日々諸々

西日庵雑記・洗足ベース通信

できるうちに、できることを。

2023-08-17 23:19:46 | 日々程々




 「豊かさや富の象徴としての食事から、生存のための食事への意識転換が求められる時代になった」とジャックアタリはNHKの番組でいっていました。では食だけでなく、衣は住はどうでしょうか? それらも意識転換が求められる時代になったのでしょうか?
 
 GQ JAPANのウエッブサイト、シグネチャーといったカード会社の定期刊行物を見ると、高価なファッション、時計、車、旅と料理ばかりで、贅沢な消費を煽る記事からは意識転換なんて1ミリも感じられません。しかし1%の人たちを除き、この国ではそんな時代は終わり、食も衣も住も「欲しがりません勝つまでは」を強いられる時代になったと感じます。

 しかし99%の人たちの勝利は99%ないでしょう。欲しても豊かさや富の象徴の復活は望むべくもありません。奢侈はごく限られた人たちのものとなり、ほとんどの人は否応なく、生存のためを優先しなければならなくなるでしょう。

 コロナ禍が終わり、東京にはインバウンドをあてこんだゴージャスなホテルや和食店など高額な宿、飲食店が開業、営業再開しています。世界を相手にすれば大丈夫でしょうか。

 観光、土産物、日本文化の体験など外国人相手のビジネスは、日本に割安感があるうちは好景気に湧くかもしれません。しかし本当の富裕層を相手にしなければ、淘汰は時間の問題だと思います。世界もまた、二極化しています。

 それより問題は、インバウンドに依存しすぎると、貧民意識が増幅され心が卑屈になることです。優れた人材は海外に流出し、夢を描かず、開き直りと諦めが充満するようになるでしょう。既にそうかもしれませんけれど。

 レストランは革命により王侯貴族のお抱え料理人が職を失い、街場で食事を提供し始めたのが起源だそうです。これからはそれが逆転すると思います。豊かさや富の象徴としての食にこだわり追求したい人は、富裕層の専属シェフになるか、彼らに特化した高級レストランにかかわるしか道はなくなるからです。

 食に限らず衣も住も、日本に限らず世界も、同様だと思います。豊かさや富の象徴としての消費の自由と平等を誰もが謳歌できた時代は終わり、それらは富裕層という名の王侯貴族のものとなるでしょう。中世に戻るのです。それが嫌なら自ら富裕層になる以外ありません。しかし多くの人には、それも無理な話です。

 せめてもの救いは、富の多少で豊かさは決まらないことです。

 実は「豊かさや富」と、ひとまとめにして論じることはできないのです。「富」と「贅沢」と「幸福」もそれぞれ別物です。ジャックアタリも意識転換が不幸だとはいっていません。生存のためという意識転換によって新たに得られる豊かさ、幸せもあるのです。むしろそのことに気づき、積極的に金銭や富に頼らない生活を見出していくことこそが、真の意識転換なのです。

 しかしそれでも私は、できるなら、できるうちにできることをと思います。私にはこんな声が聞こえてくるのです。「人新世の人間よ、お前はもう死んでいる」
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