ナイロビの涼しい緑潤う地平線

ナイロビでの日常生活をご紹介します。貧困や野生動物や飢餓や恐ろしい病気・・・ばかりがアフリカではありません。

戻ってきました

2007年01月27日 | 子育て
一週間のザンビア出張から戻ってきました。出張中は仕事に忙しく日記の更新も出来ませんでしたが、◎年ぶり!という再会が沢山あって、"里帰り気分"もたっぷりと味わいました。(また後で書きます。)

さて、毎日一緒にいると気付かないのに、一週間空けると気付くのが、子供の成長。

夕方、ナイロビ空港から自宅に戻ってくると、玄関先で飛びついてきました。普段、そんなことしないのに、一週間不在だとやはりお父さんも恋しくなるわけね、かわいい奴め。

いつも通りに夕食後、一緒に風呂に入って、ベッドで絵本を読み、電気を消して寝かし付けながら、この一週間の話を聞き出してみる。

息子:お父さんがナイジェリアとザンビアに行っていたから、心配していたんだよ。
私:何で心配だったの?
息子:だって、カエルのお母さんみたいにお腹が膨れて破れちゃって、オペレーション(手術)するかもしれないと思ったの。お祖母ちゃんも心配してたよ。でもお母さんは心配してなかったの。

いやはや、ナイジェリアとか、ザンビアとか、オペレーションとか、4歳の男の子の口から出てくる言葉とは思えない(笑)が、一生懸命に自分の思っていることを話し相手に伝えようとする、その意志がかなりはっきりしてきた感じ。しかも自分のことだけでなく、他人の様子まで含めて報告するなんて大したもんだ。

国歌

2007年01月26日 | ケニア
ザンビアの懐かしいもの、色々あれど、この国の国歌は記憶にしっかりと残っていた。

毎週月曜日の朝は、全校生徒と教員が集まる朝礼からスタートするのだが、その終わりに男子高校生約600人が合唱する国歌を雛壇の上で聴くのは密かな楽しみだった。今日、仕事でとある会議に出席していると、その開会式で参加者が国歌を歌いはじめた。私も思わず口ずさんでしまう。不思議と歌詞も良く覚えているもんだ。なぜか、じん、ときてしまう。音楽の力、恐るべし。

それにしても何故だろう。ケニアの国歌はいまだに歌詞を覚えないし、メロディーも記憶に残らない。暮らしている期間はケニアの方がずっと長いのにね。

チャマライス

2007年01月25日 | 食べる
ザンビア生活の懐かしいもの、色々あれど、東部州特産・期間限定のお米、チャマライスが私にとってはNo.1だろうか。年に数ヶ月もない旬の時期(ちょうど今頃の時期だったような・・・)に、東部州の中心都市チパタのマーケットに出掛けると、独特の香りを放つチャマライスの周りには蜂がブンブン飛び回っていた。

今回、ザンビア人の旦那さんとルサカで暮らしているTMさんにお願いして、そのチャマライスを買ってきてもらった。ルサカでも売っているんですね、ありがとうございます。ちなみに、TMさんの義理の弟(つまり旦那さんの弟)は私の教え子でした。勉強は苦手だけど、スポーツ万能のモテモテ男だったな~。

小さな夢

2007年01月24日 | お仕事
かつてのザンビアにはZamnetというインターネットプロバイダーがあっただけだが、今は5つも6つもあるらしい。携帯電話とインターネットはアフリカでも成長分野の業界だ。そのうちの1社を訪ねていると、若い男性従業員が背後から声をかけてきた。しかも私の本名で呼びかけている。ん、誰だろう??

あなたは誰ですか、と少々怪訝な表情で聞き返すと、彼ははにかんだ笑顔で「私はChassa Secondary Schoolの生徒だったんですが、◎◎先生ですよねぇ」と問い掛けてきた。

その一言で、一挙に8年前へとタイムスリップする。

顔も名前もきちんと覚えていないが、確かに私が化学を教えていた生徒の一人だ。「あれからコッパーベルトの大学へ進学して、今、僕はこの会社でエンジニアとして働いているんですよ」と聞いて、他人事ながらとても嬉しい。

その昔、某新聞社(かなりマイナー)に依頼されて、ザンビアでの2年を振り返る小さな記事を投稿したことがある。その中で、「いつの日か、偉くなった教え子と、ザンビア式の握手(3段式に握りを組替える)をするのが、私の密かな夢である・・・」というようなことを書いたのを思い出した。

彼はまだ偉くは無さそうだけれども、ちゃんと勉強して大学も卒業した教え子が、今をときめくICT企業に就職して地道に頑張っている様子が伝わってきた。彼の顔と名前をきちんと覚えていなかったのは不覚だったが、彼が私の名前と顔を覚えていてくれた、しかも声を掛けてくれたのが文句無しに嬉しい。

8年越しの密かな小さな夢が、今日、期せずして叶った。

8年ぶり、変わったもの、変わらないもの

2007年01月21日 | アフリカ
昼前、1998年12月以来のルサカへ到着。暖かな雨期が到来したばかりのルサカはかなり蒸暑く、雨も少々。

空港から市内のホテルへ向かいながら、街並の様子をキョロキョロ見回すと、変わったような、変わってないような。

空港と市内を結ぶGreat East Road沿いに、Manda Hillという南ア系ショッピングモールと、イギリスの不動産会社Kight Frankが管理するThe Arcadeというショッピングセンターがしのぎを削る様子は、もう驚くばかり。車の数も随分と増えたし、窓ガラスが割れているのが当たり前だった公共のバスやタクシーも小綺麗になっている。1ドルが1300クワチャくらいだった為替レートは、4000クワチャ前後で推移している。

でも人当たりが良くて、優しい感じのザンビア人気質はそのままだし、ザンビア訛りの英語、ザンビア式の時刻の告げ方(例えば午後2時のことを、こちらの人は 14 hoursと言うが、ケニアでは2 pmと言います)を耳にすると、なぜかほっとする感じ。

宿泊したホテルはルサカNo.1の高級ビジネスホテル。あの当時は、確か96年12月に赴任した当日にランチをご馳走になったきり、一度も足を踏み入れることのなかった空間。つまり10年ぶりの再訪というわけ。何となく恐縮してしまう自分を見付けて苦笑い。

この8年で、私自身の立場は大きく(少しだけ?)変わったが、気持ちは余り変わってない、ということか。

午後、日曜日にも関わらず、教育省の仕事相手の人がホテルまで打ち合わせに来てくれた。仕事的には幸先の良いスタート。

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