娘を学校に迎えに行った時、玄関ホールに親への感謝の言葉みたいなのが飾ってあった。ふざけてるのは良いけれど、『しあわせにしてくれてありがとう』とか、ぞーっとする。娘に「これ書いた?」「書いてない」「こんなん書くのイヤやんなぁ!」娘、無反応。と、後ろに校長先生が居て凄く焦った。私の心の闇、学校批判、娘に悪影響ではないか?、、、と、少し悩む。
それにしても、子どもに親に感謝することを強制するのをいい加減やめて欲しい、自分なんか居ない方がいいと苦しんでいる子は不幸の根源が産んだ人であることを意識の底で理解していると思う、自死に積極的な人、犯罪者、社会に適合できない引きこもりの人も皆そうだろう。
感謝は自然に沸き起こる暖かな感情に他ならない。誰でも自分を苦しめるヤツにありがとうなんて公の場で言わされるのは屈辱だろう。
小1の頃か、母の日の授業参観に貼り出す似顔絵を描かされた、私はどーしても鬼を描いてしまう、何度も描きなおすように命令されたがお母さんはこうだ!と抵抗した。体裁がマズイのなら授業参観に張り出さなければ良いと、必死の抵抗だったと思う。最後は家に電話があり母親の前で父親に怒られて描きなおすしかなかった、
「人にツノなんか描いたらあかんのや」と、悲しそうに言われて従った。
その時、世界の誰にも助けてもらえないのだと絶望した記憶がある。
今なら適切に支援してもらえるのだろうか?
それにしても、子どもに親に感謝することを強制するのをいい加減やめて欲しい、自分なんか居ない方がいいと苦しんでいる子は不幸の根源が産んだ人であることを意識の底で理解していると思う、自死に積極的な人、犯罪者、社会に適合できない引きこもりの人も皆そうだろう。
感謝は自然に沸き起こる暖かな感情に他ならない。誰でも自分を苦しめるヤツにありがとうなんて公の場で言わされるのは屈辱だろう。
小1の頃か、母の日の授業参観に貼り出す似顔絵を描かされた、私はどーしても鬼を描いてしまう、何度も描きなおすように命令されたがお母さんはこうだ!と抵抗した。体裁がマズイのなら授業参観に張り出さなければ良いと、必死の抵抗だったと思う。最後は家に電話があり母親の前で父親に怒られて描きなおすしかなかった、
「人にツノなんか描いたらあかんのや」と、悲しそうに言われて従った。
その時、世界の誰にも助けてもらえないのだと絶望した記憶がある。
今なら適切に支援してもらえるのだろうか?