ナイロビの涼しい緑潤う地平線

ナイロビでの日常生活をご紹介します。貧困や野生動物や飢餓や恐ろしい病気・・・ばかりがアフリカではありません。

我が家の誕生日

2006年03月31日 | 子育て
6年前の今日、北海道南部の活火山、有珠山が噴火したことをどれだけの人が覚えているだろう?この大噴火に伴い、周辺一帯は大量の火山灰に覆われ、大地が盛り上がり、温泉ホテルや病院が営業出来なくなり、有名な和菓子工場の社員寮が地中に沈み、幹線道路が凸凹に分断され、付近の住民は近隣の町に避難する・・・などと大変な被害だった。

その日の午後、東京の某所、私たちはテレビのニュースで噴火の様子を見ていた。「とうとう噴火したね」「みんな大丈夫かなぁ」

場面転換。

今晩の夕食を囲みながら、息子が何だか嬉しそうに話しかけてくる。

「今日はねぇ、お父さんとお母さんの誕生日なんだよ!!」

???と思いながら「ああそうか、妻に吹き込まれたんだな、しかし、なかなか上手い表現だなぁ」と感心する。

再び6年前の今日。

午後、東京の某区役所に出向いた私たちは書類にサインをして「家族」になった。洞爺湖にほど近い妻の実家には、有珠山噴火の轟音がとどろいていた。私にとっては「新しい家族」に降りかかった大ピンチ。でも無事を祈るしかなかった。

別に3月31日はお父さん(私)の誕生日でもなければ、お母さん(妻)の誕生日でもない。でも「その日」があったから私と妻(そして息子)がここにいる。だから3月31日は「我が家の誕生日」。今日の夕ご飯はちょっと特別メニュー・・・でもないけど、気分だけは特別。もう6年も経ったのかぁ。

そして現在の洞爺湖町。温泉も街並みもすっかり元気になっている。もちろん家族達も元気にしている(と思う)。こんなイベントさえあったらしい。

ところが今日のこの話、これでは終わらない。後で妻に確認してみると「今日はねぇ、お父さんとお母さんの誕生日なんだよ!!」と息子が言ったのは、妻に吹き込まれたからではなく、自らズバリと言い当てたらしいのだ。

・・・恐るべし、子供の直感。

隣の芝生は青い

2006年03月21日 | お仕事
今日はダカール勤務の仕事仲間としばし打ち合わせ。日本語でやりとり出来るので、ついつい話がはずみ、思わず脱線。

ダカール暮らしは、街を歩いていても危険を感じないし、パンやクロワッサンやエスプレッソが美味しいし、魚とお米がメインの食事も日本人好みだし、交通渋滞も少ないし、道路も舗装状態が良いし、海が近くて風光明媚だし、わずか車で1時間の場所にモンバサのような海岸リゾート地はあるし、住みよい処ですねぇと持ち上げる。(よいしょ、というわけではなく、本当にそう思う)

でも彼らに言わせれば、ナイロビの方が買い物施設は整っているし、観光資源も豊富だし、日本食レストランもあるし、良いですよねぇ・・ということらしい。

まぁどっちもどっち。住めば都。もう一仕事済ませて、今週末には家族の待つナイロビに戻ります。

たまった日記

2006年03月19日 | アフリカ
突然、この2週間でたまってしまった日記を大量にアップするというのは何だかズルしているみたいで気持ちの良いものではないのですが、仕事で海外出張中ということでご勘弁を。写真も少しずつ撮っているので後日掲載します。あ~スッキリした。

ダカールの潮風

2006年03月19日 | お仕事
どちらかというとセネガルの朝は遅い。

ナイロビ生活の調子で朝6時過ぎに目覚まし時計を鳴らしても、窓の外はまだ真っ暗。7時頃にようやく明るくなる。逆に日が暮れてすっかり暗くなるのは19時半過ぎ。

そこで気になって、同じ時間帯の国を調べてみるとイギリスやガーナと同じ(日本に比べて9時間遅れ、ケニアに比べて3時間遅れ)。これらの国よりずっと西に位置するセネガルでは、当然、日の出・日の入りが遅めにずれるわけだ。

さて朝食後に海岸を散策してみる。

潮が引いて浜に打ち上げられた貝殻やら海草やらをきれいに掃除するホテルスタッフ、そのきれいにならされた白い砂浜に点々と足跡を残しながら黙々とジョギングする若い白人男性、釣りざおセットを片手にいそいそと釣り船に乗りこんで沖へ出掛ける白人のおじさんグループ、太陽の位置もまだ高くない。

試しに大西洋の海水に足を浸してみると、かなり冷たい。だからなのか、ビーチに出てくる人達は甲羅干しに余念が無くて、海水浴している人はほとんどいない。

ダカールの潮風

2006年03月18日 | アフリカ
一夜明けた海沿いの街サリーの宿は、フランス人観光客で大賑わい。ケニアのモンバサをこじんまりさせた感じ。しかし私はお仕事モードで宿泊施設や会議施設の確認に明け暮れた。ちょっともったいないけどリゾート地の雰囲気は楽しませてもらった。

久し振りにナイロビの家族と電話が通じた。ナイロビの状況を色々と聞かされ、また驚かされた。日本の家族からナイロビに電話があったらしい。これまた少々気掛かりな内容。息子も父親のいない生活がいつまで続くのか不思議がっているらしい。

仕事とは言え、家族(日本にせよ、ナイロビにせよ)から遠く離れて暮らす状態が長く続くというのは余り宜しいことではないのだなと、しみじみ思う。