Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』「法界坊」 3等A席後方下手寄り

2005年08月14日 | 歌舞伎
5月、7月に引き続き外部演出家の歌舞伎公演。野田さん、蜷川さん、串田さんという演出家の歌舞伎を見てきて、野田さんの演出家としての個性って凄いものがあるんだなと思いました。野田さんは役者たちを野田色に染めていた。蜷川さんと串田さんはわりと役者の個性を大事にしている感じを受けました。私としてはどうせなら「歌舞伎」を演出家の色に染めちゃえば面白いかもという期待感を持っているようです。そういうスタンスでの観劇でしたので、平成中村座の歌舞伎を観るという視点が人とちょっと違うかもしれません。ああ、私ったら言い訳から入ってますね。でも自分の偽らざる感想をきちんと書きたいので書きます。

『法界坊』
串田演出の歌舞伎を生で観るのはコークン『桜姫』に続いて2度目。ビデオでは平成中村座『夏祭浪花鑑』、コクーン『三人吉三』を観ております。串田さんの場合は古典歌舞伎のエッセンスを大事にしつつ、「今」に通じる臨場感を出そうとしているような気がします。ただ生で拝見した『桜姫』と今回の『法界坊』、2作品を観た限りではわりとこじんまりまとまっている感じがしました。ビデオで観た2作品からのイメージではもう少しダイナミックな臨場感があるのかなーと期待していたのですが…。

なんというか『法界坊』は「隅田川の場」以外は小劇場系の芝居という感じが。元々小さい小屋用に演出したものだし、昔ながらの大衆演劇である歌舞伎を再現ということであれば正しい方向性なのだろうか?確かにそれを「今」に再現するのであれば小劇場系にならざるおえないのかなと思いますが…。まあ確かに大衆演劇たる歌舞伎にはなっていました。周囲の観客の頻発する大笑い、大声でのツッコミ、そして一緒に歌を歌う方までいました。もしかしたら私のなかで、こういう観客に驚いて少し引いてしまった部分があるのかもしれない。

でも歌舞伎座でかける時点で大きい小屋向けの演出に変えていく必要もあるのではないかしら?と私は思ってしまうのだ。うーん、この演目は初見なので見当違いなことを言っているかもしれませんが…。

それにしても役者たちに小芝居をさせすぎではないでしょうか?全員に小芝居をさせ、笑わせようとし、それを延々に繰り返す。かえってメリハリがなくなり笑えるものも笑えなくなってしまいました。なんというか笑いの緩急が全然無いんですよね。終始、どこかで笑わせようとする姿勢がみえすぎるというか。小さい小屋で観れば、役者たちの表情や勢いで臨場感を感じられたと思うのですが、今回3Fから観た限りではそれほど勢いのある臨場感も感じられませんでした。

面白くなかったというわけではないのです。間の上手さや、動きの面白さに思わず笑ってしまう部分は多かった。でも全体として「ああ、面白かった~」という満足する笑いでもなかったのです。『法界坊』は喜劇ではあるけど、怪談でもあって、その筋立てを読む限り、欲と恨みの得体の知れない恐さも、もう少し際立たせてもよかったのではないでしょうか。そうすることによって笑いもその場の雰囲気だけの笑いにならず、また「隅田川の場」も生きてくるのでは?。正攻法で演じられた最後の場が一番ダイナミックに感じられ面白く感じてしまった。これでは頭の固い歌舞伎ファンのようではないか、と自分にツッコミを入れつつも、正直なとこそう思ってしまったのだからしょうがない。いったい、なぜ私が不満に思ってしまうのか、まだ自分のなかで消化しきれていない。1等席でもう一度観るのでそれまで考えておこう。

ちなみに5月の野田さんの『研辰の討たれ』はかなり楽しんだし、小劇場系芝居が嫌いなわけではなく、むしろ好きな部分もある。劇団☆新感線が好きなくらいだからね(笑)。それに串田演出が苦手なわけでもない。現代劇『コーカサスの白墨の輪』は面白く観たし。たぶん、今回何か違うものを求めてしまっていたのかもしれない。勘三郎さんの法界坊が『研辰の討たれ』の辰次と似たキャラクターだったので新鮮味がなく見えてしまったという部分もあるのかな。菊五郎さんか吉右衛門さんでの『法界坊』を観て見たいとちょっと思いながらみてました。