか後ろに行け!」と散々怒られました。まあ、これは私が100%悪かったので、怒鳴られても仕方ないですね。


それにしても、こけなくて本当によかった。あのスピードでこけてたら、骨の1本や2本折っていたでしょうね。そして、後ろを走っているライダーも巻き込んでいたと思います。


ちょっと油断してたんでしょうかねぇ。こういう瞬間は本当に危ないですね。これからは、「ヒヤリハット」をいつも念頭に置き、常に油断しないように乗らないとダメだなぁと痛感した日でした。


さて、Haru子。コイツはカワイイけど、なかなか気が強い子です。私や母さんが、Haruをからかっていると、反撃して来ます。ものすごく怖い顔をして、牙を剥くのです。噛んだりはしませんが、本当に威嚇する顔をたまにします。まあ、わざわざその顔を見たくて、からかう飼い主も飼い主ですが。





これが、Haruが牙を剥いたところです。中々本当に牙を剥いたところの写真を撮るのは難しいですね。本当に怒っている時は、もっともっと牙を剥きます。鼻の周りにしわを寄せて。


Haru、そんな怖い顔をすると、母さんにもっともっとからかわれるぞ。カワイイ顔をしている方が無難だと思うけどな。


では。


サイクリングのモティベーション低下気味

2018-09-23 20:49:54 | サイクリング
先週は、一応平日は、ランチライドや朝のグループライドで毎日走りましたが、このところ週末は全くモティベーション低下状態です。先々週の週末は、デカイ南スエルが入っていたこともあり、2日とも波乗り。そして、先週末は迷いに迷って、土曜日は波乗りを選択。ミドルサイズの波を久しぶりに楽しみました。きのうの日曜日は「今日こそは久々に長めに自転車に乗ろう!!!」と思っていたのですが、ニューヨークに遊びに行ってる息子をLAX(ロスアンジェルス国際空港)まで迎えに行く約束をしていたことを思い出しました。あぶない、あぶない。LAXに行くのをもう少しで忘れるところでした。


というわけで、きのう朝イチは平日並みに朝早起きして、LAXに行く前のショートライド。何とか40マイル弱乗りました。今年は、去年と同様に走行距離10,000マイル越えを目指していたのですが、急遽2週間日本へ帰ったこと、そしてその後のモティベーション低下で、達成はちょっと難しくなって来たような気がします。モチベーション低下は距離だけではなく、普段のグループライドの「位置」にも出て来ています。もう最初からは、「トップグループに付いて行くのは無理そうなので2番手グループでいいや」と思ってしまうのです。前は、「よーっし、今日は何が何でもトップグループに付いて行こう!」と毎回思っていたんですがねぇ。まあ、実際に付いて行けたかどうかは別として。


まあ、こういうモティベーションの低下は、時々あることなので、気にしないようにしています。また、そのうち頑張る気になる時が来るでしょう。


さて、実は土曜日の波乗り中に少々アクシデントがありました。波はそれほど大きくなかったのですが、波に巻かれた時にボードであばらを強打してしまいました。まあ、くしゃみをしても飛び上がるほどの痛みはないので、折れてはいないと思うのですが、力が入らないというのはちょっと辛いですね。そして、この時同時に、少々首を痛めてしまいました。実は、私は10年前に頸椎椎間板ヘルニアというケガをして、3カ月ほど全ての運動が出来なかったことがあります。土曜日の首へのダメージは、ちょっと10年前の古傷に触れたような気がします。このケガ、再発すると厄介なので、ちょっと気を付ける必要があります。まあ、多分1週間位で痛みは引くのではないかと思います。


前にも書きましたが、10年前にこのケガをやって以来、本当に色んなケガをして来ているので、最近はケガをしてもあまり焦りません。ケガは必ず治ると確信しているからです。というわけで、今日も少々の痛みは気にせずに、ランチタイムに元気に自転車に乗りました。


うちのおてんば娘はというと、実は、最近ノーリーシュで歩く練習をしています。もちろん、車や人通りの少ない場所や時間を選んでですが。





今やっているトレーニングを始めてから、常に私の左側を歩くという習慣がかなり身に付いて来たようで、ノーリーシュでも私の左側の位置をキープします。さすがに前へ前へと進んでしまうのですが、あまり先を進み過ぎると自分で振り返って私の位置を確認します。そして、私が追い付くまで私を待ちます。常に私の真横の位置をキープ出来るようになれるといいのですが、これにはもう少し時間がかかりそうです。トレーニングの効果は確実に出て来ているので、頑張って模範犬への道を進みたいと思います。「模範犬」というのは無理かな。でもゴールは高く設定しようぜ、Haru。


では。


お母さん有難う

2018-09-10 20:38:25 | サイクリング
ほぼ1ヵ月ぶりの投稿となります。実は3週間程前に母が急遽し、先週まで2週間日本へ帰国していました。


8月末の早朝、日本に居る妹からパニック状態で電話があり、「お母さんが倒れて意識不明状態で救急車で運ばれた」と。そして、45分後くらいに「ダメだった」と再び電話がありました。この時はショックと言うより、「とにかく早く日本へ帰らなくては...」と大急ぎでチケットを手配し、荷物を詰めて大阪行きの飛行機に飛び乗りました。そして、電話をもらってから24時間以内に大阪の実家に辿り着きました。2日後にはお通夜、3日後にはお葬式と、信じられない程のスピードで物事が進みました。


あまり自分の希望を口に出すことなどない母でしたが、生前に1つだけ私に頼んでいたことがありました。それは、「私に何かがあった時は、家族みんなで日本へ帰ってきて欲しい」ということでした。ということで、うちの息子二人もお葬式に間に合うように帰国して、お葬式に参列しました。母も喜んでいてくれたのではないかと思います。


実は、私は今日から10日後に日本へ帰国する予定でした。後から聞いた話では、母は私の帰国を心待ちにしていたようです。とにかく、母が亡くなる前にもう一度会っておきたかったというのが今一番の思いです。「真夏は暑いから、ちょっと涼しくなってから帰るわ」と言ったことを本当に後悔しています。でも、これだけはどうしようもないですね。


振り返ってみると、母は私を本当に自由に育ててくれたと思います。私は高校生の時すでに門限などなく、他人に迷惑がかからない限り、何をやっていても文句を言われませんでした。中学から高校にかけて、私は真剣に「ミュージシャンになりたい! プロのギタリストになりたい!」と思っていました(今から振り返ると笑ってしまいますが...)。そんな私にも、「まあ、ほんまにそう思うんやったら、頑張ってみたら」と言ってくれたのを思い出します。もしも、うちの息子がそんなことを言い出したら、「そんなの無理だから、止めておけ!」と私は言ってしまうと思います。


大学に入って1人暮らしを始めてからも、母が私の住んでいたアパートを訪れたのは、入居の時と最後の引っ越しの時だけです。もっとも、引越しの時は、「ごめん。引っ越しが間に合いそうにないので、助けて!」と私が頼んだから来てくれただけです。今から考えると、母は多分私がどんな生活をしているのか気になっていたと思います。でも、あえて私を放っておいてくれたのではないかと思います。


大学を卒業した後は、1年に1~2回くらいしか会う機会がありませんでしたが、帰省、帰国した時は本当に私に良くしてくれました。私の人生では、母と離れて暮らしていた時間の方が、一緒に暮らしていた時間より遥かに長いのですが、何故かそんな感じがしません。母はいつも私のそばにいてくれたような気がします。親子ってそんなものなんでしょうかね。


母の死は私にとっては、とてもとても悲しい出来事でしたが、母は素晴らしい人生を送れたのではないかと思います。母は83歳でしたが、おばあちゃんと言う感じではなく、何とトヨタのハチロクを乗り回し、ハツラツとした生活を送っていました。まあ近所では有名だったようです。年老いるのを嫌がっていた母にとっては、若いまま天国に行けたので本望ではなかったでしょうか。今、母に言いたい言葉は、「母さん、本当に有難う」です。本当にそれに尽きます。



さて、今回の日本への帰国で、自転車からは17日間離れていました。先週の木曜日から再び乗り始めました。頭の中がもやもやしている時って、本当に自転車に乗ることで気晴らしが出来ます。木曜日は20マイル、金曜日は50マイルと徐々に距離を増やして行きました。金曜日のグループライドでは、特にグループから遅れることなく乗れたので、17日間のブランクの影響はほとんどないかなと思っていました。そして、土曜日。この日も60マイル少しまでは、何の問題もなく乗れました。ところが、最後の登りにさしかかったところで、脚が急に動かなくなり、全くパワーが出せなくなりました。周りのライダーから、「どうしたの?」と言われる始末です。やっぱり、17日間のブランクの影響はそれなりにあったようです。でも、今はかなり脚が戻って来た気がします。あと2~3回乗れば帰国前の状態に戻りそうです。


さて、うちのHaru子。我々が留守にしていた時は、さっちゃん、ひなちゃんのお母さんがHaruの面倒を見て下さいました。本当に、感謝、感謝です。





私が2週間ぶりに帰って来た時は、ものすごく喜んで、何と「うれしょん」をしてしまいました。こういう時に、私をとってもハッピーにしてくれるHaruでした。


ちょっとブランクがありましたが、またこれからもぼちぼちブログを書いて行きたいと思います。母はこのブログをとても楽しみにして読んでくれていたようです。どこかで秘かに読んでくれていないかなぁ...


では。